レモニス原子力発電所

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レモニス原子力発電所
レモニス原子力発電所
レモニス原子力発電所の位置(ビスカヤ県内)
レモニス原子力発電所
ビスカヤ県内のレモニス原子力発電所の位置
スペイン
座標 北緯43度26分0秒 西経2度52分21秒 / 北緯43.43333度 西経2.87250度 / 43.43333; -2.87250座標: 北緯43度26分0秒 西経2度52分21秒 / 北緯43.43333度 西経2.87250度 / 43.43333; -2.87250
原子炉
運転終了 2 x 900 MWe
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レモニス原子力発電所スペインバスク自治州ビスカヤ県レモニスに存在する建設途中の原子力発電所。1983年にスペイン原子力向上計画で計画されたが、政府交代後に中止された。圧力水型原子炉で出力は900MWeの予定で建設され、建設は完了したものの、運用されることはなかった。

レモニス原子力発電所に関する紛争は1970年代から1980年代のスペインで主な反原子力英語版問題の一つであった[1]

反対運動[編集]

発電所の建設はテロも行っていたバスク民族組織ETAが反対していた。1977年12月18日に発電所への最初の攻撃が行われ、ETAの奇襲隊はグアルディア・シビルの駐在所を攻撃した。メンバー中核のDavid Álverez Peñaは攻撃で負傷、一ヵ月後に死亡した。1978年3月17日、ETAは発電所の原子炉爆破を計画、2人の労働者が死亡し、さらに2名が負傷した。爆発によって施設に物理的損害を受け、建設が停滞した

1979年6月3日、国際反核活動日のトゥデラでのデモ中にサン・セバスティアン出身の反核活動家のGladys del Estalがグアルディア・シビル警備隊の銃弾を受けて死亡した。10日後の6月13日、ETAは施設のタービン施設で爆破を行った。爆破によって作業員1人が死亡した。さらに多くの環境活動家や左派活動家によって南部バスク州の多くの場所で発電所の閉鎖を求めるデモ活動が行われた。

ETAの活動の過熱は1981年1月29日に頂点に達し、ビルバオで発電所のチーフエンジニアが誘拐された。彼らは施設の解体に数週間与え、さもなくば誘拐したエンジニアを殺すと主張した。その後ビルバオでエンジニア解放を求める大規模デモが行われたものの、猶予期限がすぎたためETAはエンジニアを殺した。これは大きな批判を呼び、ETAに抗議するストライキが行われた。

しかしながら、結果としてエンジニア殺害に発電所側が屈し計画は頓挫した。計画を進めていた発電所所有者のイベルドゥエーロ(現イベルドローラ)はバスク政府が開発継続に対して明確に指示するまで公式に計画を停止している。

画像[編集]

[編集]

  1. ^ Lutz Mez, Mycle Schneider and Steve Thomas (Eds.) (2009). International Perspectives of Energy Policy and the Role of Nuclear Power, Multi-Science Publishing Co. Ltd, p. 371.

外部リンク[編集]