ベアトリーチェ・ディ・サヴォイア (サルッツォ侯妃)

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ベアトリーチェ・ディ・サヴォイア
Beatrice di Savoia
Beatrice of Savoy as Hippolyte.jpg
ヒッポリュテーに扮するベアトリーチェ

出生 1223年3月4日以前
死去 1259年以前の5月10日
配偶者 サルッツォ侯マンフレード3世
  マンフレート・フォン・ホーエンシュタウフェン
子女 アラシア
トンマーゾ1世
アニェーゼ
マルゲリータ
コンスタンツェ
家名 サヴォイア家
父親 サヴォイア伯アメデーオ4世
母親 マルグリット・ド・ブルゴーニュ
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ベアトリーチェ・ディ・サヴォイアイタリア語:Beatrice di Savoia, 1223年3月4日以前 - 1259年以前の5月10日)は、サヴォイア伯アメデーオ4世とその最初の妃マルグリット・ド・ブルゴーニュの娘[1]サルッツォ侯マンフレード3世の妃。また、のちにシチリア王となるマンフレート・フォン・ホーエンシュタウフェンと結婚した。

生涯[編集]

ベアトリーチェは両親の2人の娘のうちの長女で、同母妹マルゲリータはモンフェッラート侯ボニファーチョ2世と結婚した。母の死後、父はチェチーリア・デル・バルツォと再婚しボニファーチョおよびベアトリーチェが生まれた。

ベアトリーチェは生まれてまもない1223年3月4日にサルッツォ侯マンフレード3世と婚約した。この婚約は一旦破棄されたが、1227年10月2日に新たに婚約が成立した。その日に署名された契約書には、ベアトリーチェの持参金に関して言及されていた[2]。2人は1233年3月に結婚し、この結婚生活は1244年に夫マンフレード3世が死去するまで続いた。ベアトリーチェには以下の4子が生まれた(うち下2人は双子でマンフレード3世の死後に生まれた)。

マンフレード3世の死からわずか2年後の1246年5月8日、ベアトリーチェは神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世の庶子でおそらく愛妾ビアンカ・ランチアの息子のマンフレートと婚約した。この結婚はベアトリーチェの父アメデーオ4世と皇帝フリードリヒ2世の同盟のために決められた[3]。2人の代理結婚は1247年3月に行われ、結婚契約書は1247年4月21日に署名された。マンフレートとベアトリーチェの間には1女コンスタンツェ(1249年 - 1302年)が生まれた。コンスタンツェはアラゴン王ペドロ3世と結婚し、アルフォンソ3世ハイメ2世およびイサベルの母となった。

1253年5月24日付のベアトリーチェの父の遺言において、ベアトリーチェの相続権は異母弟のために考慮されなかった。この遺言にはベアトリーチェの2番目の夫マンフレートについて言及されていないため、おそらくこの結婚はすでに破綻していたとみられる[4]。ベアトリーチェは1259年以前に死去した。夫マンフレートは1258年にシチリア王となり、ヘレナ・アンゲリナ・ドゥーカイナと再婚した。

脚注[編集]

  1. ^ Guichenon, Samuel (1660) Histoire généalogique de la royale maison de Savoie, vol. 1, p. 273.
  2. ^ The Inventory of the State Archives of Turin, volume 25, page 13, fascicule 4.
  3. ^ Wurstenberger, Ludwig (1858) Peter der Zweite, Graf von Savoyen, Markgraf in Italien, sein Haus und se ine Lande. Vol. IV, 194, p. 106.
  4. ^ SAVOY, Medieval Lands "BEATRIX de Savoie"、2022年9月23日閲覧