ラファエル・マンガサリアン

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ラファエル・アラム・マンガサリアン
生誕 (1927-01-01) 1927年1月1日
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国
死没 (1997-10-31) 1997年10月31日(70歳没)
学歴 エレバン音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

ラファエル・アラム・マンガサリアンアルメニア語: Ռաֆայել Արամի Մանգասարյան, ラテン文字転写例: Rafael Aram Mangasarian, Rafael Aram Mangasaryan, 1927年1月1日 - 1997年10月31日)は、旧ソ連指揮者[1][2][3]

経歴[編集]

ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国統治下のトビリシの出身。エレバン音楽院に進学し、カルプ・ドムバリエフにヴァイオリンを師事する。1951年に卒業した後は同音楽院の講師となった。

1963年から勤務先のエレバン音楽院のミカエル・マルンチアンの下で指揮法を学んだ。1966年にアルメニア放送交響楽団の指揮者陣に加わり、1969年に首席指揮者、1972年に芸術監督の各ポストに昇格し、1985年まで務めた。1985年から翌年までアルメニア・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督を歴任。エレバン音楽院では1977年に教授に昇格し、1993年には院長に選ばれている。1979年にはアルメニア政府から人民芸術家の称号、1983年にはアルメニア国家賞をそれぞれ贈られている。1997年、エレバンにて死去。

[編集]

  1. ^ Մանգասարյան Ռաֆայել”. 2018年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月20日閲覧。
  2. ^ アーカイブ 2018年6月20日 - ウェイバックマシン
  3. ^ ՌԱՖԱՅԵԼ ՄԱՆԳԱՍԱՐՅԱՆ”. 2018年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月20日閲覧。