ブランカ・デ・ポルトゥガル (1198-1240)
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ブランカ・デ・ポルトゥガル Branca de Portugal | |
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出生 |
1198年 ポルトガル王国 |
死去 |
1240年ごろ カスティーリャ王国、グアダラハラ |
埋葬 | ポルトガル王国、コインブラ、サンタ・クルース修道院 |
家名 | ブルゴーニュ家 |
父親 | ポルトガル王サンシュ1世 |
母親 | ドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナ |
ブランカ・デ・ポルトゥガル(ポルトガル語:Branca de Portugal, 1198年 - 1240年ごろ[1])は、ポルトガル王女(インファンタ)。
生涯
[編集]ポルトガル王サンシュ1世とドゥルセ・ベレンゲル・デ・バルセロナの第8子。ベレンガリアと双子とも考えられている[1]。父王とその愛妾マリア・パイス・デ・リベイラ("a Ribeirinha")により宮廷で育てられた。ブランカは8歳か10歳のころに、姉たちとともに住むためロルヴン修道院に送られた。後にグアダラハラ修道院の修道女となった。1240年ごろに死去し、母が埋葬されていたコインブラのサンタ・クルース修道院に埋葬された[2]。
脚注
[編集]- ^ a b Rodrigues Oliveira 2010, p. 85.
- ^ Rodrigues Oliveira 2010, pp. 85, 92.
参考文献
[編集]- Rodrigues Oliveira, Ana (2010) (ポルトガル語). Rainhas medievais de Portugal. Dezassete mulheres, duas dinastias, quatro séculos de História. Lisbon: A esfera dos livros. ISBN 978-989-626-261-7