ユーライアラス (蒸気フリゲート)

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薩英戦争で艦隊を率いて鹿児島を砲撃するユーライアラス

ユーライアラス英語: HMS Euryalus)は、イギリス海軍の35門木造スクリューフリゲート1853年チャタム工廠で進水。艦名ギリシア神話エウリュアロスに由来する。ユーリアラスカナ転写されることも。

艦歴[編集]

「ユーライアラス」は当初バルト海地中海で任務についた後、生麦事件の発生した1862年9月14日に横浜に到着した。そして、1863年8月の薩英戦争1864年9月の馬関戦争の際にオーガスタス・キューパー提督旗下の艦隊の旗艦を務めた。

薩英戦争の当時は、35門中17門が後装式のアームストロング砲だが、尾栓からのガス漏れ事故が多くその後使用が禁止された。それ以外にもカロネード砲を16門搭載していた。

馬関戦争では同艦の水兵ダンカン・ボイズがその武勇により17歳という若さでヴィクトリア十字章を授与されている。

要目[編集]

  • トン数(bm):2371トン[1]
  • 排水量:3125トン[2]
  • 長さ:212フィート(64.52m)[2]
  • 幅:50フィート(15.24m)[2]
  • 機関出力:400NHP[1]
  • 備砲:35門[1]
  • 乗員:540名[1]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『幕末の蒸気船物語』67ページ
  2. ^ a b c 『幕末の蒸気船物語』68ページ

関連項目[編集]