フネリック

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フネリック
Huneric BMC 012 (cropped).jpg
フネリックの肖像が彫られたコイン
在位 477年 – 487年12月23日

死去 484年12月23日
配偶者 エウドキア
子女
父親 ガイセリック
宗教 アリウス派
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フネリックフンネリックホネリック (ラテン語: Huneric/Hunneric/Honeric 484年12月23日没) は、北アフリカのヴァンダル王 (在位: 477年 - 484年)。ガイセリックの長男である。父の時代の強硬な対外政策を改め、外交に尽力した。妻は西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世リキニア・エウドクシアの娘エウドキア英語版で、間にヒルデリック英語版が生まれている。

ヴァンダル王として初めて「ヴァンダル人アラン人の王」という正式称号を用いた。しかし、その威信はかつて地中海の覇権を争い、西地中海の島々を征服した父ガイセリックには及ばなかった。

生涯[編集]

ヴァンダル王ガイセリックの長男として生まれたフネリックは、435年に父が西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世と条約を結んだ際に人質としてイタリアへ送られた。477年1月25日にガイセリックが死去すると、その王位を継いだ。妻はウァレンティニアヌス3世の娘エウドキア英語版だった[1]

治世[編集]

フネリックは熱心なアリウス派の信奉者だったが、当初はローマ人領民にもいくらか譲歩することがあった。東ローマ帝国からアレクサンデル率いる使節団が到来した時、フネリックは父ガイセリックが没収したカルタゴの商人たちの財産を返還した[2]。またニカイア派に対する迫害をやわらげ、彼らが宗教会議を開催しエウゲニウス英語版を24年間空位だったニカイア派のカルタゴ司教に据えるのを容認した[3]

しかしエウゲニウスの聖職受任から間もなく、フネリックは方針を翻してカトリック迫害を再開した[4]。さらにカトリック教徒の財産没収を試み、これが東ローマ皇帝の激しい抗議を受け頓挫すると、代わりに多数のカトリック教徒を辺境へ追放した。484年2月1日、フネリックはカトリック司教たちとアリウス派司教たちの会談を開催した(カルタゴ教会会議英語版)が、2月24日には力ずくでカトリックの司教たちを廃位し、何人かをコルシカ島へ追放した。前プロコンスルウィクトリアヌスや、フルメンティウスをはじめ裕福な商人たち英語版らも、アリウス派への改宗を拒んだためにハドルメトゥム英語版で殺害された[5]タプススの司教だったウィギリウス英語版はこの時追放され、後にアリウス派に反駁する論文を著した。

さらにフネリックはハスディンギ英語版の王族を多数殺害し、マニ教も弾圧した[6]

フネリックの死と遺体の腐敗を描いたエングレービングヤン・ルイケン英語版画、1685年)

治世の終盤、オーレス山地英語版(現アルジェリア)のムーア人が反乱を起こし、ヴァンダル王国から独立した[7]

484年12月23日、フネリックは死去し、甥のグンタムンド英語版(在位: 484年 - 496年)が跡を継いだ。同時代人のウィクトル・ウィテンシス英語版が書いたHistoria persecutionis Africanae Provinciae, temporibus Genserici et Hunirici regum Wandalorum (ヴァンダル人の王ガイセリックとフネリックの時代のアフリカ属州での迫害についての歴史)によれば、フネリックの遺体は腐敗して膨大な蛆虫がわいていたという。ただし、この内容は後世になって付け加えられたものである可能性もある[8]

脚注[編集]

  1. ^  この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Hunneric". Encyclopædia Britannica (英語). 13 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 932.
  2. ^ Malchus, fragment 13.
  3. ^ Victor of Vita, 2.3-6; translated by John Moorhead, Victor of Vita: History of the Vandal Persecution (Liverpool: University Press, 1992), pp. 25f
  4. ^ Victor of Vita, 2.23-46; translated by Johp Moorhead, pp. 32-40
  5. ^ Saint Patrick's Church: Saints of March 23
  6. ^ Persecution of the Hasdingi: Victor of Vita, 2.12-17; translated by John Moorhead, pp. 28-30.
  7. ^ Procopius, De Bellus III.8.5.
  8. ^ Victor of Vita: History of the Vandal Persecution. Liverpool University Press. (2006). p. xvi. ISBN 0-85323-127-3. https://books.google.com/books?id=N_usIGzl5SwC&pg=PR16 

関連項目[編集]