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ルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルクレツィア
 Lucrezia
モデナ公妃
ルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチ(アーニョロ・ブロンズィーノ画)
在位 1559年 - 1561年

出生 (1545-02-14) 1545年2月14日
フィレンツェ公国フィレンツェ
死去 (1561-04-21) 1561年4月21日(16歳没)
フェラーラ公国フェラーラ
埋葬 フェラーラ公国フェラーラ、コルプス・ドミニ修道院
結婚 1558年7月3日 ヴェッキオ宮殿
配偶者 モデナおよびフェラーラ公アルフォンソ2世・デステ
家名 メディチ家
父親 トスカーナ大公コジモ1世
母親 エレオノーラ・ディ・トレド
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ルクレツィア・ディ・コジモ・デ・メディチイタリア語: Lucrezia di Cosimo de Medici, 1545年2月14日 - 1561年4月21日)は、モデナおよびフェラーラ公アルフォンソ2世・デステの最初の妃。

生涯

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のちにトスカーナ大公となるコジモ1世と妃エレオノーラ・ディ・トレドの三女(第5子)として、フィレンツェで誕生。姉はイザベッラ、兄にフランチェスコ1世・デ・メディチがいる。1558年にアルフォンソと結婚したが、1560年にフェラーラへ移った翌年に急死した。子供はなく、夫に毒殺されたと、広く噂された。

ブロンツィーノによる肖像画が残り、彼女にちなんで19世紀のイギリスの詩人ロバート・ブラウニングが“My Last Duchess”を書いた。