ユリア (アグリッパの娘)

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ユリアVipsania Julia Agrippina, 紀元前19年? - 紀元28年)は、古代ローマの将軍マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ大ユリアの娘で初代ローマ皇帝アウグストゥスの孫。ユリアの名はユリウス氏族の娘や皇帝一族の娘に共通の名前であるため、母の大ユリアと区別するため小ユリアとも呼ばれる。

アウグストゥスの側近であったマルクス・アグリッパとアウグストゥスの娘ユリアの長女として誕生した。兄にガイウス・カエサル、弟にルキウス・カエサルアグリッパ・ポストゥムス、妹に大アグリッピナがいる。

母の大ユリアと同様、アウグストゥスの厳格な方針に従って養育されたが、母同様その放蕩はアウグストゥスを悩ませた。ルキウス・アエミリウス・パウルスと結婚し、その間にアエミリウス・レピドゥスとアエミリア・レピダをもうけた。

ユリアは紀元8年にデキムス・ユニウス・シラヌスと元首アウグストゥスに陰謀を企てとして姦通罪でトゥリメルス島に追放された。この姦通罪には不明な点も多く、アウグストゥスの妻リウィアが小ユリアを排するため夫への影響力を行使したとも言われる。情夫であったデキムス・シラヌスは追放された小ユリアに対しアウグストゥスから友情の拒絶を受けただけで公的な追放は免れている。元首の絶交からシラヌスは自主的にローマを離れていたが、ティベリウスの治世となった紀元20年にローマに帰還している。

夫であったルキウス・パウルスも小ユリアと同じように、アウグストゥスに対し陰謀を企てて処刑されている。こうした両親の元首への不義のため、娘アエミリア・レピダはアウグストゥスの好意を受けることはできなかった。

小ユリアは14年8月19日にアウグストゥスが死んだ後も幽閉され続け、28年に流刑地で死亡した。この20年間の追放生活はリウィアの援助を受けていたという。

小ユリアの血筋は娘アエミリア・レピダ(紀元前5年頃 - 紀元43年)とその子孫を通じて、少なくとも2世紀まで存続している。その中で著名なのはローマ皇帝ネロに仕えたコルブロの娘ドミティア・ロンギナである。彼女の母はカッシア・ロンギナ(35年頃生誕。アエミリア・レピダの孫娘でユニア・レピダ(18年頃 - 65年)の娘)であった。彼女は大ユリアの来孫かつ小ユリアの玄孫、アエミリア・レピダの曽孫で、初代皇帝アウグストゥスの昆孫(曽孫の曽孫)である。ドミティア・ロンギナは後にフラウィウス朝の第3代皇帝ドミティアヌスと再婚。これにより、ユリウス・クラウディウス朝とフラウィウス朝が縁戚関係となり、ドミティア・ロンギナの父コルブロの名誉も回復された。この皇帝夫妻の間には男児が生まれたが夭折している。

ドミティア・ロンギナは前夫ルキウス・アエリミウス・ラミアとの間にplautia(プラウティア)という1女を儲けている。プラウティアはLucius Fundanius(55年頃生誕)と結婚し、一人息子であるLucius Fundanius Lamia Aelianus(83年頃 - 132/136年)が生まれている。この息子はAnnia(93年頃生誕。Marcus Annus VerusとRupia Faustinaの娘)との間にルキウス・ラミア・シルウァヌス(110年頃 - 145年以降)を儲けた。シルウァヌスは五賢帝の一人アントニウス・ピウス大ファウスティナの長女アウレリア・ファディラ(120年頃 - 135年)と結婚。これにより、ユリウス・クラウディウス朝とフラウィウス朝、ネルウァ=アントニヌス朝の三王朝が縁戚関係となったが、シルウァヌスとアウレリアとの間には子供は無かったと見られる。

ドミティア・ロンギナの姉ドミティア・コルブラはドルキウス・アニウス・ウィニキアヌスと結婚したが子供はいない。

ドミティア・ロンギナの母カッシア・ロンギナの兄弟にカッシウス・レピドゥス(55年頃生誕)がおり、カッシウスの娘にカッシア・レピディア(80年頃生誕)がいる。カッシアはガイウス・ユリウス・アレクサンダー(75年頃 - 150年頃)と結婚し、ユリア・カッシア・アレクサンドラを儲けている。

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