ノート:風と雲と虹と

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保存状況についてですが、NHKアーカイブスのサイトで検索してみたところ、総集編以外にも、通常の放送回の映像が相当数所蔵されているようです(権利関係の問題か、現状では公開はされていないようですが)。録画を持っていた視聴者からの寄贈かとも思いますが、事実関係に詳しい方の加筆修正をお願いします。


加筆いただいていたようで、有り難うございました。やや後段の記述と不整合になっているので文章の調整を施します。Hkato 2007年3月14日 (水) 03:34 (UTC)[返信]


はじめは加藤清正[編集]

この作品、確か当初は「加藤清正」の企画であったと耳に挟んだことがあります。要は朝鮮出兵がネックになりこの企画に化けたのだと記憶しておりますが、典拠は失念してしまいました。ちゃんと紙文献だったと思うのですけど。--でここ 2007年3月7日 (水) 01:04 (UTC)[返信]

 =この年の大河ドラマは、当初 池波正太郎・原作「火の国の城」が企画され、主演は勿論 加藤剛で内定していました。しかし、企画会議の時点で「大河ドラマとしてはスケール感に乏しい」として企画自体が「没」になってしまい、別の企画を出さねばならなくなった際、意見を求められた加藤剛の「私は以前から平将門に興味を持っている。将門を大河ドラマで取り上げることはできないか?将門を演じてみたい」という一言で、常にドラマ化の候補に上がっていた海音寺潮五郎作「平将門」「海と風と虹と」を原作とした企画が立ち上がり、ドラマの題名も海音寺氏の命名により「風と雲と虹と」に決定し(タイトル題字も海音寺氏筆)、ドラマ史上初めて平将門と藤原純友を主人公にした作品が誕生したのです。(出典:大原誠・著「大河ドラマの歳月」日本放送出版協会)222.146.35.86 2007年11月30日 (金) 09:24 (UTC)[返信]

2008年6月に時代劇専門チャンネルで放送された加藤剛のインタビューでは、経緯について「NHKから何をやりたいかと聞かれ平将門をやりたいと答えたが、武田信玄をやってほしいと言われたので信玄に関する資料を読んで色々勉強していたら、やはり将門でいきましょうという話になった」というような内容の話をしていました。--YANCHARIKA 2008年9月19日 (金) 17:55 (UTC)[返信]

=「火の国の城」案が没になったあと、長編歴史小説群をあらためて洗い直し、候補に上った企画は15作品ほどあったそうな。その中には「西郷隆盛」もあったというし、「将門」もあり、「信玄」もあったのでしょう。NHK側では「信玄」がイチオシだったのでしょうが、加藤剛が「将門を演じてみたい」というし、武田信玄は既に「天と地と」とで取り上げてもいるので、再度検討した結果「資料も少ないし、かなりの冒険だけれども挑戦という意味も込めて」「低成長という暗いトンネルの中にいるときには、現代とは遠い時代のロマンを見るのもよいのではないか」という意見もあって「将門&純友」に決定!! ・・・というのが私の推測。どちらにせよ「没」になったのだから、今更どうでもいいですけど。(参考資料:大原誠・著「大河ドラマの歳月」日本放送出版協会)--210.193.102.126 2009年9月12日 (土) 13:14 (UTC)

「火の国の城」は朝鮮出兵部分がネックになって流れた、「火の国の城」の加藤清正役には加藤剛が内定していた、平将門をやりたいというのは加藤剛の希望だった、ということが、能村庸一『実録テレビ時代劇史』(東京新聞出版)の229ページに、大原誠のコメントとして掲載されています。--203.91.164.37 2010年4月27日 (火) 13:32 (UTC)[返信]