ノート:FMEA

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2007年までの編集について[編集]

(項目分けさせていただきました。 --9b-kitsune 2010年6月1日 (火) 16:59 (UTC))[返信]

FMEAが工学で使う名称であり、故障モード影響解析のような訳語は普通使わないので移動した。小鉄 2005年3月13日 (日) 08:27 (UTC)[返信]

「故障モードと故障を区別しないのは間違い」であるため関連する解説を削除。 「10点法と4点法」の違いは、本質的ではない。もう少し本文が充実してから追記としたい。--以上の署名のないコメントは、Xsara0234c会話投稿記録)さんが 2007年11月2日 (金) 10:41 (UTC) に投稿したものです(9b-kitsuneによる付記)。[返信]

鵜沼崇郎さんの編集につきまして[編集]

鵜沼さんの文書とホームページ、この項目の執筆直前に、拝見いたしました。大変有益な示唆を伴う文章であり、私といたしましても、まだまだ勉強不足を痛感した次第です。

また、「学術の向上のために、少数意見を大事に扱って下さい。単なる誹謗をやめて、まじめに行動することを願います。」というお気持ち、お察し申し上げます。過去には「宣伝目的である」として、鵜沼崇郎さんの出典を含む、かなりの文書が削除されたようですが、私といたしましても、明らかな宣伝で無い限り、一方的な出典の削除は行うべきではないと考えております。

しかしながら、Wikipediaには「中立的な観点に基づき記述する」「検証可能性を満たす」「独自研究は載せない」という3つの方針があります。どれだけ鵜沼さんの意見がよいものであったとしても、「それだけ」を採り上げるわけにはいかないのです。

鵜沼さんのホームページを拝見いたしますと、他の文献も踏まて主張されているようにお見受けいたします。何卒、Wikipediaの限界をお含みおきいただき、他の研究者・実践家のよい点も含めました、記事の充実にご協力いただけましたら幸いです。

また「自信のない方は、記述をやめて下さい」と、コメントで記述されてらっしゃいましたが、Wikipediaでは、「Wikipedia:五本の柱」にて、「項目は誰でも変更可能で、どの個人も特定の項目を支配できない、ということを受け入れて下さい。」としております。「Wikipedia:新規参加者を苛めないでください」というガイドラインもございます。何卒、ご配慮のほど、よろしくお願い申し上げます。--9b-kitsune 2010年6月1日 (火) 16:59 (UTC)[返信]

再考をお願いします。

  • 学問的な手法などは、全てがある意味で独自研究の結果です。独自研究でないものは、「模倣」だけです。「独自研究は載せない」というのは、客観的な根拠を欠く主観的な思想を意味するものと解する以外にないと考えております。
  • 「自信のない方は、記述をやめて下さい」と記述したのは、私の記事に対する中傷誹謗を記載した方に向けたものです。こういう方に記述をおやめ頂くのは当然のことです。
  • FMEAは、「誤った指導の故に、多くの技術者が途方に暮れている分野」です。従来の理論では救いようがないのです。これを打開するための私の努力をお認め頂きたいと願っております。「独自研究だから」というような理由で削除しないで下さい。
  • 私が執筆した箇所に「鵜沼崇郎」と記載した件で、「売名行為」だとしてご注意を受けましたが心外です。記事の内容に責任を持つ意図で記載しました。匿名で無責任な記事を記載するのを防ぐためです。この点も再考をお願いします。
  • 「中立的立場」についても、再考を願います。善人と犯罪者がいるときに、その中立的立場というのは褒めた立場ではありません。役に立たない手法とそれを打開した手法があるときに、その中立的立場というのも無意味です。--以上の署名のないコメントは、鵜沼崇郎会話投稿記録)さんが 2010年6月2日 (水) 08:05 (UTC) に投稿したものです(9b-kitsuneによる付記)。[返信]
鵜沼さん、ご回答ありがとうございました。
Wikipedia:独自研究は載せない」につきまして
どの学説につきましても、独自研究から始まるものであることは、理解できます。問題は、その学説が何らかの形で「査読を受けた」かどうかにあります。
Wikipediaでいう「独自研究でないもの」は、端的に申し上げますと、「ウィキペディアで公開されるいかなる事実、意見、解釈、定義、論証も、信頼できる媒体においてその記事の主題に関連する形で、既に発表されて」いるものを指します(「Wikipedia:独自研究は載せない」より)。
私は音楽も専門にしておりますが、その分野でも、すばらしいと思う新知見があります。しかし、残念なことに、それらは公に査読された形で公開されておらず、「独自研究は載せない」という公式な方針を勘案し、Wikipediaに書いていないのです。
鵜沼さんは多数の実績をお持ちですので、もし、鵜沼さんが学会発表論文・単行本など「査読済みの広く公にされている出版物」をお持ちでしたら、そちらからの記述と出典の明示も、伏してお願いいたす所存です。
名前と、「自信のない方は、記述をやめて下さい」というコメントにつきまして
私や鵜沼さんに限らず、思っていることが、必ずしも他の執筆者・読者に正確に伝わらない可能性は大いにありえます。現に、<!--鵜沼崇郎-->というコメントについて、鵜沼さんが意図していないにもかかわらず「売名行為」ととる人も現れております。また、「自信のない方は、記述をやめて下さい」という件につきましても、私自身、鵜沼さんのコメント上記ご回答をみて、初めてその意図を知った次第です。まして、Wikipedia初心者である新規投稿者が見た場合、誹謗中傷していないにもかかわらず、記述をやめてしまうこともありえます。
また、精を尽くして対話しても解決を見ない事例もあるかと思います。不特定多数が執筆しているWikipediaでは、顕著に現れることもあるようです。そのあたりにつきましても、ご配慮いただけましたら幸いです。
Wikipedia:中立的な観点」につきまして
「中立的な」記述の中には、「両論併記」という、ある意見とそれに対立する意見を両方並べるというものもございます。これを完全に行うのは、鵜沼さんのご指摘どおり「非常に難しく」、永遠の課題でもあるのですが、できるだけ執筆者の皆さんが心がけることで、できるだけ「さまざまな観点から述べる」ことを目指すことになります。もちろん、鵜沼さんの意見も丁重に取り扱うべきであると考えますので、一方的な記事の削除も残念なことであると、私は考えております。
先にあげました3つの方針は、Wikipediaの「公式な方針」であり、「限界」でもあります。何卒お含みおきのうえ、よりよい記事に育ててくださいますよう、重ねてお願い申し上げます。--9b-kitsune 2010年6月2日 (水) 14:53 (UTC)[返信]
少しの間記事を寝かせておいたらどうだろう。何もTiyoringo氏の鼻をあかしてやるために、ウィキペディアの編集をされているわけじゃないだろう?2,3ヶ月放っておいても、ウィキペディアはなくならない。完成度の高い記事を残す方がよっぽどウィキペディアン的に名誉だと思う
9b-kitsune氏がウィキペディアの記事はどうあるべきかという解説をされている。それですべてなのだが、具体的に言えば、例えば、あなたの言われる4点法だがこれはどこかで4点法の第3者の評価、あるいは世間にどれくらい浸透しているかを示す必要があると思う(ウィキペディア的には)。10点法はトラディショナルな方法だし、どれくらい一般的なんだと仮に誰かが文句をつけても、AIAGのマニュアルでもなんでも見せられるものはいくらでもある。でも、4点法というのは鵜沼崇郎氏(つまりあなた?)のウェブサイトとウィキペディアでしか見たことが無い(同じ人が書いているとは知らなかった)。私、ウィキペディアの記事もウェブサイトも何年も前から知っていて、それ以来4点法に興味を持っているのだが、本当に見つからないんだ。私の思うところでは、その真髄を理解するには鵜沼崇郎氏の主催するセミナーを受けなければいけないようだ。そうすると、なんか、ある特殊な団体の秘儀みたいだし、そういう限られた人だけが信じている類のものと疑われることはウィキペディアには載せないことになっている。だから、例えば、どこか誰もが知っていて、技術的側面で定評のある企業が「FMEA4点法の導入の成果」というような文章を論文として発表をしていたり、技術雑誌へ寄稿をしていたりするのを引用すれば、文句を言う人はかなり少なくなるはずだ。そんな風な観点から全体を見直してみてはいかが?一般の書店で手に入らない(でも公表はされている)「○○技報」みたいな刊行物もご専門の方なら手に入るだろうし、そういう物ならかなり細かい話題でも載っている可能性があるとおもうけど、どうだろう。
でもこのFMEAの記事は昔からある記事で、今確認してみたら、鵜沼崇郎氏がほとんど一人で書いてきた記事なんだけどな。なんでいまさら問題になったのだろう?鵜沼崇郎氏が戸惑うのはすごーく良く分かるな。--Bo-ci-an 2010年6月3日 (木) 07:40 (UTC)[返信]
ごめん。また変なことを書いたようだ。いや、間違えたことを書いたつもりはないんだけど、どうも空気を読んでいないというか、何が起こっているのかを勘違いしていたらしい。Tiyoringo氏の大幅削除がきっかけになっているんだと勘違いしたんだ。だって、ここのノートと鵜沼崇郎氏の利用者ページのノートを見たらそう読めるんだけど。だって1月のことと今のことがおなじ節に連続して書いてあるから(もちろん言い訳には違いない)。今は正直言えば、この記事で何が起こっているのかわからなくなってしまった。とりあえずKY風の箇所は打ち消し線で消した。あと、それがわるいのではないけれど、鵜沼崇郎さんはノートを書くときに署名を入れてくれないかな。時系列で追うときにちょっとみにくいんだ。--Bo-ci-an 2010年6月3日 (木) 13:52 (UTC)[返信]
bo-ci-anさん、ご意見ありがとうございます。履歴を拝見したところ、Tiyoringoさんの大幅削除の前にも、「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」という指摘はあったようですね。私も、Tiyoringoさんがかかわる前の経緯は、よくわからないでおります。
ところで、こちらをご覧の皆様にご提案です。自分からこちらで話を振っておいて申し訳ないのですが、鵜沼崇郎さんとTiyoringoさんがらみの話は、現在、「利用者‐会話:鵜沼崇郎」ページで議論が進むようになりました。そこで、今後、こちらでの議論はFMEAの記事に関することに絞り、それ以外のことは、鵜沼崇郎さんの会話ページで議論を続けるのはいかがでしょうか?ご検討・ご協力お願いもうしあげます。--9b-kitsune 2010年6月4日 (金) 13:43 (UTC)[返信]
了解。--Bo-ci-an 2010年6月4日 (金) 18:17 (UTC)[返信]

一部内容を、トークページに移動しました。[編集]

下記の件、ご指摘ありがとうございます。しかしながら、記事に関する意見につきましてはトークページに書くべき内容かと思いますので、移動させていただきました。

(「工程FMEA」節のうち、「故障モードの抽出の視点が「エラー」「トラブル」にも向くことである。」の記述について)

  • 上記の説明では、故障モードの抽出の視点が「エラー」「トラブル」にも向くとあるが、意味不明である。FMEAは故障モードとその影響を解析することであること忘れている。これでは、具体的なものがなく、工程FMEAは実施できない。

ご指摘の内容に関しましては、こちらでも善処いたす所存です。ただ、もし、よりよい記述がございましたら、皆様、加筆いただけましたら幸いです。 --9b-kitsune 2010年6月1日 (火) 17:35 (UTC)[返信]

FMEAの問題点と、その打開を図るべく鵜沼さんが尽力されていることは、ホームページを拝見し、重々承知いたしております。ただ、上記の件につきましては、記事全体として「百科事典的な文章」から外れる可能性があったため、やむなく本文からトークページに移しましたが、私といたしましては、鵜沼さんに限らず、基本的に、皆さんが加筆されたことを尊重しつつ編集を心がけておりますし、皆様も同じであると信じております。(ただし、法的問題があるもの・プライバシーに関することは別です。)--9b-kitsune 2010年6月2日 (水) 14:54 (UTC)[返信]
余計なお世話かもしれなかったが、この節で話題になっている記述を手直しした。多分、9b-kitsune氏のお書きになりたかった内容はこういうことだったのだと思うけど。--Bo-ci-an 2010年6月3日 (木) 08:41 (UTC)[返信]
いえいえ。「余計なお世話」とは少しも思っておりませんのでご安心ください。手直し、本当にありがとうございます。人生、どこまで行っても学習途上であり、どれだけ学を尽くしても思慮が足りないところや、他の人のほうがよく知っていることも多々あります。また、「寄稿」ですから、どうしても時間的に手が回らないこともございますので、いろいろな皆様がよりよい方向を目指し加筆されること、本当にありがたく思っております。Bo-ci-anさんの加筆から、私も勉強させていただきました。今後ともよろしくお願い申し上げます。--9b-kitsune 2010年6月3日 (木) 14:16 (UTC)[返信]
どうもありがとう。そういってもらえるととても嬉しい。私の方こそどうぞよろしく。--Bo-ci-an 2010年6月5日 (土) 16:31 (UTC)[返信]

03Jun2010_17:06版への編集(故障モードとは)に対するノート[編集]

(2010年6月5日 (土) 16:30版に関するノート)元の記事の内容はほとんど含めたつもりだ。なんというか、この節自身が構造的破壊を起こしているように見えたので、全面的に書き直した。具体的に書くと『この「故障モード」解釈・運用の方法は多数あり、下記の立場をとる者もいる』とあったのだが、上記も下記も私には同じことのように見えたからだ。どうしてそう見えるかは、編集後の記述を読んでいただければわかっていただけると思う。 なお、ウィキベディアでJISの記述をこきおろしてもはじまらないので、その記述は除いた。故障とは違うはずの故障モードを、「故障」という言葉を用いて定義しているから良くはないのだろうが、「例えば」と言わんとすることの具体例を挙げているわけだから、私はそれほど注目すべき事柄とも思わない。JISは「故障状態」の語を「故障した状態」の意味ではなく、単に「よくない状態」という意味で使っているのではないだろうか。--Bo-ci-an 2010年6月5日 (土) 16:31 (UTC)[返信]

修正ありがとうございます。Bo-ci-anさんの提示された出典、私もちょうど手にとって検証しようとしていたところでしたので、どのページの記述かを加筆させていただきました。「JISの記述をこきおろしてもはじまらない」という点につきましてはも含めまして反省の上、他の記事に生かす所存です。--9b-kitsune 2010年6月6日 (日) 04:18 (UTC)[返信]
すみません。一番大事なことを見落としていたようですので、あらためてお礼かたがた追記させていただきます。
「故障モード」の加筆の意味、よくわかりました。私自身、大変勉強になりました。的確な編集、感謝いたします。
そして、JISの記述「を」こき下ろさないような配慮はもちろん、JISの記述「で」こき下ろすととられないようにも気をつけないと、と思った次第です。--9b-kitsune 2010年6月6日 (日) 13:09 (UTC)[返信]
あれ?私なんか変なことを書いたかな?いや、JISについて書いたのは書いた人を非難する意味ではなくて(まあ、そうも読めるかもしれないけど)、誰かが(どなたが書いた文章かは確認していない)書いた文章を消したので理由を説明したまで(だからちょっとくどいくらいに私の意図を説明した)。ほかの記事を見ても、ウィキペディアで資料批判をしている記事ってあまりないでしょう?ご存知の通り、ある人のこだわりがある文章だったりすると、書いたり消したりの編集合戦になることがある。だから私が消した後誰かが復活させたいと考えたら、その前に(復活後でもいいけど)ノートでちょっと話をしようじゃないか、と暗に訴えているというわけ。特定の人とに対するメッセージというより、これから編集する不特定多数のウィキペディアンに書いた。確かにそういう風にノートを使う人は少ないかな。9b-kitsuneさんを非難しているように見えたらどうぞご容赦。そんなつもりは全然なかったんだ。で、こちらからも、私の至らないところを補っていただいてありがとう。これからもこの記事、少しずつ手を入れていこうと思うのでどうぞよろしく。編集ついでに、見出しが何を言っているか分かりにくいかもしれないので本文にどの版のことか補った。--Bo-ci-an 2010年6月6日 (日) 16:33 (UTC)[返信]

11Aug2010_10:07版のノート[編集]

「故障の影響の記述と、致命度評価」の節は、全面的に新しく書き換えた。それは次のような理由による。

  1. 元の記事にある「絶対評価」ないし「4点評価」は、 まさに独自研究テンプレートの主な理由になっている事項なので今回は記述しないことにした。
  2. ISO/TS16949本文(Technical Specification)そのものはFMEAの具体的な方法については規定していない。例えばアメリカの自動車会社(ビッグスリー)の場合、ISO/TS16949の体系でいうところの顧客固有要求事項のひとつしてAIAGのFMEAマニュアルが提示されており、そのAIAGマニュアルが10段階評価を求めている。このようなことはISO/TS16949の仕組みの話題なので、ISO/TS16949のことは書かないことにした。

このような理由で元の内容がなくなってしまうので、結果として全面改訂とした。--Bo-ci-an 2010年8月11日 (水) 10:10 (UTC)[返信]