ポロツク年代記

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ポロツク年代記ロシア語: Полоцкая летописьベラルーシ語: Полацкі летапіс)は、12世紀ポロツク(ポラツク)で編纂されたと考えられている、仮説上のルーシの年代記(レートピシ)である。S.ソロヴィヨフ、V.パシュト(ru)、L.アレクセエフ(ru)らの説では、ポロツク年代記の記述はキエフ年代記に組み込まれたとされている。

仮説では、キエフ年代記の1159年前後の頁における、ポロツクの人々によってロスチスラフが追放され、ログヴォロドポロツク公位に就いたことを述べる記述の形成に、ポロツク年代記が有益な情報をもたらしたとされている。挿話は鮮明で詳細な目撃談を元に構成されたとみなされる。また、イパーチー年代記の1180年前後の頁の[注 1]、ポロツク諸公、キエフ大公チェルニゴフ公らによる、当時スモレンスク公ダヴィドに従属していたドルツク公国遠征に関する挿話も、ポロツク年代記に拠るとみなされている。ポロツク公国領域内における出来事の正確な日付、ポロツク諸公の一覧などの詳細な記述を根拠とするものである。

脚注[編集]

注釈

  1. ^ イパーチー年代記の1118年から1200年にかけての記述は、キエフ年代記を主要史料として編纂されたと考えられている[1]

出典

  1. ^ 中澤敦夫「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(1) : 『原初年代記』への追加記事(1110~1117年)」『富山大学人文学部紀要』第61巻、富山大学人文学部、2014年8月、233頁、CRID 1390853649736563968doi:10.15099/00000292hdl:10110/12937ISSN 03865975 

参考文献[編集]

  • Майоров А. В. О Полоцкой летописи В. Н. Татищева // Труды отдела древнерусской литературы Института русской литературы (Пушкинский дом). СПб., 2005, Т.57
  • Белазаровіч В. А. Гістарыяграфія гісторыі Беларусі: вучэб. дапаможнік; Установа Адукацыі «Гродзенскі Дзярж. Ун-т імя Я.Купалы». — Гродна : ГрДУ, 2006. — С.33, 34
  • Powierski Jan. Księżniczka pomorska w Połocku // Pomorze słowiańskie i jego sąsiedzi X—XV w. — Gdańsk, 1995. S. 93—119.