ノート:麻生太賀吉

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麻生炭鉱の記述内容[編集]

検索したところ、明らかに中立性にかけるソースしか出てきません。麻生炭鉱の強制労働云々のくだりは問題ありと思い、リバートさせていただきます。219.96.30.187 2005年6月14日 (火) 04:42 (UTC)[返信]

明らかに中立性に欠けるとはどのような判断からでしょうか?johncapistrano 2005年6月14日 (火) 05:42 (UTC)[返信]

「最も悪名高い酷使で知られる」などという主観的な記述は百科事典の記事として認められるものではありません。それを裏付ける複数の客観的事実を書くことで百科事典の記事としての要件を満たすのではないでしょうか。220.146.145.254 2005年9月18日 (日) 03:57 (UTC)[返信]

念のためネットで調べられるだけ調べてみましたが、どうも情報源は林えいだい著『清算されない昭和』岩波書店(1990年)のみのようです。今年になってこれを引用して韓国の新聞が報道したものがあちこちで引用されて見られるという状況です。しかも当該部分の記述は同書からの引き写しの可能性が高く、その面でも問題があるように思われます。220.146.145.254 2005年9月18日 (日) 05:52 (UTC)[返信]

  1. 「最も悪名高い酷使で知られる九州最大の徴用労働者炭鉱であった」というのですが、最も悪名高い酷使を裏付けるものがありません。「1932年には朝鮮人労働者の争議がおきている」ということでそれを裏付けようというのかもしれませんが、この記述には1932年に朝鮮人労働者の争議が起きたという事実が述べられているだけであって、「最も悪名高い酷使」の裏づけにはならないと思います。
  2. 「麻生炭鉱と強制労働」との項目名でありますが、それと本文との整合性が取れていません。当時、朝鮮人は日本国籍を持っていたのであって日本の法律に従う義務がありました。徴用とは国家総動員法に基づいて行われた行政措置であり、日本国民であれば誰もが受け入れねばならないものでした。したがってそれは強制連行とか強制労働とは異なります。しかも朝鮮に適用されたのは1944年9月からです。本土(内地)よりも遅れての適用でした。朝鮮人にのみ過酷な負担を課したというわけではないのです。
  3. 以上の事実関係とWikipedia:ウィキペディアは何でないかに示されている方針を勘案するなら「麻生炭鉱と強制労働」という項目は削除するのが妥当と考えます。211.128.209.134 2005年9月19日 (月) 20:58 (UTC)[返信]
「最も悪名高い」という表現のみに関しては主観的と仰るのも分かりますが、その他の論については同意できません。林えいだい氏の著書を調べた上で「引き写し」と書かれているのでしょうか? あなたの憶測にしか見えません。麻生家文書は九州大学に預託されているそうです。もしお調べになれるのであれば調査願います。johncapistrano 2005年9月19日 (月) 21:13 (UTC)[返信]
『清算されない昭和』を確認しました。
  • 九州最大の徴用炭鉱というのもどうやら怪しいようです。同書によると朝鮮人炭鉱夫が多いのは三菱系で麻生系は2番目とのことです。
  • 炭鉱における労働については確かに重労働だったようですが、賃金は支払われていたようです。
  • 1932年の労働争議は世界恐慌で石炭需要が減り、朝鮮人を中心に解雇、低賃金、給料遅配に対する抗議とのことで、強制労働云々とは無関係です。麻生炭鉱側はある程度は要求に応じています。
  • 同書では強制連行云々も書いてありますが、昭和14年の労働者募集から「募集形式の強制連行」と題して、徴用だけでなくて、労働者募集も強制連行とする立場なのでこの点は留意する必要があると思います。
この本をざっと読んだ感じ、劣悪な労働環境ではあったが「強制労働」というのはレッテル張りの感があります。--mochi 2005年9月20日 (火) 14:04 (UTC)[返信]
つまり本文はIP氏の主張する引き写しではなくて、現在の表現を改めた方が適切ということですよね。それならば同意できますが、記述すべきでないという主張は何なのかと・・。johncapistrano 2005年9月20日 (火) 15:11 (UTC)[返信]

>劣悪な労働環境ではあったが「強制労働」というのはレッテル張りの感があります。--mochi 2005年9月20日 (火) 14:04 (UTC)

mochiさん、調査いただきありがとうございました。 どうも結論が出たようですね。「レッテル張り」と認められるということですし、johncapistranoさんは211.128.209.134さんが2005年9月19日 (月) 20:58 (UTC) の2項目めで指摘している徴用に関する事実について同意できないとされていますが、その理由が示されていません。残念ながらもはや建設的な議論を続ける用意がないようです。これらのことを踏まえると、当該部分はこの記事に記述すべきではないでしょう。少なくとも「麻生炭鉱と強制労働」という項目を立てて記述することは現時点においてはできないと思います。どうしても「麻生炭鉱と強制労働」ということで書きたいのだというのであれば、個人で用意されたブログなりウェブサイトなりで書けばよいでしょう。『ウィキペディア』は百科事典です。事実の暴露をする場ではありません。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかに示されているように、保守的というか慎重な姿勢で編集に当るべきです。211.128.204.12 2005年9月21日 (水) 07:16 (UTC)[返信]

(可変IPで自分にさん付けとはまるで多重ハンドルの論法ですね。)強制連行の項目も整理されていない状態で、強制連行の定義についても論争がある状態なので何を強制連行と見るかは寧ろその記事で扱われることですが、徴用が法的裏付けを得る前から実質的に行われていてそれを強制連行と呼ぶ立場からすれば強制連行であることに違いがない。あなたの書かれていることは事実ではなく主張でしかないのですが、日本人も徴用されていたから強制労働ではないというのもおかしな論理です。麻生に限らず炭坑や鉱山全般でそうだったか知れないがその内の一つであったことに変わりない。強制労働という表現には拘らずとも事実に関する記載はあってしかるべき。以上。麻生炭坑で記事を立てるほどの重要性もないかもしれないので、「日本の炭坑」という項目に記述を移してもいいかもしれませんが。johncapistrano 2005年9月21日 (水) 09:25 (UTC)[返信]

繰り返しますが『ウィキペディア』は百科事典であり、事実暴露をするところではありません。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかにあるように保守的な姿勢で編集すべきです。このガイドラインを受け入れることができないといわれるなら『ウィキペディア』の編集から手を引かれることをお勧めします。 ところで、「日本の炭坑」でも良いですがそれよりも労働運動の方がもっと良いのでは? 1932年に麻生炭鉱で労働争議があったのは事実なのですし、一部とはいえ会社側に要求をのませることに成功しているのですから。現在、労働運動のページは超スタブ状態です。労働運動とは何かを説明しようとするなら、その変遷に関する記述は不可欠です。そこへ1932年に麻生炭鉱で労働争議があった事実を組み込むことは可能だと思います。58.0.131.226 2005年9月22日 (木) 14:42 (UTC)[返信]

労働運動関連を執筆されるならどうぞご自由に。ただ公刊されてよく知られた事実に言及することを暴露と主張されるのはどうかと思います。johncapistrano 2005年9月22日 (木) 16:04 (UTC)[返信]

記述改訂案[編集]

===麻生炭鉱===
麻生太賀吉の経営した麻生炭鉱(麻生商店・現麻生セメント)は戦前、労働環境が劣悪だとして問題になることがあった。1932年には当時としては珍しい朝鮮人による労働争議が起きている。

といった感じでどうでしょうか。炭鉱の労働環境が悪かったということはおそらく事実だろうと思いますし、強制労働と書くよりも中立的な表現でしょう。強制労働と書くと奴隷的使役が想像されますから。それから、1932年の労働争議についてですが、朝鮮人が主体的に起こしたというのは書いてもいいんじゃないかと思います。元の文章のうち「強制労働」(←前述)「最も悪名高い酷使」(←主観的)「九州最大の徴用労働者炭鉱」(←事実誤認の可能性が高い。炭鉱なので徴用労働者はいるだろうが)を削除・書き換えしてみました。--mochi 2005年9月23日 (金) 06:13 (UTC)[返信]

注目されてこなかった&ほぼ全て弾圧されただけで当時日本の権益内での朝鮮人(及び中国人)による争議は多かったようですよ。麻生炭坑の納屋制度(タコ部屋)が改善される契機となったという意味で麻生炭坑でのこの争議のウェイトは大きいかと思いますが。いきなり朝鮮人が出てくるより「官斡旋や納屋制度により多くの朝鮮人労働者を徴募した炭坑の一つであった。」とでも挟んだ方がよいでしょう。johncapistrano 2005年9月23日 (金) 07:30 (UTC)[返信]

さらに改訂案

===麻生炭鉱===
麻生太賀吉の経営した麻生炭鉱(麻生商店・現麻生セメント)は戦前、納屋制度などがあり労働環境が劣悪だとして問題になることがあった。朝鮮人労働者も多く、1932年には朝鮮人による労働争議が起きている。

でどうでしょうか。1932年の段階だと官斡旋以前なので単なる出稼ぎ労働者だと考えられます。「出稼ぎ」「官斡旋」「徴用」等様々な雇用形態があり、網羅するのは難しいと思います。--mochi 2005年9月23日 (金) 12:23 (UTC)[返信]

「労働環境が劣悪だとして問題となることがあった」という表現を用いるとまるで労働行政があったかのような響きで違和感があります。「納屋制度の導入などによりいわゆる強制連行以前から朝鮮人労働者の徴募を進め九州では三菱に次いでその数が多かった。1932年には朝鮮人による大規模な争議が起こり納屋制度が一部改善された。」ぐらいの方が妥当かと。麻生が納屋制度を導入したのはいつで廃止したのはいつなんでしょうね。降って湧いたようにあった訳ではないでしょう。改定案と離れますが、1932年より相当前から大手では納屋制度が廃止されていたところもあるようです。また「暴力による酷使をやめよ」というようなのが1932年の要求項目だったようですがこれはやはり強制労働でしょう。johncapistrano 2005年9月23日 (金) 14:40 (UTC)[返信]
===麻生炭鉱===
麻生太賀吉の経営した麻生炭鉱(麻生商店・現麻生セメント)は戦前、納屋制度などがあり労働環境が劣悪だとして問題になることがあった。筑豊地方において同社は三菱系についで朝鮮人炭鉱労働者が多かった。1932年には朝鮮人による労働争議が起きこれは筑豊全体に広がる大規模なものであった。争議により納屋制度の一部が改善された。

まず1点おわび。同書を読み直したところ、麻生炭鉱は九州ではなくて筑豊地方において三菱についで朝鮮人労働者が多かったそうです。
労働行政があったかのような響き、といいますが、労働行政があったのかなかったのか私には具体的な資料がないのでこのような記述になりました。それから「いわゆる強制連行以前から朝鮮人労働者の徴募を進め」と書くのは反対します。強制連行というのはトラックで人さらいしてきたかのような捏造を含んだ政治性のある語です。朝鮮人労働者が多くいたと書くのが中立的だと思います。もし朝鮮人労働者の来歴(出稼ぎ、官斡旋、徴用等)に関する資料があるのであれば、より詳しく書けばいいと思います。--mochi 2005年9月24日 (土) 17:53 (UTC)[返信]

===麻生炭鉱===
麻生太賀吉の経営した麻生炭鉱(麻生商店、のちの麻生産業、現麻生グループ。炭坑従業員は1966年に全員解雇)は戦前、納屋制度などがあり労働環境が劣悪であった。また筑豊地方において同社は三菱系についで朝鮮人炭鉱労働者が多かった。1932年の朝鮮人による労働争議は筑豊全体に広がる大規模なものであった。この争議により納屋制度の一部が改善された。

「問題になることがあった。」というのは行政指導か何かの事例があれば入れることにしましょう。セメントは別部門らしいので幾分変更で、争議も一度ではないので若干変更。johncapistrano 2005年10月1日 (土) 08:46 (UTC)[返信]

労働環境が劣悪かどうかというのは、時期(好況時、不況時)、時代背景(労働観は現代とは異なるでしょう)、個々人の感じ方によって左右され、「劣悪であった」と断定的に書くのは難しいのでは?もう少し含みを持たせたほうがいいと思います。--mochi 2005年10月1日 (土) 11:40 (UTC)[返信]
脚注に上がっている『エネルギー史研究ノート』8号によれば、麻生炭鉱の納屋制度は1929(昭和4)年に最終廃止だそうなので、少なくとも麻生太賀吉が社長になるより前の廃止ですよね。この人のページに書くのはおかしい気がします。が、かといって先代の麻生太郎氏はページがないので、ここに記述するというのも一理あります。経緯があってこのような不整合な状態になっているようですが、少なくともソースと合致しない状態ではあると思うので、「先代時代には莫大な利益を得ていた」のような書き方が適切ではないかと思います。--111.125.150.27 2012年12月21日 (金) 16:11 (UTC)[返信]

麻生炭鉱の情報源について[編集]

麻生炭鉱の記述をめぐって、「ソース無し」とするIPと戻すアカウント利用者の間で編集合戦状態でしたので、暫定的に保護をかけました。記載を希望する方は、このノートで明確な出典(著者、書名、掲載ページなど)を提示して合意を形成してください。--miya 2008年9月24日 (水) 03:57 (UTC)[返信]

何で麻生炭鉱のデマを載せたまま保護するのかわかりませんね。ソースも出せないのに必死にリバートする人間に気を遣っているのですか?--210.132.190.237 2008年9月24日 (水) 13:57 (UTC)[返信]
私が参考文献の全てを挙げた訳でないが、議論に参加したこともあり、miya氏が何やら書いておられるんで一言。出典は付いてるし、上でmochi氏も確認している。頁数等は最初に挙げた人に聞いて下さい。頁数が挙がってなければ丁寧でないというぐらいまでなら分かりますが、出典や文献ごと除去して「ソースも出せない」呼ばわりを追認するような行為はどうかと思います。麻生炭坑について書かれた本は他にも沢山あります。johncapistrano 2008年9月26日 (金) 02:07 (UTC)[返信]