ロゴジュスク公国
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ロゴジュスク(ロゴイスク)公国(ベラルーシ語: Лагожское (Лагойскае) княства、ロシア語: Логожское (Логойское) княжество)とは、12世紀後半のルーシ西部に位置した分領公国である。ロゴジュスク(現ベラルーシ・ラホイスク)を首都とした。
歴史
[編集]ロゴジュスク公国は12世紀後半にイジャスラヴリ公国から分離した[1]。しかし他公国との国境線は詳しくは不明である。『イパーチー年代記』には、1180年のロゴジュスク公フセスラフ・ミクリチは、イジャスラヴリ公、ヴィテプスク公と同盟を結んでいたという記述がみられる[2]。また『ラヴレンチー年代記』には、1186年に、ミンスク公家出身のロゴジュスク公ヴァシリコ・ヴォロダレヴィチ(be)が、ノヴゴロド公・スモレンスク公・ドルツク公と共に、ポロツク公国を攻めたという記述がある[2]。
その後ロゴジュスク公国は、スキルガイラ、ヴィータウタス、Andrejus(be)[注 1]等のゲディミナス朝の諸公の所領となった。この時期にはロゴジュスク公国は、ロゴイスク、ガインスク、ホレツクの3領域からなっていた[注 2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Алексеев Л. В. (1966),p76
- ^ a b ПОЛОЦКОЕ КНЯЖЕСТВО // М.Петрович ДРЕВНЯЯ РУССКАЯ ИСТОРИЯ ДО МОНГОЛЬСКОГО ИГА
参考文献
[編集]- Алексеев Л. В. Полоцкая земля: Очерки истории северной Белоруссии в IX—XIII вв. — М.: Наука, 1966.
- Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т. / Автор-составитель В. В. Богуславский. — М.: ОЛМА-ПРЕСС, 2001.
- Коган В.М., Домбровский-Шалагин В.И. Князь Рюрик и его потомки: Историко-генеалогический свод. — СПб.: «Паритет», 2004.