ユリア (アグリッパの娘)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユリア (アグリッパの娘)
ユリアと推定される胸像

出生 紀元前19年
死亡 紀元29年
トレミティ諸島
王室 ユリウス=クラウディウス朝
父親 マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ
母親 大ユリア
配偶者 ルキウス・アエミリウス・パウルス
子女
エミリア・レピダ
マルクス・アエミリウス・レピドゥス
テンプレートを表示
クラウディウス王朝 > ユリア (アグリッパの娘)

ユリアことウィプサニア・ユリア・アグリッピナ、Vipsania Julia Agrippina, 紀元前19年/紀元前18年? - 紀元28年/紀元29年)は[1]古代ローマの将軍マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ大ユリアの娘で初代ローマ皇帝アウグストゥスの孫。現代の歴史家からは他の同名の人物と区別して小ユリア(Julia the Younger)と呼ばれる。

ユリアは兄弟とともに、母方の祖父アウグストゥスと母方の継祖母リウィア・ドルシッラによって育てられ、教育を受けた。彼女の兄弟のように、彼女はアウグストゥスの王朝の計画で重要な役割を果たしたが、母親のように、彼女は後の人生の不貞のために恥をかかされた。

生涯[編集]

画像は1774年のイギリス人画家ジョセフ・ライト(ライト・オブ・ダービー)の歴史画で、サレルノ湾洞窟にいるユリアが描かれている。

関連項目[編集]

ノート[編集]

  1. ^ E. Groag, A. Stein, L. Petersen – e.a. (edd.), Prosopographia Imperii Romani saeculi I, II et III (PIR), Berlin, 1933 – I 635

外部リンク[編集]