ラーディー
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| ラーディー | |
|---|---|
| アッバース朝カリフ | |
| 在位 | 934年 - 940年 |
| 全名 | アル・ラーディー |
| 出生 |
909年 |
| 死去 |
940年 |
| 継承 | ムッタキー |
| 家名 | アッバース家 |
| 王朝 | アッバース朝 |
| 父親 | ムクタディル |
| 母親 | ザルーム |
| 宗教 | スンナ派 |
生涯
[編集]第18代カリフであるムクタディルとギリシア系の女奴隷のザルームとの間に生まれた。叔父の第19代カリフであるカーヒルは、ムクタディルの家族の財産を没収し虐待したが、その暴政に反発した軍隊がクーデターをおこして幽閉しラーディーが第20代カリフとして934年に擁立された。
彼自身は、詩と歌を愛好し寛容な性格だったが彼の時代のアッバース朝は権威がガタ落ちして地方の知事たち実質的に独立してカリフが本当に統治しているのは首都バグダートとサワード地方(イラク南部)だけだった。しかもサワード地方の大部分はワースィト及びその付近の知事イブン・ライークのもとにほとんど独立していた。
アミール(地方の豪族)たちはバグダートに入って弱体のカリフを戴き天下に号令しようと考え始めたため、有力な者に、ワジール(宰相)とハージブ(侍従)を統括してカリフに代わって権力を掌握し、従順ではない地方豪族を押さえたり、討ち取る責任を負う大アミール(ʾamīr al-umarāʾ)の称号を与えることにした。936年に最初に近い位置にいる、イブン・ライークに与えたが助長したため部下の武将のバジュカムをそそのかして主人に叛かせバグダートから追い払い代わりに大アミールに任命した。バジュカムは期待通り重責を果たした。
典拠
[編集]- ↑ Zetterstéen, K. V. (1995). “al-Rāḍī bi-ʾllāh”. In Bosworth, C. E. [英語版]; van Donzel, E. [英語版]; Heinrichs, W. P. [英語版]; Lecomte, G. [英語版] (eds.). The Encyclopaedia of Islam, New Edition, Volume VIII: Ned–Sam. Leiden: E. J. Brill. pp. 368a–368b. ISBN 90-04-09834-8.
参考文献
[編集]- 『生活の世界歴史7 イスラムの蔭に』 河出文庫