ノート:高来神社

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「高来神社」から「高來神社」へ改名(字体変更)の提案[編集]

現行の「高来神社」でも決して間違いではないと思いますが、実際の神社の構造物や公式の物品(社名碑、社名旗、提灯等)には『來』の字体が使われており、この記事名も「高來神社」とした方がよりふさわしいと考えます。

 あるいはWikipediaのルールや技術上の制約、または何らかの事情によって『來』の使用は不適切とされているのでしょうか。尚、『來』は当用漢字表に含まれており「倖田來未」のページでも問題なく使用されている模様です。--VRDS 2007年1月14日 (日) 16:07 (UTC)[返信]

神社の項目名の字体についての議論は、最近ではノート:伊豫豆比古命神社でありました。Wikipedia:ウィキプロジェクト 神道などで結論は出ていないのですが(もうそろそろ正式な方針を決めないと)、私個人の意見としては、「基本的には神社側が使用している字体を採用(ただし、いわゆる「機種依存文字」は諦める)。ただし、他分野からも言及されることが多いもの(具体的には靖国神社など)については常用漢字表の字体を使用する」というのが良いと思います。「來」は「技術上の制約」はない(機種依存文字ではない)のですが、常用漢字表の字体でない(いわゆる「旧字体」)ことから使用を差し控えるべきという意見の人もいるようです。nnh 2007年1月15日 (月) 00:26 (UTC)[返信]
Wikipedia:記事名の付け方#漢字を適切に使うことでは固有名詞などに例外は認められます。あと、ウィキプロジェクトの合意があれば、例外も可能です。--水野白楓 2007年1月28日 (日) 15:26 (UTC)[返信]
特に異論もないようですので、そろそろ移動しても良いでしょうか。
そうそう。「『來』は当用漢字表に含まれて」いるのは確かなのですが、その後に出た「当用漢字字体表」で「來」は「来」と書くことと規定されました。常用漢字表では最初から「来」になっています。為念。nnh 2007年1月28日 (日) 16:03 (UTC)[返信]

改名を提案した本人が言うのもなんですが、高来神社は全国的にみて特に著名な神社でもなく、この記事を閲覧する人はほとんどいないでしょうし、字体が変わったところで影響はないかもしれません。実際、この神社の氏子や地域住民でさえ、「来」と「來」の違いを意識するどころか大多数は旧称の「高麗神社」で呼んでおり、そもそも「高来神社」という現行の名称自体を知らないというケースも少なくありません。よって、私が自分で移動させてしまうこともできたかもしれませんが、私はまだWikipediaでの執筆経験が浅くノウハウが乏しいので、何かルール上の制限を見落としていて後で取り消されたり、異論が出たりして混乱を招くことを避けるために、慎重を期して移動依頼の形をとりました。更に、字体のことを言うなら「高」は「髙」(はしご高というんでしょうか)が正当かもしれませんし「神」「社」の「しめすへん」は「ネ」ではなく「示」が正当かもしれませんので、今にして思えば「来」だけを問題にして改名を提案したのは適切だったか疑問でもあります。移動を実行するか提案を棄却するかは管理者の方の御判断に委ねます。--VRDS 2007年1月30日 (火) 05:12 (UTC)[返信]

社名の字体について[編集]

この神社から公式に発行または頒布された各種物品の表記を確認したところ、ものによって「高来」「高」「来」「髙來」の4通りが混在しており、統一されていません。果たして厳密にはどれが正しいのか、現時点では分かりません。したがって、「高來神社」への移動依頼を取り下げさせて頂きました。この神社に関する知識のある方、神道や漢字について詳しい方などの御意見を求めます。--VRDS 2007年2月4日 (日) 14:42 (UTC)[返信]

隣接する慶覚院[編集]

隣接する慶覚院は明治のはじめの神仏分離によって独立したものでしょうか。それとも元から別のものでしょうか? 関係をご存じの方、ご記述下さるとありがたいです。--Kafuka1964 2007年2月24日 (土) 13:53 (UTC)[返信]

慶覚院は、元は下町(現消防署付近)にあったのが明治15年に大火で焼失し、現在の場所(旧高麗寺地蔵堂)に移ったとのことです。--VRDS 2007年3月11日 (日) 13:52 (UTC)[返信]