パレオロゴス家
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パレオロゴス家(Palaiologos ギリシャ語表記:Παλαιολόγος )は東ローマ帝国の貴族の一つ。家名は「古い(palaio)論理(logos)」を意味する。11世紀にはコムネノス王朝の縁戚として名を連ねており、13世紀には皇帝位を世襲しパレオロゴス王朝の由来となった。東ローマ帝国最後の王朝であり、この時期にパレオロゴス朝ルネサンスが開花した。
概要
[編集]→詳細は「パレオロゴス朝」を参照
元来、東ローマ帝国の中でもコムネノス王朝の親戚筋であったことから影響力が強い名門貴族であった。そののち、ニカイア帝国がコンスタンティノポリを奪還し、カトリック勢力を駆逐したときにパレオロゴス家の人物が大いに貢献し、東ローマ皇帝の位を手に入れた。その後、東ローマ帝国の最後の中興期を治めたパレオロゴス家であったが、1453年にコンスタンティノポリの陥落で東ローマ帝国がオスマン帝国に滅ぼされると、パレオロゴス家の当主で皇帝コンスタンティノス11世パレオロゴスは戦死し嫡流は断絶した。しかし、その後もイタリア、ロシア、イングランドなどに亡命した皇族たちが血統を守り継いだ。
系図
[編集]太字は東ローマ皇帝
| アンドロニコス・パレオロゴス | テオドラ・パレオロギナ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ミカエル8世 | テオドラ・ドゥーカイナ・ ヴァタツァイナ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| イヴァン・アセン3世 ブルガリア皇帝 | エイレーネー・パレオロギナ | アンドロニコス2世 | ヴィオランテ・ディ・モンフェラート (エイレーネー) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| アンドロニコス・アセン | ミカエル9世 | テオドーロ1世 モンフェッラート侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| カンタクゼノス家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ヨハネス6世 | エイレーネー・アサニナ | アンドロニコス3世 | ジョヴァンニ2世 モンフェッラート侯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| マテオス | ヘレネー・カンタクゼネ | ヨハネス5世 | オットーネ3世 モンフェッラート侯 | ジョヴァンニ3世 モンフェッラート侯 | テオドーロ2世 モンフェッラート侯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| アンドロニコス4世 | マヌエル2世 | ジョヴァンニ・ジャコモ モンフェッラート侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ヨハネス7世 | ヨハネス8世 | テオドロス2世 モレアス専制公 | コンスタンティノス11世 | ソマス | ジョヴァンニ4世 モンフェッラート侯 | グリエルモ8世 モンフェッラート侯 | ボニファーチョ3世 モンフェッラート侯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| アンドロニコス5世 | エレニ =キプロス王ジャン2世 | アンドレアス | ゾイ =モスクワ大公イヴァン3世 | グリエルモ9世 モンフェッラート侯 | ジョヴァンニ・ジョルジョ モンフェッラート侯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ボニファーチョ4世 モンフェッラート侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||