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ムスタンジド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ムスタンジド
يوسف المستنجد بالله
カリフ(アミール・アル=ムウミニーン)
在位 1160年 - 1170年

出生 1124年
死去 1170年12月20日
子女 ムスタディー
家名 アッバース家
王朝 アッバース朝
父親 ムクタフィー
宗教 イスラム教スンナ派
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ムスタンジド1124年 - 1170年12月20日)は、アッバース朝の第32代カリフ(在位:1160年 - 1170年)。

生涯

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第31代カリフ・ムクタフィーの子。1160年、父の死で跡を継いだ。税の軽減と悪法の取り消しを行ったが、私領地の特権を廃してハラージュ地に戻したために、国内のシーア派から恨みを買った。1170年に難病にかかると、重臣たちのクーデターによって風呂場で絞殺された。

ムスタンジドの時代に2人の人間が宰相(ワズィール)を務めた。治世の前半は父の時代からのワズィール、イブン・フバイラに国政について諮り、父の代からの変わらぬ忠誠を称えた[1]。1165年にフバイラが没した後、ワーシトの監察官から宰相に抜擢したイブン・アルバラディーを重用した。政務の権限を委ねられたアルバラディーは強大な権力を持ったが、次代のムスタディーの即位に伴い処刑された。

脚注

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  1. ^ イブン・アッティクタカー『アルファフリー―イスラームの君主論と諸王朝史』2巻(池田修、岡本久美子訳)、243-244頁

関連文献

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  • 『岩波イスラーム辞典』(岩波書店、2002年2月) - アッバース朝の歴代カリフの系図が収録されている

参考文献

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  • イブン・アッティクタカー『アルファフリー―イスラームの君主論と諸王朝史』2巻(池田修、岡本久美子訳、東洋文庫、平凡社、2004年9月)
先代
ムクタフィー
アッバース朝
1160年 - 1170年
次代
ムスタディー