フリスチナ・ウラジミルスカヤ

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フリスチナ・ウラジミルスカヤロシア語: Христина Владимирская、1219年頃 - 1238年)は13世紀前半のウラジーミル大公国の公女である。同国の公子ウラジーミル(ru)ウラジーミル大公ユーリーの子)の妻となったが、1238年モンゴルのルーシ侵攻によるウラジーミル陥落(ru)の際に死亡した。

フリスチナは正教の聖人(Благоверная(ru))とされているが、信頼に足る肖像画やイコン、またアカフィクト(ru)(Акафист / 賛美歌[1])、聖人伝(Житие(ru))などは残されていない。帝政ロシアの歴史家ヴァシリー・タチシチェフ(ru)は、別の伝説的な同国の公女マリヤ・ウラジミルスカヤと同様に、フリスチナの存在を否定している。さらにタチシチェフは、ウラジーミル大公ユーリーは1236年に、息子のウラジーミルをムスチスラヴナという女性と結婚させたとしており、ニコライ・カラムジン、セルゲイ・ソロヴヨフ(ru)ら帝政ロシア期の歴史家の著作の中にも、ムスチスラヴナ・ウラジミルスカヤという名が見出される。

いずれにせよ、モンゴル帝国軍によって殺害された公妃が、フリスチナという名で、正教会により1645年致命女として聖ウラジーミル大聖堂(ru)[注 1]の聖列に加えられた[2]。その記憶日ユリウス暦の6月23日(グレゴリオ暦7月6日)と定められている。

脚注[編集]

注釈

  1. ^ 「聖ウラジーミル大聖堂」はロシア語: Собор Владимирских святыхの直訳による。

出典

  1. ^ 井桁貞義『コンサイス露和辞典』p10
  2. ^ Собор Владимирских святых

参考文献[編集]

  • 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年