パーシー・フォーセット
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パーシー・ハリソン・フォーセット(英:Percy Harrison Fawcett、1867年8月18日 – 1925年5月29日に失踪)は、イギリスの元軍人、地図製作者、探検家。フォーセット大佐の通り名でも知られる。1925年、ブラジルの熱帯雨林に存在すると考えた「失われた都市Z」を探しに行って消息を絶った。
また、数々の未確認生物(巨大アナコンダ、双鼻の犬、絶滅したディプロドクスの生き残りなど)との遭遇談でも知られる[1]。
生い立ち
[編集]1867年8月18日イギリスのデボン州トーキーで生まれる[2]。父親は堕落した貴族のエドワード・ボイド・フォーセットで母親はマイラ・エリザベスといった[3]。フォーセット家は、ヨークシャー地方の古い貴族の家系で、18世紀後半から19世紀にかけては東インド諸島で海運王として名を轟かせた[4]。
フォーセットは幼少期から冒険や古代文明の本をよく読んでいたといい[5]、自分の手で建造した帆船で失われた古代文明を発見しに行くことを夢見ていた[6]。
学生時代は厳格で抑圧された環境の中、ラグビーやボクシングなどのスポーツに熱中し、クリケットでは地元新聞に載るレベルの腕前を見せた。陸軍士官学校時代には寒空の下で手足を露出させたり、熱棒を皮膚に押し付けるなどの拷問を受けて根性を鍛えた[7]。
やがて英国陸軍に入隊すると、故郷イギリスを離れ当時の植民地スリランカへ駐屯することになった。
スリランカでの生活
[編集]1886年、スリランカに降り立った。港ではブッダの像を持った修行僧に出会った。僧は彫像をフォーセットに手渡して「この像は黄色の繊維物で包んでおくこと、そして、誰にも見せずに常に持ち歩くこと」を伝えたという[8]。
フォーセットはフレデリック要塞に駐屯することになった。また、ある時には、自転車でセイロン島を横断した。1888年5月18日、船上で開催されたパーティーにて未来の妻ニーナ・パターソンと出会う。
フォーセットは植民地長官がスリランカの村人から譲り受けた手紙を持っていた。その手紙には岩の上の岩(Gala pita gala)と呼ばれる場所にある洞窟にキャンディ王国の財宝が隠されていると記されていた。現地のイギリス人コミニティに馴染めず、経済的にも困窮していたフォーセットは一攫千金と冒険を求めて財宝探しを開始した。
ある日、ジャングルで遺跡を見回っていたところ解読不能の文字が刻まれた遺跡を発見した。フォーセットはその文字を摸写して研究機関に送信したところアショーカ王の時代の暗号文字だと判明した。彼はニーナと結婚してスリランカに戻ってきた時もジャングルの中にあるアショーカ王時代の遺跡や文字を探し回っていた。
その後、フォーセットはイギリスの地理学協会に入会し探検家としての道を歩み出す[9]。
国境線の画定
[編集]1906年の任務
[編集]硝石戦争で多数の犠牲者を出したペルーとボリビアの争いに端を発して近隣のブラジルを入れた3か国は合同で国境画定委員会を設置して国境線を定めようとしていた[10][11]。しかし、該当地域は鬱蒼としたジャングルに覆われており、先住民の襲撃にも対応しなければいけなかった。そこで3国は、王立地理学協会にこのような土地で地図製作の任務を実行できる人材の派遣を求めた。
ジョージ・トーブマン・ゴールディ会長はフォーセットを呼び出して、当時のボリビアには地図にない土地がたくさんあることを説明して、国境争いは戦争のきっかけになりうるといい、フォーセットに未踏のジャングルでの地図製作という任務を請け負って貰いたいと頼み込んだ[11]。フォーセットは、この申し出を快諾した。
南米に向かう船の船内では副隊長のアーサー・ジョン・チーヴァスと合流した[i][12]。フォーセットは船内でスペイン語の勉強に力を入れた[13]。途中で寄港したサラベリーのシムスという町では、財宝伝説を耳にした。この町に隠されている財宝には「小魚」と「大魚」の2種類があり、小魚の方は既に発見され、2000万ドルの価値だと査定されていた[14]。大魚は小魚を超える財宝だということでフォーセットは財宝探しに出掛けようとしたが、伝染病に感染する危険があることから上陸は許されなかった。
船はペルーのカヤオにたどりついた。ここから、ボリビアのラパスまで移動した。その頃、次男のブライアンが誕生。ラパスでは、仕事の報酬額を巡ってボリビア側と一時的に対立したが、英国領事の介入によって大事に発展せずに済んだ。1906年7月4日、チーヴァスと共に出発した。
雪山で散々な目に合いながら、低地のジャングルに降りていった。そこには、ゴム採取人の開拓地が広がっており、その町の一つリベルタに到着した。この町でフォーセットはゴム採取人が先住民を奴隷にして労働力にしていることを知り、採取人を批判すると共に西洋人に敵対心を持った先住民が増えることで探検に悪影響が及ぶことを心配した[15]。1906年9月25日、リベラルタで20人を補充して、ボリビアとブラジルの間の国境線を計測するための探検に出発した。
途中でマラリアに感染したチーヴァスらをリベラルタに送り返しながら、ブラジルとボリビアの国境の間を流れるアブナ川に到着した。アブナ川を航行中のフォーセットは、体長18メートル以上と目算される巨大アナコンダに遭遇した[16]。フォーセットは44口径ライフルを一発アナコンダに食らわせたが、先住民に攻撃を制止されたため、それ以上の追撃は行わなかった[17]。作家のデイヴィッド・グランは、アナコンダの身体の大部分は水中にあったため、体長が18cm以上と言うのは無意識的な誇張であろうと述べている[16]。
フォーセットは、既存の動物学上では知られていない不思議な動物を他にも報告しており、例えばフォックス・ハウンドほどの大きさの猫のような小型犬(2回見たと主張している)や、多くの地元民を毒牙にかけたと言われる巨大な毒グモ・Apazauca spiderなどがそれにあたる[18][19]。
フォーセットらは、こういう冒険を続けて国境線を画定した。
1913年~1914年のボリビア探検
[編集]1913年春、フォーセットはヘンリー・コスティンとトッドという男を連れてボリビアのラパスに到着した[20]。出発してすぐに到着したトゥムバサという町では、銀山の調査を試みたが上手くいかなかった。その先のトゥイチェ川周辺では、ルレナバケで拾ってきたテキサス人のロスが襲いかかってきた毒ヘビを見事に撃ち抜いた。
トゥイチェ川にたどり着いた一行はこの川をバルサで作った筏で下ることにした。そこでフォーセットとコスティンは食料の調達に出かけることになった。フォーセットはその道中で死角から飛び出してきた毒ヘビに襲われたが不思議な体験によって無傷で済んだという。いわく、死角から襲いかかってくる毒ヘビを「内なる自分」が正確に感知したのみならず、体を勝手に動かして毒ヘビの攻撃から(フォーセットの)身を守ったという[21]。
筏は2つ作られて、フォーセットとコスティン、トッドとロスの組み合わせでそれぞれ分乗した。しかし、川下りを始めてしばらくすると、前方から滝の音が聞こえてきた。先行していたフォーセットは後方の船に注意を呼び掛けたが、自船は川の流れに逆らうことが出来ず、約6メートルほどの高さの滝から落下してしまった[21]。
幸運なことに落下したフォーセットとコスティンの両名は無事で後方の船も滝を上手いこと回避した。
一行は川下りを中止してルレナバケに戻ってからロスと別れた。そして、サンタ・クルス・デ・ラ・シエラに向かった。ルート上にあるモホス平原は牛が走り回っているため徒歩では危険だということで牛車に乗って移動することになった[22]。フォーセットはモホス平原を移動する中で古代の土木工事の痕跡らしきものを発見した[23]。
平原にあるポトレロという町では、「メルカチフレロ」なる行商人が怪しい薬を売っていると報告している。そうこうしている内に、一行はサンタ・アナにたどり着いた。この町でフォーセットは、いわゆる未確認生物(UMA)の「双鼻の犬」を発見した[24]。この町からラス・フンタスに向かうためマモレ川をモーターボートに乗って遡っていった。
ラス・フンタスからさらに港があるクァトロ・ホハスまで牛車で進んだ。その道中、ガラパタ・ド・チャンという有毒のシラミに集られた。サンタ・クルスに到着した一行はここからコチャバンバに次の進路を定めたが、すぐに出発するのではなく、1ヶ月間を休息に充てることにした。
サンタ・クルスには子供を育てられなくなった親が町中に子供を捨てておき、辺りを徘徊しているブタに食べさせるという習慣が少し前まで残っていた[25]。また、フォーセットは、イギリス人のウォーカーという男が強盗殺人の罪で公開処刑(銃殺)されるのを目撃している[26]。
2人は町のホテルに泊まり、フォーセットは一軒家を借りて住むことにした。その家はいわゆる幽霊屋敷で心霊現象やポルターガイスト現象に悩まされた。消灯して眠っていると壁を叩く音、本が空中を舞う音、家具が倒れる音、ニワトリの鳴き声、足音などが聞こえ始めるが、いざ、明かりをつけてみると、そういった現象は収まるという[27]。
フォーセットはこれらの心霊現象に耐えられなくなり、ホテルに泊まることした。その後、病気が悪化したトッドをラパスに送り返してから、一行はコチャバンバに向かった。コチャバンバへは、鉄道に乗って入っていった。フォーセットはコチャバンバには夜行性の吸血ゴキブリ「ブイチンチャ」が生息していると書いているが、これは、いわゆる未確認生物(UMA)である[28][1]。
サカンバヤ川とインクイジヴィ川の合流地点にあるサカンバヤには、イギリス人のウィリアム・トレディンニック(William Tredinnick)[29]という、いわゆるトレジャーハンターがおり、彼はこの地でイエズス会士が竪穴に埋めたとされる埋蔵金を探していた[30]。その後、ラパスに戻ってから、1913年のクリスマスをこの町で過ごした。
マスビ族との遭遇
[編集]一行はラパスからコチャバンバを経由してサンタ・クルスに到着した。フォーセットはサンタ・クルスで破綻しかけた医療制度を目にし、政府主導で保険制度を構築する必要性を説いている[31]。フォーセットはこの町で家と土地を格安の値段で買ってから、1ヶ月をそこで過ごした。
そのうち、トッドをラパスへ送り返した時に代わりの人員として派遣を要請していたヘンリー・マンレーがサンタ・クルスに到着した[32]。人員が揃ったところで一行はボリビアとブラジルの国境地帯に向かった。
グランデ川を渡り、熱帯雨林を約160km(100マイル)進んだあと、荒廃した町・サン・イグナシオにたどり着いた[32]。ここから先は太陽光が(ほぼ)射し込むことがない暗黒のジャングルで、その地面には歩行を難しくする深さのある泥が広がっていた[33]。そして、光を追い求める熱帯性のツルがその泥状の地面を覆っていた。一行は泥に脚を吸われながらも、6日間かけて密林を進んで行くと、やがて沼地に浮かぶヘビだらけの島に出た[34]。
ヘビの島を後にするとバルバドス川を渡りプエルト・バストスにいる国境画定時代の友人と再開した[35]。フォーセットは、この友人から出来の良い舟をもらった。そして、以前立ち寄ったことのあるヴィラ・ベラから11日間の船旅を開始してグアポレ川をメクエンス川(Mequéns River)との合流地点まで遡った[36]。
合流地点の周辺にあるゴム農園では、グアポレ川流域に住むアイカナ族の調査をしていたスウェーデンの人類学者・エルランド・ノルデンスキオルド男爵とその妻・オルガに出会った[37][38]。フォーセットはメクエンス川の周辺にある沼地を徒歩で進んでいき、丘陵地帯に出てから熱帯雨林に入って行った。
3週間、その密林の中を延びている道を進むと人工的な別の道が現れた。フォーセットとコスティンは、どっちの道を進むかで議論になったが、そこにマンレーが割って入ってきて「どの道に進むかはコイントスで決めよう」と言った[39]。そして、コイントスの結果、分かれ道の方へ進むことになった。
その道を数km進むと先住民の居住地にたどり着いた。そこは、マスビ族(Maxubi tribe)の集落だった[40]。一行が到着したとき、ちょうど集落から男が出払っており、残っていた女がトウモロコシ料理をつくっていた。フォーセット、コスティン、マンレーの3名は密林の隠れ場所から出ていってこれをご馳走になった。そうこうしているうちに、男たちが集落に帰ってきて、一行を取り囲んだ。
取り囲まれたフォーセットはハンカチを一群の首長に渡して、コスティンにも「何か贈り物をするように」と命じた。すると、コスティンはマッチを取り出したのみならず、火を起こしてしまった。これは大きな失敗だったが、フォーセットのフォローでなんとか場を治めることが出来た[41]。マスビ族は一行に贈り物の返礼品を渡してきて、両者の友情関係が成立した。
「失われた都市Z」の探索
[編集]フォーセットは自身のジャングル探検での経験とブラジル国立図書館で発見した『1753年発見の......大きな隠された古代都市の史記』[ii]なる古文書の記述などから影響を受けてアマゾンの密林の中に文明の遺産が眠っていると考えるようになった。
しかし、当時の学者たちはアマゾンの過酷な環境では文明を育むだけの食料を生産することは出来ず、したがって、地球上の他の地域で発展したような文明は興らなかったと考えていた。
1920年、フォーセットは元ボクサーのルイス・ブラウンと鳥類学者のアーネスト・ホールトを引き連れてクイアバから北に出発した。早々にブラウンが脱落しホールトと探検を進めたが疲労などの理由により撤退することに決定した。フォーセットはこの探検でのちにデッド・ホース・キャンプと呼ばれることになる地点で自分の馬を撃ち殺した。
1925年、今度は息子のジャック・フォーセットとその友人ローリー・ライメル(Raleigh Rimell)を探検のメンバーに選定した。クイアバを出発してバカイリ営所を通ってからデッド・ホース・キャンプにたどり着いた。フォーセットはキャンプでニーナに向けた手紙を書いて帰還するガイドに郵送を任せた。それ以降のフォーセット一行の行方は分かってない。
次男のブライアン・フォーセットは父の手紙や手記を一冊の本に纏めた『フォーセット探検記』を出版した。
人物
[編集]- フォーセットはジャングル探検につきものの感染症を寄せ付けなかったことで知られている。フォーセットと親交のあった冒険作家トーマス・チャールズ・ブリッジスは心拍数が普通の人より少ないことがその理由だと述べた[43]。
- フォーセットは磁気の神秘的な力を信じていた[44]。
- 探検家は経済的に普通の家に生まれた者が多いと発言している[45]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b Smith, Duncan JD (2016年9月29日). “Lost In The Amazon – The Hunt For Colonel Fawcett” (英語). EuroMenTravel. 2024年3月15日閲覧。
- ^ https://www.teignheritageworldwar.org.uk/index.php/lieutenant-colonel-percy-harrison-fawcett
- ^ 『ロスト・シティZ: 探検史上、最大の謎を追え』p.42
- ^ http://web.archive.org/web/20240318163950/https://docplayer.net/156336935-Cumbria-s-encounter-with-the-east-indies-c-gentry-and-middling-provincial-families-seeking-success.html
- ^ 『アマゾンの封印』p.27
- ^ 『アマゾンの封印』p.23
- ^ 『ロスト・シティZ: 探検史上、最大の謎を追え』p.43
- ^ 『アマゾンの封印』p.24
- ^ 『ロストシティZ』p.66
- ^ 『アマゾンの封印』p.38
- ^ a b 『ロスト・シティZ』p.81
- ^ 『ロスト・シティZ』p.82
- ^ 『アマゾンの封印』p.42
- ^ 『アマゾンの封印』p.42
- ^ 『ロスト・シティZ』p.87
- ^ a b 『ロスト・シティZ』p.90
- ^ 『アマゾンの封印』p.64
- ^ Fawcett, P. H. and Fawcett, B. Exploration Fawcett (1953)
- ^ “Apazauca spider”. The Great Web of Percy Harrison Fawcett. 2024年7月1日閲覧。
- ^ 『フォーセット探検記』p.176
- ^ a b 『フォーセット探検記』p.182
- ^ 『フォーセット探検記』p.184
- ^ 『フォーセット探検記』p.185
- ^ 『フォーセット探検記』p.189
- ^ 『フォーセット探検記』p.191
- ^ 『フォーセット探検記』p.192
- ^ 『フォーセット探検記』p.194
- ^ 『フォーセット探検記』p.197
- ^ https://www.peruviantimes.com/26/atahualpas-ransom-other-treasure-fables/13455/
- ^ 『フォーセット探検記』p.199
- ^ 『フォーセット探検記』p.204
- ^ a b 『フォーセット探検記』p.205
- ^ 『フォーセット探検記』p.206
- ^ 『フォーセット探検記』p.208
- ^ 『フォーセット探検記』p.209
- ^ 『フォーセット探検記』p.210
- ^ Hein van der Voort. “Whatever happened to Mashubi? Taking a new look at Fawcett’s vocabulary”. researchgate.net. 2024年9月12日閲覧。
- ^ 『フォーセット探検記』p.210
- ^ 『フォーセット探検記』p.212
- ^ 『ロスト・シティZ』p.156
- ^ 『ロスト・シティZ』p.155
- ^ 黒沼健著『十三番目の鳩通信』(世界ノンフィクション全集第20巻付録)
- ^ 『ロスト・シティZ: 探検史上、最大の謎を追え』p.119
- ^ 『アマゾンの封印』p.136
- ^ 『アマゾンの封印』p.160
参考文献
[編集]- パーシー・H.フォーセット著、吉田健一訳『フォーセット探検記』(世界ノンフィクション全集20)1961年、筑摩書房。
- エルメス・レアル『アマゾンの封印 探検家フォーセット大佐 “インディ・ジョーンズ”真実の物語』1999年、自由國民社。
- デイヴィッド・グラン『ロスト・シティZ 探検史上、最大の謎を追え』2010年、NHK出版。