ファイル‐ノート:Company history of Nagoya Railroad (railway operator).svg

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※この画像はコモンズにアップロードした画像ですが、内容の吟味は主にウィキペディア側で行われている事からこちらに作成しました。

内容について[編集]

参考文献のうち『名古屋鉄道社史』『名古屋鉄道百年史』『日本鉄道旅行歴史地図帳 7号 東海』が主要文献で、図中の年月日などはほとんどこれらから参照しています。『東海地方の鉄道敷設史 II』は築地電軌関連(以前から築地電軌にあった記述で、この記事自体が昔ながらのGeneral Reference式で具体的でなく、もしかしたら他の著書にも記載があるかもしれませんが、作成当時とりあえずこの本に載ってたので出典に採用しました)、「豊橋鉄道」は豊橋電気軌道・豊橋交通の補完のために使用しました。「中京圏の鉄道網の形成」はどの部分に使ったかいまいち覚えていませんが、主要文献で言葉足らずな部分の補完だったと思います。

実質的には主要3文献の中で一番古い社史が全てのベースであり、他2つはそもそもその内容自体が社史から参考にしているところが大きいと思われます。また世間でよくみかけるこの手の名鉄前身事業者の図の多くは(独自の主張がない限り)同じように孫引きされていると見ていいでしょう。ゆえにWikipediaで別出典を用意して期日などを修正していくと「世間でよくみかける日付」と違うことに疑問に思う方も現れるでしょうから、修正の記録としてここで総括することにしました。具体的な議論を行う場所についてはここでも関連記事のノートでもどちらでも構いません(ここで行う場合は以下に場所を設けたのでここにぶら下げずそちらへお願いします)。後者の場合は議論先をリンクしておきます。--ButuCC+Mtp 2020年5月18日 (月) 12:19 (UTC)[返信]

改訂記録[編集]

  • 2019年9月26日改訂
    • 愛知馬車鉄道設立日変更(1908.8.31 → 1906.10.3)
    • 尾張電気軌道設立日変更(1910.12 → 1910.12.15)
    • 新三河鉄道設立日変更(1927.9.11 → 1927.8.27)
    • 新三河鉄道→三河鉄道譲受日変更(1937.10.22 → 1937.12.16)
    • 新三河鉄道解散日変更(1937.12.16 → 削除)
    • 岡崎電気軌道→三河鉄道合併日変更(1927.4.16 → 1927.7.19)
  • 2020年5月15日改訂
    • 遠三鉄道→愛知電気鉄道譲受日変更(1930.10.30 → 1931.4.2)
    • 東濃鉄道→東美鉄道譲受日変更(1926.9.24 → 1926.9.23)
  • 2020年5月21日改訂
    • 名古屋電気鉄道解散日変更(1922.9.27 → 削除)

議論[編集]

関連記事のノート チェック は解決済、未了は未解決を示す

利用者‐会話:ButuCCより[編集]

画像編集依頼 (1)

ファイル:Company history of Nagoya Railroad (railway operator).svgについて、(尾張電気軌道の前身である方の)愛知馬車鉄道の設立日、岡電と三河鉄道の合併日、新三河鉄道から三河鉄道への譲渡日を修正いただけないでしょうか。--210.48.133.123 2019年9月26日 (木) 01:06 (UTC)[返信]

すみません、愛知馬車鉄道から尾張電気軌道への改名日についても同様にお願いします。--210.48.133.123 2019年9月26日 (木) 02:04 (UTC)[返信]

ありがとうございます。--210.48.133.123 2019年9月27日 (金) 03:24 (UTC)[返信]

画像編集依頼 (2)

ファイル:Company_history_of_Nagoya_Railroad_(railway_operator).svgについて、東濃→東美の譲渡日が記事中9月23日となっている一方で画像では9月24日となっている点、遠三→愛電の譲渡日が官報と異なる点について調整をお願いします(根拠があれば記事側の修正でもよいです)。--210.48.133.123 2020年5月15日 (金) 00:38 (UTC)[返信]

ありがとうございます。--210.48.133.123 2020年5月18日 (月) 03:06 (UTC)[返信]

ところで、画像中知多鉄道の設立日はどの資料によるものでしょうか。記事では11月設立総会とあり、これが事実ならそれ以前に登記申請はできないはずなのですが…前後ともに調べましたが設立登記がまだ見つかっていません。--210.48.133.123 2020年5月18日 (月) 04:46 (UTC)[返信]

画像の期日は原則として参考文献に掲げている資料のいずれかから引用していますが、知多鉄道についてはオーソドックスに社史からですね。どうやら知多鉄道方の内容に誤字があるようで、社史302頁には「昭和2年10月」とあります。--ButuCC+Mtp 2020年5月18日 (月) 12:19 (UTC)[返信]
ありがとうございます。--210.48.133.123 2020年5月19日 (火) 02:59 (UTC)[返信]

名古屋電気鉄道解散日[編集]

「市内線を名古屋市へ引渡しを終わり、8月1日解散するにあたり」(社史97頁)、「明治27. 6. 25 会社設立 大正11. 8. 1.会社解散」(同625頁)とあるので解散日は市内線譲渡と同日ですね。では9月27日は何の日かというと「臨時株主総会において会社解散事項報告の件を承認可決」(同742頁)だそうで、(会社制度に詳しくないのでググったりして確認しただけですが)これは解散した後に行われる清算手続の一つという事でしょうか。なので記事の方は解散日とは別に9月27日のことを書いても良いと思いますが、こちらの図は譲渡日と同一という事で記載割愛ということになりそうです。--ButuCC+Mtp 2020年5月18日 (月) 12:19 (UTC)[返信]

解散登記後に解散について決議することはありませんから、最も重要な「何をした」を想像で補って記載することは不適当です。今後資料が増えていけばわかりませんが、現時点では単純に不採用とせざるを得ません。--210.48.133.123 2020年5月18日 (月) 23:39 (UTC)[返信]
9月27日は解散決議ではありません。文字通り「会社解散事項報告の件を承認可決」であって、解散決議は1921年(大正10年)10月8日です(「臨時株主総会において譲渡契約書承認と会社の解散を決議(740頁)」、本文編では8日の総会の紛糾について2頁を割いて言及)。8月1日解散と解散登記日について特に異論はなかったので解散決議については先日時点では確認していませんでした。言葉足らずですみません。
  • 9月27日「臨時株主総会において会社解散事項報告の件を承認可決」(742頁)
  • 11月20日「臨時株主総会において名古屋電気鉄道株主に対し名古屋市公債及び交付金を交付の件可決」(742頁)
  • 「清算事務が全く完了したのは、昭和10年4月30日であった」(98頁)
8月1日以降の上記の出来事はすべて清算の一環と考えています。企業史的側面は百年史の方が内容が濃かった気がするので、図書館が再開したらそちらも確認してみたいと思います。--ButuCC+Mtp 2020年5月19日 (火) 09:10 (UTC)[返信]

この件に限ったことではないのですが、本文に事実として「~があった。ref○○」と記載するためにはその出典がその内容に対して直接合理的な説明を与えられるものでなければいけません。「~と○○に記述されている」であれば記述そのものを事実として記載の対象にしていることがわかりますので、合理性を読者が判断することができます。両者の使い分けが必要です。それから小垣江駅の鬼瓦の件でもそうなのですが、出典に記載された記述の一部分を生かす形にする場合、必ず採用しなかった部分について注釈すべきと考えています(出典の合成を避けるため)。例えば三河鉄道合併の件では、債権者保護公告の文面上の日付が本文と異なること、官報の登記原因日が本文と異なることを注釈しています。本件について仮に清算の一環という結論を出した場合、「~と社史に記述されている(注釈:清算云々)」方式にするか、「清算の一環として○○が決議(注釈:社史には「会社解散事項報告の件を承認可決」とある)」方式にするか、いずれかでお願いしたいです。年表に記載する場合は後者一択ですね。--210.48.133.123 2020年5月20日 (水) 01:46 (UTC)[返信]

各種資料間ですり合わせができず複数の説が生じている場合は本文や注釈に文献名(出典元)を登場させ、それぞれ何に依る説なのかを説明する必要があると思いますが、本件の場合は社史内で「前年10月8日解散決議→8月1日解散→9月27日に総会」という一連の流れが記載されているので複数出典の合成ではありませんし、そこに官報の「8月1日解散、9月22日登記」が入り込んでも矛盾は生じないことからそのような弁明をしなければならない場面とも思いません。解散しても清算手続きがあるので解散日以後に株主総会が開催されていること自体は問題ありませんし、解散決議が解散日よりも前に行われたことも同一文献上で明記されている(740頁ほか)のですから、「会社解散事項報告の件(742頁)」というのが矛盾の原因となる解散決議ではないことは明らかでしょう(社史97-98頁に8月1日以降の残務について言及されているので解散時に清算結了していないのも確実です)。もちろん、内容をはっきりさせるために百年史など他文献の確認作業には努めようと思いますし、本文への反映はその後にしようと思いますが…。
とりあえず解散後の記述については今後の課題として、解散日が8月1日であることに問題はなさそうですから、画像の方は修正します。--ButuCC+Mtp 2020年5月20日 (水) 13:39 (UTC)[返信]

私は解散登記後の「会社解散事項報告の件を承認可決」が単体で意味が通じない内容と考えており、ゆえにそのような弁明が必要と考えています。そもそも取締役会設置会社において株主総会の決議が必要なのは法律か定款で定められた場合だけです。平行線なので必要に応じて第三者の意見を求めることになるでしょう。--210.48.133.123 2020年5月20日 (水) 23:38 (UTC)[返信]

私は承認可決というのは形式的なもので単純に(9月22日に解散登記した直後なので)清算人が解散を実施したことを総会で株主に報告しただけと読みました。とりあえず本筋の画像変更は解決しましたので、この件については他文献での言及を確認してからノート:名古屋電気鉄道の方で改めて纏め要と思います。先に述べた通り私は会社制度に精通しているわけではないので第三者のコメント募集は大歓迎です。--ButuCC+Mtp 2020年5月21日 (木) 10:34 (UTC)[返信]

議論継続のため、ノート:名古屋電気鉄道に転記しました。以降はそちらでお願いします。--210.48.133.123 2020年5月26日 (火) 23:40 (UTC)[返信]