レティツィア・モラッティ

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レティツィア・モラッティ
第23代ミラノ市長
任期
2006年6月1日 – 2011年6月1日
前任者ガブリエーレ・アルベルティーニ
後任者ジュリアーノ・ピザピーア
教育・大学・研究担当相
任期
2001年6月11日 – 2006年5月17日
首相シルヴィオ・ベルルスコーニ
前任者トゥッリオ・デ・マウロ
後任者ジュセッペ・フィオローニ
(教育相)
ファビオ・ムッシ
(大学担当相)
個人情報
生誕 (1949-11-26) 1949年11月26日(74歳)
イタリアミラノ
国籍イタリア人
政党自由の家
配偶者ジャンマルコ・モラッティ
専業政治家

レティツィア・ブリケット=アルナボルディ・モラッティ: Letizia Brichetto-Arnaboldi Moratti1949年11月26日 - )は、イタリアの女性実業家、政治家。元ミラノ市長。

経歴[編集]

ミラノに生まれた。出生名はレティツィア・ブリケット=アルナボルディ。石油王マッシモ・モラッティの兄弟であるジャンマルコ・モラッティと結婚し、ガブリエーレとジャーダの2子をもうけた。

保険業と電気通信業の実業家で、1994年から1996年にかけて国営テレビ局のイタリア放送協会会長を務めた。1999年から2000年にはルパート・マードックグループの欧州における成長を担当した。

政界にも進出し、2001年から2006年の第2、第3次ベルルスコーニ内閣において教育相を務めた。在任中は教育体系と大学教育の改革を推し進めたが、批判も受けた。

2006年の統一地方選でミラノ市長に「自由の家」から立候補し、52%の得票率で当選[1]。2011年の選挙で再選を目指したが、二次投票で左派のジュリアーノ・ピザピーア候補に敗れた。

脚注[編集]

公職
先代
トゥッリオ・デ・マウロ (教育相)
ジュリアーノ・アマート (大学・研究担当相代行)
教育相
2001年 – 2006年
次代
ジュセッペ・フィオローニ (教育相)
ファビオ・ムッシ (大学・研究担当相
先代
ガブリエーレ・アルベルティーニ
ミラノ市長
2006年 – 2011年
次代
ジュリアーノ・ピザピーア