ユリア (アグリッパの娘)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

ユリアVipsania Julia Agrippina, 紀元前19年/紀元前18年? - 紀元28年/紀元29年)は、古代ローマの将軍マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ大ユリアの娘で初代ローマ皇帝アウグストゥスの孫。ユリアの名はユリウス氏族の娘や皇帝一族の娘に共通の名前であるため、母の大ユリアと区別するため小ユリアとも呼ばれる。

アウグストゥスの側近であったマルクス・アグリッパとアウグストゥスの娘ユリアの長女として誕生した。兄にガイウス・カエサル、弟にルキウス・カエサルアグリッパ・ポストゥムス、妹に大アグリッピナがいる。

母の大ユリアと同様、アウグストゥスの厳格な方針に従って養育されたが、母同様その放蕩はアウグストゥスを悩ませた。ルキウス・アエミリウス・パウルスと結婚し、その間にアエミリウス・レピドゥス(6年 - 39年)とアエミリア・レピダをもうけた(アエミリウス・レピドゥスに関してはユリアの子では無いという異説あり)。

ユリアは紀元8年にデキムス・ユニウス・シラヌスと元首アウグストゥスに陰謀を企てとして姦通罪でトゥリメルス島に追放された。この姦通罪には不明な点も多く、アウグストゥスの妻リウィアが小ユリアを排するため夫への影響力を行使したとも言われる。情夫であったデキムス・シラヌスは追放された小ユリアに対しアウグストゥスから友情の拒絶を受けただけで公的な追放は免れている。元首の絶交からシラヌスは自主的にローマを離れていたが、ティベリウスの治世となった紀元20年にローマに帰還している。

夫であったルキウス・パウルスも小ユリアと同じように、アウグストゥスに対し陰謀を企てて処刑されている。こうした両親の元首への不義のため、娘アエミリア・レピダはアウグストゥスの好意を受けることはできなかった。

小ユリアは14年8月19日にアウグストゥスが死んだ後も幽閉され続け、28年(29年?)に流刑地で死亡した。この20年間の追放生活はリウィアの援助を受けていたという。

小ユリアの血筋は娘アエミリア・レピダ(紀元前5年/4年/3年頃 - 紀元43年/紀元53年)とその子孫を通じて存続している。アエミリア・レピダはマルクス・ユニウス・シラヌス・トルクアトゥス(紀元前24年頃 - 39年)と西暦13年前後に結婚。以下の3男2女(もしくは3女、4女)いる。

  • マルクス・ユニウス・シラヌス・トルクアトゥス(14年~19年 - 54年)- 46年にコンスル。ドミティア・マグナ(グナエウス・ドミティウス・アフェルとコルネリア・シナマグナの娘)と結婚。
    • マルクス・ユニウス・シラヌス・トルクアトゥス(50年- 66年もしくは40年 - 65年) - 上記の子
  • ルキウス・ユニウス・シラヌス・トルクアトゥス(12年もしくは27年 - 49年?/53年?/65年?)
  • デキムス・ユニウス・シラヌス・トルクアトゥス(10年頃もしくは16年/20年 - 64年)- 48年にコンスル。64年に自殺を強要され死亡した。
    • ユニア・シラナ・トルクアタ(55年 - ?) - デキウスとユリア・アフリカナ(ユリウス・アフリカヌスの子)の娘
  • ユニア・レピディア・シラナ(15年~20年 - 59年)- ガイウス・シリウス(48年没)と結婚。シリウスはクラウディウスの3番目の妃メッサリナと姦通し、処刑された。子供は無かったと見られる。
  • ユニア・カルウィナ(15年頃もしくは25年頃- 79年頃)- 後の皇帝ウィテリウスの弟ルキウス・ウィテリウス(16年頃 - 69年)の最初の妻。49年に実の兄弟のルキウスと近親相姦の疑いがかけられた為、追放。離婚した。
  • ティリアリア(ユニア・カルウィナ・ミロニア・カエケニア・アルバ・テレンティア)- ルキウス・ウィテリウスの2番目の妻。
  • ユニア・レピダ(18年頃/23年頃 - 65年) - ガイウス・カッシウス・ロンギヌス(前13年頃 - 69年)と結婚。1男1女あり。
    • カッシア・ロンギナ(35年頃 - ?)
    • カッシウス・レピドゥス(55年頃 - ?)

子孫の中で著名なのはローマ皇帝ネロに仕えたコルブロの娘ドミティア・ロンギナである。彼女の母はカッシア・ロンギナ(35年頃生誕。アエミリア・レピダの孫娘でユリア・レピダ(18年頃/23年頃- 65年)の娘)であった。彼女は大ユリアの来孫かつ小ユリアの玄孫、アエミリア・レピダの曽孫で、初代皇帝アウグストゥスの昆孫(曽孫の曽孫)である。ドミティア・ロンギナは後にフラウィウス朝の第3代皇帝ドミティアヌスと再婚。これにより、ユリウス・クラウディウス朝とフラウィウス朝が縁戚関係となり、ドミティア・ロンギナの父コルブロの名誉も回復された。この皇帝夫妻の間には男児(ティトゥス・フラウィウス・カエサル、73年 -77年~81年/82年~83年)と女児(76年生誕)が生まれたがいずれも夭折している。

ドミティア・ロンギナは前夫ルキウス・アエリミウス・ラミアとの間にplautia(プラウティア、67年頃/70年頃 - ?)という1女を儲けている。プラウティアはルキウス・フンダニウス(55年頃生誕)と結婚し、一人息子であるルキウス・フンダニウス・ラミア・アエリアヌス(ドミティアの孫、83年頃 - 132/136年)が生まれている。この息子はアンニア(93年頃生誕。マルクス・アンニウス・ウェルスとルピア・ファウスティナの娘)との間にルキウス・ラミア・シルウァヌス(ドミティアの曽孫、110年頃/112年/113年 - 145年以降)を儲けた。シルウァヌスは五賢帝の一人アントニウス・ピウス大ファウスティナの長女アウレリア・ファディラ(120年頃 - 135年)と結婚。これにより、ユリウス・クラウディウス朝とフラウィウス朝、ネルウァ=アントニヌス朝の三王朝が縁戚関係となったが、シルウァヌスとアウレリアとの間には子供は無かったと見られる。

なお、『ローマ皇帝群像』には、シルウァヌスとアウレリアの娘にシルウァナがおり、シルウァナはマルクス・アンニウス・セウェルスと結婚し、娘ファビナ・オレスティラを儲けた。ファビナ・オレスティラは後に軍人皇帝に数えられるゴルディアヌス1世との間に、同じく軍人皇帝に数えられるゴルディアヌス2世、名前不詳の男子、アントニア・ゴルディアナの2男1女を儲けたとされ、アントニア・ゴルディアナはゴルディアヌス3世の母、ゴルディアヌス3世にはフリアという娘がいる。この系譜に従えば、シルウァナはドミティアの玄孫、ファビナ・オレスティラは来孫、ゴルディアヌス2世とアントニア・ゴルディアナの兄妹は昆孫、ゴルディアヌス3世は仍孫、ゴルディアヌス3世の娘フリアは雲孫となる。このように、シルウァナはアントニウス・ピウスの孫娘、ファビナ・オレスティラは曽孫娘とされ、その血筋はゴルディアヌス3世に繋がるとされるが、信憑性の程は疑わしい。

ドミティア・ロンギナの姉ドミティア・コルブラ(47年頃生誕)はルキウス・アニウス・ウィニキアヌスと結婚したが子供は息子一人である。

ドミティア・ロンギナの母カッシア・ロンギナの兄弟にカッシウス・レピドゥス(55年頃生誕)がおり、カッシウスの娘にカッシア・レピディア(80年頃生誕)がいる。カッシアはガイウス・ユリウス・アレクサンダー・ベレニキアヌス(75年頃 - 150年頃)と結婚し、ユリア・カッシア・アレクサンドラ(105年頃生誕)を儲けている。

ユリア・カッシア・アレクサンドラはガイウス・アウィディウス・ヘリオドルス(100年頃-142年以降)と結婚。一人息子を儲けた。175年にローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスに反乱を起こして敗死したガイウス・アウィディウス・カッシウス(130年頃-175年)である。従って、ガイウス・アウィディウス・カッシウスはアウグストゥスの雲孫(玄孫の玄孫)に当たる。

カッシウスには妻ウォルシアとの間に2男2女があった。この2男2女はアウグストゥスの雲孫の子にあたる。 長男アウィディウス・ヘリオドルスは反乱鎮圧後、追放もしくは処刑された。 次男アウィディウス・マイケアヌスは反乱鎮圧後、処刑もしくは追放された。 長女アウィディア・アレクサンドラは反乱鎮圧後、伯父のもとで預かりの身となり、監視付きで行動の自由を許された。 次女ウォルシア・ラオディケ(165年頃生誕)はクィントゥス・ティネイウス・サケルドース(160年-219年)と結婚。一人娘にティネイア(195年頃生誕)がいる。

ティネイアは軍人皇帝の一人に数えられているプピエヌスとその妻セクスティアの長男ティベリウス(ティトゥス)・クロディウス・プピエヌス・プルケル・マクシムス(195年頃-224年/226年以後もしくは235年以後)と結婚。ルキウス・クロディウス・プピエヌス・バッシウス(220年-250年以後)を儲けた。

ルキウスはオウィニア・パテルナ(220年頃生誕、ルキウス・オウィニウス・パカティアヌスとその妻コルネリアの娘)との間に息子マクシムス・ティネイウス・オウィニウス・カクトゥス(240年頃-274年頃)を儲けた。

マクシムスにはオウィニウス・ティネイウス・タルテニウス・ノニウス・アッティクス(290年存命)という息子がいる。

オウィニウスはマキシマという女性と結婚。オウィニウスとマキシマの子孫にタルテニウス・マルキアヌス(409年時存命)・タルテニウス・マクシミリアヌス(400年時存命)父子がいる。

マクシミリアヌスはアギナティア(アギナンティアとも。アギナティウス(アギナンティウス)の娘。アギナティウスは368年時存命)という女性と結婚。タルテニアという娘の父となった。

タルテニアはアニキウス・アキリウス・グラブリオ・ファウストス(?-437~442年/425年~443年、西ローマ帝国の政治家)と結婚した。

タルテニアとアニキウスの子孫には東ローマ帝国のルフス・アキリウス・マエキウス(481年にコンスル就任)、アニキウス・アキリウス・アギナンティウス・ファウストス(483年にコンスル就任。483年-508年存命)、ルフス・アキリウス・シウィディウス(488年にコンスル就任。483年-488年存命)の3名がいる。

以上のように、小ユリアの血筋(遡って、アウグストゥス・大ユリア父子の血筋)は少なくとも68年の皇帝ネロの自死によるユリウス・クラウディウス朝断絶後も、5世紀の終わりから6世紀まで440年以上存続している。

関連項目[編集]