ピーテル・ポッテル

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ピーテル・ポッテル
Pieter Potter
自画像とされる肖像画 (1634)
誕生日 (1597-04-18) 1597年4月18日
出生地 エンクホイゼン
死没年 1652年10月4日(1652-10-04)(55歳)
死没地 アムステルダム
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ピーテル・シモンスゾーン・ポッテル(Pieter Symonsz. Potter、1597年4月18日頃 - 1652年10月4日)は、オランダの画家、版画家、ステンドグラス作家、工芸家である。

略歴[編集]

オランダ西部、エンクホイゼンでガラス工芸家の息子に生まれた[1]

父親から技術を学び、ステンドグラス制作者としてエンクホイゼンで働くようになった。ウィレム・バルツィウス(Willem Bartsius: 1612-1657)というエンクホイゼンの画家の姉と結婚し[2]、1925年に画家になった息子のパウルス・ポッテル(1625-1654)が生まれた。1628年から1631年の間はライデンで、職人組合に入会し、1629年には組合長を務めた。静物画家のヤン・ダーフィッツゾーン・デ・ヘームと親しくなり、その息子のコルネリス・デ・ヘーム(c.1631-1695)の洗礼式の立会人を務めている。1631年にアムステルダムに移り、その後も家族とデルフトなどいろいろな町で働き、息子のパウルス・ポッテルは1647年にデン・ハーグ聖ルカ組合の会員になっている[2]

風俗画を描いたアムステルダムの画家アントニー・パラメデスゾーン(1602-1673)やレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)と同時代の画家で、同じような雰囲気の風俗画を描いたことで知られている。

1652年にアムステルダムで亡くなった。息子のパウルス・ポッテル以外に弟子がいたかどうかは知られていない。

作品[編集]

参考文献[編集]