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ノート:香川敬了/削除

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香川敬了 - ノート[編集]

削除依頼より[編集]

大きな事績があるように書かれているが、具体性に欠ける(特に大正~昭和期の軍人・皇族でありながら生没年不詳というのは考えにくい)。確認しようにもGoogleヒット数3。架空の人物、もしくは実在しているにしろ検証不能な一般人と考えられ、削除が妥当。--K.F. 2005年11月2日 (水) 17:23 (UTC)[返信]

  • (コメント)造り方がわからず荒しのような行為をして申し訳ございません。ですが実在はしている人物です。当時の実業家でもこのように没落してしまって不明な人物は多くおり、わが人生論という著書を調べていただければ証明できます。また私の持っている資料に香川陞了の名前があります。皇叔というのは氏が桓武帝平氏の鎌倉流四国讃岐香川氏の末裔と称しているところからです。私の祖父は近衛軍としてそこそこの活躍もして昇格も何度もしました。しかしインターネット上で検索しても一件も出ませんでした。このように歴史の荒波によってかき消された人物の図書があっても良いのではないでしょうか?
2005年11月3日 (木) 11:19 219.126.68.26
2005年11月3日 (木) 10:48 219.126.68.26
  • (コメント)百科事典ですので森羅万象すべて収用するのが理想ではないでしょうか。「わが人生論」は文教図書出版よりの非売品です。私は昭和36年に名古屋桜台高等学校の歴史部編纂のガリ版印刷の冊子で知りました。百科事典とは人々の知りえない知識の補助をする役目です。人々が知りうる人物ばかり掲載してなんの意味がありましょう。
  • (コメント)ほほう。昭和36年に「わが人生論」を知られましたか。それは非常に興味深い話ですね。なぜならあなたが執筆された「わが人生論」の記事は、「2005年11月3日 (木) 12:17 NiKe "わが人生論" を削除しました (SD:定義未満 2005年11月2日 (水) 16:03 by 219.126.68.26(i1068026.icntv.ne.jp) 内容: '{{db|定義未満、記事短すぎ}}== わが人生論 ==昭和60年代に編纂された大全集。全国の有識者、名士など...'」というものだったからです。昭和60年代に編纂された大全集じゃなかったのですか?Wing09 2005年11月3日 (木) 04:18 (UTC)[返信]
  • (コメント)そもそも記事を執筆された方はどのような経緯で、詳細不明の「わが人生論」なる分権以外に資料がないこの人物を知ったのでしょうか→とあるではないですか、その問いに答えたのです。言葉足らずで申し訳ございません。誤解です。
  • (コメント)ですから違います。香川敬了氏を知ったのはガリ版印刷の冊子ということです。--2005年11月3日 (木) 13:31 219.126.68.26
  • (コメント、削除/存続は保留します)私もこの人物を知りませんが、勘ながら架空ではない感じがします。ただし、記述している全ての内容があいまいすぎます。また、中佐まで昇進して実業でこれだけ活躍した人物が生没年不詳、学歴不明確なのはありえません。IP氏、日本や旧満州における名士録・人名録等をまず確認してみてください。また、全体の記述を具体的・明確にして、他者がこの人物についてレファレンスできるような内容にしてください。20世紀の人物ですし、この程度わからなければ残念ながら削除は妥当です。あと、根拠に出された『わが人生論』についても、著者(または編者)・発行年月日を提示してください(これはすぐにできますよね、まずこれだけでもお願いします)。Aboshi 2005年11月3日 (木) 04:23 (UTC)[返信]
  • (コメント)
昭和62年12月10日発行。
頒値5000円。
発行人 中村輝雄
発行所 文教図書出版。
--2005年11月3日 (木) 13:31 219.126.68.26
  • (コメント)おれも保留で、とりあえず要調査という見解です。つか、とりあえず調べやすいものからと思って香川博實の方に出てくる柏市議会議員という経歴について裏を取ろうと思ったら今日は休みだったのねえ。んで、実在の人物であり内容がある程度正しいという印象を得たら、無名だろうがなんだろうが、存続票を入れます。それから、そうでなくてもぎすぎすしがちな削除要請、Wing09さんはIPさんの先達なのですから、喧嘩を売るような表現はやめ、なるべく穏やかに書いてもらえませんか。大人語で書けというか、オブラートに包めというか。--Nekosuki600 2005年11月3日 (木) 04:35 (UTC)[返信]
  • (コメント)香川陛了氏の場合、「大正元年6月15日生まれ」とありますが、1912年6月はまだ明治ですね。それと、1912年生まれの人間が「日韓併合(1910年)時に景福宮に赴き、後宮の管理監査を行なう」のは無理があると思います。--にごう 2005年11月3日 (木) 04:41 (UTC)[返信]
  • (コメント)ありがとうございます。冊子などに墓所の住所が記されておりましたので、墓石を見て調査いたします。ご猶予ください。兄かもしれませんね。義兄の可能性も否定できません。--2005年11月3日 (木) 13:43 219.126.68.26
  • (コメント)NACSIS-Webcat([1])で「わが人生論」「文京図書出版」で検索すると、何冊かひっかかりますし、著者として中村輝雄の名も確認できますね。ただし、本が県(または地方)ごとにシリーズ化して複数巻出ているようですが、そのあたりも具体化してください。Aboshi 2005年11月3日 (木) 04:46 (UTC)[返信]
  • (コメント)千葉県版です。何度目の発行本かは不明です。219.126.68.26

2005年11月3日 (木) 13:53 219.126.68.26 2005年11月3日 (木) 13:54 219.126.68.26

  • (コメント)故長谷川町子氏の父君が福岡でワイヤ会社を経営していたそうです。香川敬了氏とはそのとき町子氏の父君と親交があったようです。なお軍人の記録でも中佐は多すぎて全員がはっきりと記録に残っているわけではないそうです。219.126.68.26
  • (コメント)とりあえず史実には基づいております。興味深い内容もございますので、今しばらくご猶予ください。着実に更新して行きたいと思います。219.126.68.26
  • (コメント)千葉商科大学図書館の検索より([2])と、千葉県編下巻が存在することが確認できますが、この上巻と考えればよろしいでしょうか。あと、今後必ずしも著名でない人物記事を立てる際や内容の弁明の際には、お願いですから他者がレファレンスできるレベルの内容をまず記してください。こんな小出しに情報を提示されてはたまりません。また、「中佐は多すぎて全員がはっきりと記録に残っているわけではないそうです」とのことですが、歴史をかじった者として申し上げます。そんなことは絶対にありません。いまのあなたの態度は情報を出し惜しみされるような態度にしか見えませんし、そんな情報もないなら削除妥当です。着実に執筆されるのはいいですが、他者がレファレンスできない内容の投稿自体がありえない行為であることをご理解ください。Aboshi 2005年11月3日 (木) 05:09 (UTC)[返信]
  • (コメント)陸大卒や何らかの著名な出来事に関わった人物でもない限り、佐官クラスでは経歴などについて公刊されている資料から情報を得られないことは十分に有り得ると思います。 Kanoe 2005年11月3日 (木) 09:02 (UTC)[返信]
  • (コメント)度々誤解を招く文書を掲載し申し訳ございません。伏して、伏してお詫び申し上げます。この香川氏の情報はおそらくこの記事が最詳の情報と思います。定かでない箇所もございますが歴史とは時にそのような側面を持つものでございます。219.126.68.26
  • (コメント)えーと、一日や二日間があいてもいいから、必要と思われることを着実に調査しての加筆を希望。だいたい削除依頼でばたばた対応してたら調査もできないでしょ。--Nekosuki600 2005年11月3日 (木) 05:18 (UTC)[返信]
  • (コメント)ありがとうございます。仕事が調査のようなものですので、すぐに更新できるかと思われます。尚、博實氏には生前に色々お世話になりました。記事に不真面目な茶々は入れないでください。219.126.68.26
  • (コメント)どうやら『わが人生論』千葉県編・中巻があなたのおっしゃることにもっとも合致するようです。千葉県立図書館・千葉市図書館・市原市図書館に所蔵が確認できました。なお、私は記事数の制限のないウィキペディアにおいては、一定の事績があり、他者のレファレンスが可能であれば存在を認めてもよいと考えております(グローバルにもローカルにもいけるのがネットのよさですしね)。IP氏の週末の編集に期待します。Aboshi 2005年11月3日 (木) 05:45 (UTC)[返信]
  • (存続)まず、架空の人物または悪戯ではないと思えます。どの程度の社会的功績のある人を百科事典に載せるべきかどうかは、安易に判断すべきではないと考えます。この人物の息子の記事についても「削除」だと言っているようですが、最初の頃に較べ、実在すると考えた方がよい情報が提供されて来ています。没落した人で、出身が特段の名家とかでない人は、記録も消えてしまうというのは大いにありえるでしょう。最初の印象だけで「削除」と決めて、以降の展開を見ても、削除方針を変えないというのはおかしいことです。とりあえず、「存続」票にします。あと、五日ほど経過して、やはり「存在が確認できない」とか、「業績が述べられているようなものではない」ということが判明すれば、「存続」を取り消せばよいだけです。まず、「架空の人」だと勝手に断定して、「削除」を入れた人は、外すべきでしょう。「確認できない」のは、イコール「架空」ではないのです。実在の人なら、どういう人なのか、調べてみてから再度、判断すべきでしょう。インターネットで調べて出てこないというのは、調べるのに結構手間がかかるということです。大体、ある人間が実在したかどうか、インターネットで検索して出てこないから、存在しない、などというのは、傲慢の極みでしょう。アイザック・アシモフの『ファウンデーション』か、その前史の作品に、地球がどこにあるのかを研究している人物が出てきて、「過去の研究記録を比較研究して」地球の位置を調べるのだと主張し、サルバー・ハーディンだったかが、「実地調査はしないのですか?」と尋ねて、「そんな非効率なことはしない。歴史とは、すでに過去の大家が調べ尽くしているのである」と答えて、現場調査や実地研究を否定していましたが、インターネットで検索して、歴史実在の判定をしようなど、ナンセンスでしょう。--Maris stella 2005年11月3日 (木) 10:31 (UTC)[返信]
    • (コメント)その種の探索はあくまで「研究に求められる態度」であって、研究的記事をよしとしないウィキペディアにはなじみませんね。--K.F. 2005年11月3日 (木) 12:44 (UTC)[返信]
  • (削除寄りコメント)Googleで満州鉄工なる企業の存在を確認できない。また、仮に存在したとしても、百科事典的な特徴を有するか、ましてや社長を掲載するのが適当か疑わしい。中佐というのが百科事典的な特徴といえるのかも疑問(そもそも現状では中佐であったことにつきソース不明)。--6144 2005年11月3日 (木) 23:09 (UTC)[返信]
  • (コメント)愛知県版の「わが人生論」を確認しました。地元の名士による青年へ向けた人生訓といった内容ですね。1冊に65人程度の執筆者は大学の名誉教授、企業経営者、俳優など名士ばかりで、政治家だと国会議員、市長クラスとなっています。存命でない父の敬了が執筆することはなく、子の博實が「わが人生論」に寄稿したのだと思いますが、市会議員三期程度の肩書きで寄稿できるかどうか。経営者の肩書きなんですかね。子供のノートについて質問しています。とりえあずその他の資料の提示をお願いしたいですね。「資産50億円」という著書が消され、満州の「造船王」の記述が消され、荒唐無稽さ指摘されると消してしまった生年月日のソースや、倉田議長なる存在もあやふやのままといった数々の謎も執筆のソースを確認できれば、ある程度、解消できると思います。Wing09 2005年11月4日 (金) 10:55 (UTC)[返信]
  • (コメント)あとなんというか。おそらくこの書籍は、名士相手に寄稿を求めそのかわり本を買っていただくといった様式の商売に基づいたものではないかと思います。編集者の批判的なチェックがはいっていない可能性があるので、記載されている文面をそのまま鵜呑みにするのではなく、批判的に精査した上でWikipediaの記事をご執筆いただけるとありがたいなあと思います(記事対象者を批判しろと言っているのではなく、書かれたものの情報を事実であるという前提のもとに書かないでください、という意味)。--Nekosuki600 2005年11月4日 (金) 11:16 (UTC)[返信]
  • (コメント)日本図書センターの『昭和人名辞典』及び、『満州人名辞典』に記載はありませんでした。 Kanoe 2005年11月4日 (金) 13:41 (UTC)[返信]
  • (コメント)千葉県柏市の香川氏の墓寺住職にお電話でお話を伺いました。関連情報など以下にご報告いたします。ご一読を。
  • 私としてはまず現在の記事における以下の疑問をはっきりさせて頂きたいと思います。「満州において多角経営を行」い、「莫大な富を得た」と言いながら、「資本金500万円以上の株式会社の」「民間の有力者」を記載した『満州人名辞典』にその名の記載のないことも不可解なのですが、実業家が「軍部と繋がりを持つために軍人」となって中佐にまでなったというのは非常に不可解です。「軍部」が「力を持ち始めた」のは満州事変よりも前ですし(特に満州では)、実業家が「繋がりを持つために軍人となっ」てしまっては、何の為の「繋がり」か分かりません。また、通常、士官学校を出て少尉に任官された人が途中陸大を経て少佐に昇進するまで十年以上かかるのですから、正直言って記載内容に何らかの間違いがあるとしか思えません(仮に「中佐」が「中尉」ならば有り得ますが)。また、「歴史学者」とあるものの、歴史学者としての経歴について何ら触れられていないことも疑問、というか問題ではないかと思います。 Kanoe 2005年11月5日 (土) 16:24 (UTC)[返信]
  • (コメント)記事の内容は資料にありますが、詳細は憶測となりますので、ご参考までに。

香川氏は本土に本社があったので満州の有力者とはならなかったのではないでしょうか。会社経営も副社長が行なっていた様です。また軍部と繋がりは軍部と深く関われば工場などの警備に利用できると思ったのではないでしょいうか。軍部に寄付をしたりした多くの資本家にはそのような記録があります。そして最もな疑問は昇進のお話です。中佐には間違いはないのですが、実際には東條氏の二十年以上はかかるはずですよね?文章の語順が逆だったと思われます。歴史学者は対外的な肩書きでした。紛らわしいのでこの際削除いたします。Superintendent of schools 2005年11月6日 (日) 11:46 (UTC)[返信]

敬了氏と博實氏[編集]

  1. 博實氏は福祉活動などに大きな功績があった。
  2. 故に地元出身の名族しか埋葬することのできない由緒ある寺に墓を造ることができた。
  3. 墓碑には敬了氏と思われる戒名がある。生没年は未確認。
  4. 博實氏の埋葬は住職が墓を開けて行なった。遺族は職人を頼む金銭的余裕もなかった。
  5. 博實氏の墓碑名は彫られていない。理由は上記同。
  6. 前妻との間に二子。後妻との間に一子。(この二名は行方不明)
  7. 敬了氏は香川県出身。博實氏は東京都出身。

関連資料[編集]

  1. 博實氏は電気関係の特許を取っていた。雑誌にも載ったことがある。
  2. 「資産50億円」という本は自伝。詳細不明。おそらく社内本か。
  3. 名古屋の学校資料は満州の実業家を記載したもの。かなりの人数収用。
  4. 「わが人生論」で地元出身でない人物はごくごく少数。博實氏は希。

補足[編集]

  1. 明治39年頃までに勲等を賜った軍人は31万人以上。全員の列伝は収用不可能。
  2. 特異な経歴がある軍人以外は普及している正史資料に列伝が残るのは希。
  3. 文献が少ないといっても、名士録は数多く発行されており、名前が残ることは多い。

結果[編集]

私が所有する名士録関連の文献を調べましたところ、敬了氏に関する物はありませんでした。引き続き調査致します。尚、「多田屋書店 大正七年 房総町村と人物」という名士録には数百人の名士が記載されており、士官クラスの人物もおりましたが、インターネットで検索した結果はヒットする人物は微少でした。また、敬了氏も業績は偉大なもののように思えるかもしれませんが、実際はもっと大きな業績をたてた人物の影にかくれてしまったようです。  式田啓次郎氏は上記の資料で『水産界に革新を起こした大家』とまで形容されていますが、ヒット数は一件。長戸路政司氏は『帝國大学法科卒。優秀な弁護士』山本欽作氏は『大日本武徳会柔道教士。総裁宮殿下より柔道教士の稱号を授興される』と形容されておりますが、資料はほとんどありませんでした。実際に古資料を紐解かなければ得れない知識もあります。インターネットにもそのような知識を少しづつ載せてゆくべきではないでしょか。また、『一部の人間が所有する資料』とおっしゃられますが、実際に所有なさっている方は私を始め、微少な 数ではありません。お読みいただきありがとうございました。219.126.68.26

  • (コメント)Aboshi様へ

インターネットをなめているというご意見の問答の前に、Aboshi様は歴史をなめているのではないですか?私は敬了氏の資料を選別し、信用があるものだけを絞り出しました。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、それらを判断して記事にペンを入れました。このサイトは多くの人間が議論、加筆できる場所です。それは大変素晴らしく、間違った記事内容を多くの人が吟味し、公正なものにできる『開かれた場所』です。Aboshi様はこの記事を否定しておられますが、マイナーな記事だといって歴史の内に蜻蛉となった貴重な情報を削除されれば、インターネットは『閉ざされた場所』になってしまうでしょう。確かにマイナーでもこの記事をご存知の方は多いはずです。敬了氏の遺族の方々や会社関係の方も閲覧なさるかもしれません。その可能性をも見失って、すぐ削除ではインターネットを有効活用できないですし、歴史の発展をも阻むことになりうる可能性があります。Superintendent of schools 2005年11月5日 (土) 11:17 (UTC)[返信]

あなたの「ノート:香川博實」での発言を見ると、あなたは(インターネットより前に)他人を舐めているとしか思えませんね。楽しいですか? -- NiKe 2005年11月5日 (土) 23:13 (UTC)[返信]

ビギナー向けガイダンス[編集]

えーと、219.126.68.26さんはビギナーさんのようなので、議論進行の上でいろいろミスがあります。で、本来ここでやるこっちゃありませんが、簡単にご説明。なんかあったら付け足していきます。

  • 基本的に、書いたものは消さないで下さい。取り消す場合は打ち消し線で(<del>ここに打ち消し線</del>で打ち消しになります。実際にやってみます。また、アカウントを取得した場合には、それまでの署名を書き換えるのではなく、「このアカウントを取りました。このあとはこちらで」といった挨拶をして切り替えた方が無難です(居住地がわかったあたりが不安につながっているのだとしても、履歴でIPはわかりますから、消しても意味はありません)。--Nekosuki600 2005年11月3日 (木) 10:21 (UTC)[返信]

現時点のまとめ[編集]

  1. 父の敬了は、昭和期に莫大な富を築き、「満州の造船王」と称されたとあるが、「昭和人名辞典」並び「満州人名辞典」に人名の記載はない。資料も残っていない。
  2. 子の博實は財界に地位を築いたとあるが、対外的な肩書きは柏市会議員、またPTAの会長である。
  3. 子の博實に関する文献は「わが人生論」なる非売品の地方の名士が人性訓を綴った書籍程度しかない。
  4. 子の博實は福祉活動で大きな功績があったというが、その詳細は不明で具体性に乏しい。Wing09 2005年11月5日 (土) 11:09 (UTC)[返信]
  • ということでよろしいでしょうか? これだけ資料に乏しいというのは業績がないに等しいことであって、実在するにしてもWikipediaは「人名録」ではなく、また、資料がないとなると、他人の検証できないのであり、「独自の研究」になってしまわないか、という疑問を持ちます。Wing09 2005年11月5日 (土) 11:09 (UTC)[返信]
  • (コメント)謹んで申し上げます。業績があっても資料(流布している一部の資料)が乏しいのは多くあることです。また、不明で具体性に乏しいとおっしゃられても、福祉団体に寄付をしても幾年かたてば問い合わせをしなければ知ることができない閉ざされた資料となります。Superintendent of schools