メデトカン・シェリムクロフ

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メデトカン・シェリムクロフ1939年11月17日 - )は、キルギスタンの政治家、外交官。駐イラン非常全権大使。ソ連8月クーデター時の最高会議議長だった。

ソ連時代[編集]

ソクルクスキー地区チャパエヴォ村(現ソクルク地区ジュィラムィシュ)出身。

1967年、キルギス国立大学、1970年、モスクワ国立大学大学院を卒業。

  • 1970年~1971年 - キルギス国立大学講師
  • 1971年~1973年 - キルギス共産党中央委員会科学・教育施設課教官
  • 1973年~1976年 - キルギス国立大学党委員会書記
  • 1976年~1980年 - 党イスィク・クラ州委員会書記
  • 1980年~1985年 - キルギス共産党宣伝・扇動課主任
  • 1985年 - キルギス体育大学学長
  • 1985年~1987年 - キルギス共産党中央委員会附属コムソモール管理部議長
  • 1987年12月~1990年 - キルギス共産党イデオロギー担当中央委員会書記
  • 1990年12月11日~1994年 - キルギスタン最高会議議長

第11期、第12期キルギスタン最高会議代議員。ソ連8月クーデター時には、「でしゃばらずに、待つこと」を提案した。

キルギス共和国時代[編集]

1994年、ナゴルノ・カラバフ平和調停CIS議会間部会議長。1995年、大統領に立候補したが、3%未満しか得票できなかった。

1995年からキルギス国立大学政治学教授代行、戦略研究・国務・政治科学教育センター教授。

1998年11月2日~2002年7月15日、駐トルコ非常全権大使。2000年2月、故郷のソクルスキー地区からジョゴルク・ケネシ人民代表議会に出馬しようとしたが、過去3年以上の居住という立候補資格がなかったため、登録を拒否された。

2007年6月8日から駐イラン非常全権大使。

パーソナル[編集]

妻帯、3児を有する。

哲学科学準博士、政治科学博士(論文テーマは、「キルギスタンにおける議会制度の樹立と発展」)。

2004年10月5日、CIS加盟国議会間総会勲章を受章。