ハグ (鉄道模型)

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ハグHAGHAG Modelleisenbahnen GmbH )は、スイスシュタンスシュタット(Stansstad)に拠点を置く鉄道模型メーカー。かつてはHAG Modelleisenbahnen AGであった[1]

HOスケールスイス国鉄Re420形電気機関車

歴史[編集]

1944年にスイスのザンクト・ガレンにてフーゴ・ゲーラー(Hugo Gahler)とアーヴィン・ゲーラー(Alwin Gahler)の兄弟が創業した。社名の「HAG」は彼らの名前の頭文字をあわせたものであった。ゲーラー兄弟はかねてより鉄道模型ファンであり、創業以前はスイス国内の鉄道模型コレクター向けに車両などを製作していたが、第二次世界大戦後半期にドイツ製品の供給が絶たれたことからメーカーとして創業した。1979年にアーヴィンの息子のヴェルナー・ゲーラー(Werner Gahler)が後を継いだ。1982年ザンクト・ガレン州ロールシャッハ行政区のメールシュヴィール(Mörschwil)に移転した。2012年1月、ヴェルナーは会社をシャム(cham)のテックヴィス・エンジニアリング社(Tekwiss Engineering)に売却した[2]。古い時代の製品のパーツ類はAmiba-Lokschuppenに売却され、引き続いて販売されている。ヴェルナーは売却後もメールシュヴィールの工場兼店舗にてパートタイムとして働いていた。同年10月末、メールシュヴィールの工場が閉鎖され、11月よりシュタンスシュタットの新工場が新CEOのハインツ・ユーレイヒ(Heinz Urech)の元に稼動を開始した。同年12月15日には新工場が一般に公開される予定となっている[3]

人員整理[編集]

2009年1月、業績悪化に伴いレイオフを実施し、8人の従業員が解雇され、従業員数は23人となった[4]。2012年のテックヴィス・エンジニアリング社による買収時点で従業員数は12人であったが、10月のメールシュヴィールからの撤退に伴い9人の再雇用がキャンセルされた[5]

製品[編集]

最初の製品はOゲージの線路であった。当初はOゲージの鉄道模型を生産していたが、1950年代に入るとHOゲージ製品の普及に伴いOゲージが衰退しだしたため、1954年にHOゲージに参入した。Oゲージ製品は1957年に製造中止となった。

Nゲージの製品はスイス国鉄Ae4/7形電気機関車のみが製造された。

Oゲージ撤退以降は、HOゲージにてスイスの機関車電車客車貨車を主に生産する。同社のHOゲージ製品はかつて1/80サイズであったが、近年は1/87サイズが主流となっている[6]。HOスケールで主に採用されている直流二線式の製品だけでなく、メルクリンのような交流三線式の製品も扱っている。1950年代には交流三線式が生産数の9割を占めていたものの1980年代にその割合は最低となった。1990年代後半時点では生産数の6割が交流三線式仕様であった。同時期のメールシュヴィール工場では製品の設計と組み立て、塗装・印刷が行なわれ、金型製作と成型は下請けメーカーに依頼していた。

ハグでは今後の機関車製品は、すべて金属製の車体とする予定。機関車のヘッドライトは全てLEDを使用し、スイス独特の点灯方式も再現することができる。[3]

2012年11月15日、アルプトランジット用のスイス国鉄Re460形電気機関車の新しい広告塗装が発表されたが、ハグではHOスケール製品におけるこの仕様の独占使用権を得た[3]

脚注[編集]

  1. ^ 1979年のザンクト・ガレン州の会社登記 2012年12月14日閲覧
  2. ^ 2012年1月19日の官報 2012年12月14日閲覧
  3. ^ a b c アルメレ鉄道模型協会、2012年11月14日より 2012年12月14日閲覧
  4. ^ ザンクトガーラー・タークブラット2009年2月21日付け、"Hag vor dem aus? " より 2012年12月14日閲覧
  5. ^ ザンクトガーラー・タークブラット2012年8月22日付け、"Hag Modelleisenbahnen AG schliesst Betrieb in Mörschwil "より 2012年12月14日閲覧
  6. ^ モデルバーン メーカー案内より 2012年12月14日閲覧

参考文献[編集]

  • プレスアイゼンバーン刊、とれいん 1997年8月号 欧州メーカー訪問4

外部リンク[編集]