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パヴェル・チスチャコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パヴェル・チスチャコフ
Па́вел Чистяко́в
イリヤ・レーピンによる肖像画 (1902)
生誕 (1832-07-05) 1832年7月5日
ロシア、Vesyegonsky Uyezd
死没 1919年11月11日(1919-11-11)(87歳没)
ロシア、プーシキン
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パヴェル・ペトロヴィッチ・チスチャコフロシア語: Па́вел Петро́вич Чистяко́в, ラテン文字転写: Pavel Petrovich Chistyakov1832年7月5日 - 1919年11月11日)は、ロシア美術教師画家

略歴

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ロシア帝国トヴェリ州のVesyegonsky Uyezdで生まれる[1]。父は農奴出身だったが解放され自由の身になった。クラスヌイ・ホルムやのちにベジェツクの学校に通った。1849年からサンクトペテルブルクの帝国芸術アカデミーでピョートル・バシン(Pyotr Basin)に学び、在学中に発表した作品は何度もメダル受賞し、1861年には作品が最高の金メダルを受賞した。

1862年からドイツに留学したあとフランスパリイタリアローマに長期間滞在した。1870年にサンクトペテルブルクに戻ると、1872年から帝国芸術アカデミーの非常勤教授に任命され、1893年に教授となり、1893年にアカデミーの正会員に選ばれた。優れた教授メソッドで多くの弟子を育てた。教え子にはワシーリー・スリコフヴィクトル・ヴァスネツォフミハイル・ヴルーベリイリヤ・レーピンミハイル・ネステロフ等多数にのぼる。

サンクトペテルブルクの管轄下の都市プーシキンで死去した。

ギャラリ

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脚注

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外部リンク

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