コンテンツにスキップ

ピョートル・レイテル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2019年12月31日 (火) 05:37; Akas1950 (会話 | 投稿記録) による版 (→Check Wikipedia:Unicodeの制御文字=&#x200E (Left-To-Right Mark)の削除)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

ピョートル・レイテル (Piotr Rytel、1884年5月16日 - 1970年1月2日) は、ポーランドの作曲家、音楽教育者、音楽評論家。ヴィリニュスで生まれ、ワルシャワで没した[1]。ピョートル・リテル[2]、ピエール・リヒテル等の表記もある[3]

生涯

[編集]

レイテルは1903年から1908年までワルシャワ音楽院(現在のショパン音楽アカデミー)で、ピアノをアレクサンドル・ミヒャロヴスキー (Aleksander Michałowski) に、作曲をジグムント・ノスコフスキに学んだ。1911年のワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団創立10周年記念コンクールでは、彼の交響詩「ダンテの夢」が入賞した[4]。1911年から1939年まで彼はワルシャワ音楽院で和声と楽式論とピアノを教え、1932年からは作曲の教授となった。それと並行して1932年から1939年まで、彼はワルシャワ音楽院の芸術と学術部門の管理者の一員だった[1]

第二次大戦中には作曲家スタニスラフ・カズロ (Stanisław Kazuro) の地下音楽院で教えた。1945年から1948年にはワルシャワ音楽学校で作曲を教え、ここでの生徒にはタデウシュ・バイルト、Włodzimierz Kotoński、そしてAndrzej Markowskiがいる。同時に彼は1945年から1948年までオペラ公演の監督を務め、1946年から1947年にはワルシャワ音楽学校の副校長を務めた[1]

1956年から1961年までレイテルは、バルト海に面した都市ソポトの音楽学校で教えた。教職の外に彼は1908年から1960年代まで種々のポーランドの音楽雑誌に、芸術論や批評記事を活発に書いていた。彼は現代ポーランド作曲家協会の役員(1925‐33)、音楽演劇記者協会の副会長(1925‐35)、フレデリック・ショパン協会の副会長(1947‐55)、ワルシャワ音楽協会の会長(1948‐52)を務め、ポーランド作曲家組合のメンバーであった[1]

1937年にレイテルはポーランド復興勲章カヴァレルスキ十字勲章を、1960年にはグダニスク市の賞を受賞した[1]

作品

[編集]

ピョートル・レイテルの主な作品は次の通り[1]

  • ピアノソナタ第1番ハ短調, 1906
  • 変奏曲嬰ヘ短調 - ピアノのための, 1906
  • 変奏曲 - 弦楽四重奏のための, 1906
  • Koncert fortepianowy, 1907
  • ピアノソナタ第2番イ長調, 1907
  • Grażyna 交響詩, 1908, 1954
  • 讃歌 - ソプラノ、テノール、混声合唱、オーケストラのためのカンタータ, 1908
  • シンフォニア第1番ロ短調, 1909
  • 序曲形式の詩 - オーケストラのための, 1910
  • 叙情詩 - 交響詩, 1910
  • 「海賊」 - 交響詩, 1911
  • ダンテの夢」 - 交響詩, 1911
  • 「聖なる林」 - 交響詩, 1913
  • Legenda o św. Jerzym, 交響詩, 1918
  • Ijola, オペラ, 1927
  • Wstęp do dramatu, 交響詩, 1931
  • Faun i Psyche, バレエ, 1931
  • Andrzej z Chełmna, オペラ, 1939, 1949
  • Krzyżowcy, オペラ, 1941
  • スターリン」 - バリトン、混声合唱、オーケストラのためのカンタータ, 1949
  • シンフォニア第2番 "Mickiewiczowska" - テノール、混声合唱、オーケストラのための, 1950
  • シンフォニア第3番 - テノールとオーケストラのための, 1950
  • ヴァイオリン協奏曲, 1950
  • ピアノのための練習曲, 1950
  • 七つの前奏曲 - アコーディオンのための, 1950
  • ロマンス - クラリネットとピアノのための, 1951
  • 前奏曲とトッカータ - ピアノのための, 1951
  • 「森の中に雪が舞う」 - 無伴奏合唱のための, 1951
  • Żelazowa Wola, 交響詩, 1952
  • Śląski pierścień, バレエ, 1956
  • シューマンの主題による変奏曲 - クラリネットとピアノのための, 1957
  • アガメムノンの墓」 - バリトン、混声合唱、オーケストラのためのカンタータ, 1959
  • シンフォニア第4番 "Koncertująca" - フルート、クラリネット、ホルン、ハープ、オーケストラのための, 1960

門下

[編集]

出典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f Piotr Rytel | Życie i twórczość | Artysta” (英語). Culture.pl. 2019年4月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e 「タンスマンとギター」 (現代ギター 1999年 12月臨時増刊)
  3. ^ 松平頼則「アレクサンドル・タンスマン:現代作曲家研究」 音楽芸術 1950年5月号 p.7
  4. ^ Fryderyk Chopin - Information Centre - Piotr Rytel - Biography”. en.chopin.nifc.pl. 2019年4月16日閲覧。
  5. ^ Biography Alexandre Tansman 2019年4月14日閲覧