ノート:除法

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除法の定義としてはこの記述でよいと思うのですが、このままだと 実数範囲での除法の実際問題への適応ができないと思います。

その部分を付け加えようとおもったのですが、理論的にはこれで 完成したのもなので、非常に付け加えにくいです。

書いた人がなんとか対応してくれればうれしいのですが…。 (2005年1月31日 (月) 20:57 JST、222.13.49.204)


対応してくれたようですね。ありがとうございます。 細かく修正しましたので、読んでほしいと思います。 (2005年6月30日 (木) 16:42 JST、221.185.216.4)

あれあれ。ばっさり切られたようですね。 しかし、この記述では「実際問題」でどのように「有理数」や「実数」の範囲で 除法が使われるかその定義が極めて曖昧ですよ。多分1あたり量が示されている からOKと思っているかも知れませんが、[個数]は自然数にしかなり得ません から、それだけじゃダメだと思いますね。 下に書いている、有理数への拡張は単に計算における定義だしね。 (2005年7月1日 (金) 00:23 JST、219.125.169.214)


[個数]の概念を忘れて…ですか。で、比の概念で有理数や実数に拡張しようと… なるほど。でも、どうやって[個数]の概念を「忘れ」るんです?そもそも除法の 定義にはばっちり自然数の範囲しかとりえない[個数]が明記されて、しかも、 それしか書かれていないというのに、それを忘れろとは、いったい全体何をしろ というのでしょう? 私は、一旦除数を自然数から連続数に拡張する行為を何らかの形で明記しなけれ ばならないと思っています。 (2005年7月1日 (金) 16:16 JST、221.185.216.4)


初等教育における除法 について[編集]

この項目の記述には出典の明示は一切ありません。内容をみると等分除・包含除についての認識不足も感じます。英語版( http://en.wikipedia.org/wiki/Division_(mathematics) )での以下のような記述,

Conceptually, division describes two distinct but related settings. Partitioning involves taking a set of size a and forming b groups that are equal in size. The size of each group formed, c, is the quotient of a and b. Quotative division involves taking a set of size a and forming groups of size c. The number of groups of this size that can be formed, b, is the quotient of a and c.

(上記引用では出典も明示されています)と比較しても、現状の記事はたんに個人的な見解が述べられている印象を拭えません。中立的な観点という方針にしたがい、現状の記述を、「信頼できる資料によって検証可能であり、執筆者の独自の研究でない」形に書き改める必要があると感じます。 --Sparrowhawk4344会話2013年5月14日 (火) 16:37 (UTC)[返信]


とくに異論がなければ,検証可能でないこの項目「初等教育における除法」を削除し,

初等的な数学教育手法では、整数の除法の場合その意味から等分除と包含除の 2 種類に分類される。ある量が「基準となる量」の「幾つ分」に除されるかを考えるとき、「基準となる量」を求めるのが等分除、「幾つ分」になるかを求めるのが包含除である。(2012年5月17日 (木) 04:01時点における版)

は,

除法は、整数の除法の場合その意味から等分除包含除の 2 種類に分類される。ある量が「基準となる量」の「幾つ分」に除されるかを考えるとき、「基準となる量」を求めるのが等分除、「幾つ分」になるかを求めるのが包含除である。(2012年3月31日 (土) 02:15時点における版 )

に戻します。 --Sparrowhawk4344会話2013年5月28日 (火) 22:31 (UTC)[返信]

異論あり、単に戻すのではなく出典をおつけください。削除するのではなく、内容を改善する方向で考えるべきです。--T6n8会話2013年6月4日 (火) 11:00 (UTC)[返信]

>T6n8さん
Fosnot and Dolk 2001. Young Mathematicians at Work: Constructing Multiplication and Division. Portsmouth, NH: Heinemann.
では不十分でしょうか。--Sparrowhawk4344会話2013年6月4日 (火) 11:11 (UTC)[返信]
引用時には書籍全体を示すのでは不十分でページを示すべきです。また、それは数学教育の文献なので、「初等的な数学教育手法では」をはずして、一般的な事実とする根拠にはなりえません。--T6n8会話2013年6月4日 (火) 22:52 (UTC)[返信]
>T6n8さん
なるほど,では英語版( http://en.wikipedia.org/wiki/Division_(mathematics) )も不十分ということですね。了解しました。遠山の文献などで探してみます。いずれにせよ,なんの出典も示されていない「初等教育における除法」は削除ということでよろしいでしょうか?--Sparrowhawk4344会話2013年6月5日 (水) 10:43 (UTC)[返信]
Sparrowhawk4344さんはページを示さないというのは、見てもいない文献を英語版で引用されていたからといって出典にしようとしていたのでしょうか?それは不誠実・無責任な態度です。出典が不十分なところは、まだ多くの項目にわたっており、出典は追加されることが望ましいです。出典がまったく示されていないのは定義以降すべての節にわたっており、「初等教育における除法」だけ削除する理由にはならないでしょう。「本文の記述が不適切または、不条理、有害なことが明らかな場合」でもないので当面現状のように出典待ち継続が妥当でしょう。--T6n8会話2013年6月5日 (水) 12:48 (UTC)[返信]
>T6n8さん
信頼できる出典があるのかどうかが問題でしょう。英語版( http://en.wikipedia.org/wiki/Division_(mathematics) )は出典をあげている例としてお示ししたまでです。「等分除・包含除」についてはいくつかの文献が他にもあり,わたしは具体的にあげることができます。そしてこの「初等教育における除法」では出典は全く示されていない。「あなたが本当にその記述を信じられないならば、それを除去して、ノートページで情報源を要求してください。」(Wikipedia:信頼できる情報源)とあります。わたしは現在の記述内容を「信じられ」ません。けれどわたしは「除去」せず,「情報源を要求」していました。1ヶ月待ったところで変更案の提案をしています。あなたはわたしに情報源を要求しわたしの提案した出典を不十分とされたところです。
なお執筆者が不十分な出典を十分であるといい張る場合もあるようです。執筆者がたとえ読んでいたとしても情報源として十分か否かが問題でしょう。--Sparrowhawk4344会話2013年6月5日 (水) 14:52 (UTC)[返信]


>K.nekota さん

「等分除・包含除」についての出典を提示下さりありがとうございます。ただ「等分除・包含除」をわざわざ「初等教育における除法」として詳述するまでもないと思ってはいます。また「特に数量感覚が発達していない幼児期においては、後者の方法がふつうのやり方である場合もあり得る。」「等分除とは何か、包含除とは何かを定義することは現実には不可能であるといえよう。」「児童に等分除と包含除の区別があるかのように指導すればかえって誤解をまねくことがあり、等分除と包含除の区別はあくまでも便宜上のものと考えるべきであるという主張がなされている。」等の部分は出典を明示されない限り除去すべきものと思います。

「ウィキペディアは、完全で、信頼の置ける百科事典を目指しています。記事を執筆する際は、閲覧者や他の編集者が内容を検証できるよう、信頼できる情報源 (en:Wikipedia:Reliable sources) にあたり、出典を明記するべきです。」(Wikipedia:検証可能性)とあります。また「Wikipedia:独自研究は載せない」も参照してください。

ちなみに「等分除・包含除」に関連して自然数の(割り切れる)除法についてのみ取りあげるのは偏った記述でしょう。「与えられた線分の三等分を作図すること」(等分除)と「長さが3の線分との「積」が与えられた線分と合同となる線分を作図すること」(包含除)とは「現実に」区別「可能」です。そして「等分除・包含除」の区別は「初等教育」にかぎったものではないでしょう。--Sparrowhawk4344会話2013年6月5日 (水) 16:15 (UTC)[返信]

>K.nekota さん

もし異論がないならば,「初等教育における除法」全体を除去するか,出典が示されていない部分を除去することを提案します。--Sparrowhawk4344会話2013年6月6日 (木) 22:20 (UTC)[返信]

現状の「初等教育における除法」節は執筆者個人の思いが強すぎる文体なので改善が必要だとは思いますが、しかし「「等分除・包含除」の区別は「初等教育」にかぎったものではない」というのは同意できないです。確かにそれを区別することは可能ですし、初等教育ではそれを重視する必要があるのかもしれないということも(私は初等教育は門外漢なので、専門家の方がそうおっしゃるなら)まぁわからないではないです。しかし、だからといってそれが中等高等教育でも重要か、数学的に本質的かというと、直接それを結論できるわけではないです。また、私はそのように記述した文献を見たことはないし、私個人の感覚としても首肯できないです。それを明確に示す出典は持ち合わせていませんが、これまでに挙げられている出典がすべて数学教育に関する文献・数学教育の専門家の見解であるということは傍証になるでしょう。Sparrowhawk4344さんによる2013年5月28日 (火) 22:31 (UTC)の提案は初等教育の文脈を離れてまで「「等分除・包含除」の区別」が意味を持つかのような記述を推していますので、それには反対です。--126.60.118.143 2013年6月8日 (土) 08:40 (UTC)[返信]
>126.60.118.143さん
「「初等教育」にかぎったものではない」と書きましたが,「それが中等高等教育でも重要である」「数学的に本質的である」などとは主張してはいません。「初等教育の文脈を離れて」も「「等分除・包含除」の区別」」が「意味をもちうる」ことを指摘したまでで,数学上で「意味」をもたせることは可能ですし,数学よりもむしろ,認知心理学等にかかわって「重要」になることもあるかもしれません。数学についていえば,「与えられた線分の三等分を作図すること」(等分除)と「長さが3の線分との「積」が与えられた線分と合同となる線分を作図すること」(包含除)とは「現実に」区別「可能」でしょうし,「m×0=0,m×n'=m×n+m」などと定義するとき,「a×3」「3×a」は区別できます(そうでなければ「m×n=n×m の証明」などは「不可能」でしょう)から,「a×3=b をみたす a を求めること」と「3×a=b をみたす a を求めること」も区別できるでしょう(「結果が等しいから区別できない」というのは混乱した主張と感じます)。
いずれにせよ,わたしは「それが中等高等教育でも重要である」「数学的に本質的である」などとは主張していません。わたしは,あなたが「数学的に本質的」ではないと感じられているかもしれない部分をふくむ「初等教育における除法」全体を除去するか,出典が示されていない部分を除去することを提案しています。--Sparrowhawk4344会話2013年6月8日 (土) 11:50 (UTC)[返信]

数学者の立場からすると、除法というのは逆元を掛けることに他ならないので、「除法には2種類ある」という記述には違和感を感じます。より正確には、「除法の意味付けには2種類ある」ということでしょう。そういう記述の仕方であれば、「初等教育では」という枕詞も必要ないでしょうし、双方の違和感が軽減されて、不毛な議論をしなくて済むのではないか、と期待するのですが、いかがでしょうか。出典のないやや偏った記述を削除することには賛成します。ただし、意味付けには2種類あって、初等教育では等分除と包含除の区別を意識することが重要とされている、といった内容は保存することを主張します。任せて頂けるならば、ドラフトを書いてみます(時間は少し頂きますが)。--白駒会話2013年6月8日 (土) 14:30 (UTC)[返信]

>白駒さん
一般の 3 項関係 R(x,y,z) において,「R(a,3,b) をみたす a」と「R(3,a,b) をみたす a」とは区別できるでしょう。「数学においては、乗法を持つ代数的構造について「逆元を掛けること」として除法を考えることができる。一般には乗法が可換であるとは限らないため、除法も左右 2 通り考えられる。」という記述はすでにあります。(念のためお断りしておきますが,「区別できる」「2 通り考えられる」というだけで「どんな場合でも区別が重要である」「可換である場合もつねに 2 通り考えられることが本質的である」とは言っていません。)
「初等教育では等分除と包含除の区別を意識することが重要とされている」についてはいくつか出典があるでしょう。ただ,認知心理学などの方面から「等分除と包含除の区別」をすることもあるようです。
もともとの,
除法は、整数の除法の場合その意味から等分除包含除の 2 種類に分類される。ある量が「基準となる量」の「幾つ分」に除されるかを考えるとき、「基準となる量」を求めるのが等分除、「幾つ分」になるかを求めるのが包含除である。(2012年3月31日 (土) 02:15時点における版 )
は「整数の除法の場合」にかぎっている点に疑問を感じていますが,現在の偏った記述よりはましと感じてます。より正確な記述になることを期待しています。--Sparrowhawk4344会話2013年6月8日 (土) 22:17 (UTC)[返信]

昨日の発言があまりうまくなく、理解していただけていないような気がするので補足を。私は「確かにそれを区別することは可能」と言いました通り、「「「等分除・包含除」の区別」が「意味をもちうる」こと」は理解しておりますし、その点については同意します。ですので、それに加えてSparrowhawk4344さんが「「それが中等高等教育でも重要である」「数学的に本質的である」などとは主張していません。」とおっしゃるのであれば、ここまでは完全に見解は一致しています。昨日の私の発言は、「除法は、整数の除法の場合その意味から等分除包含除の 2 種類に分類される。」という記述では、Sparrowhawk4344さんの意に反して、さもその区別が除法を考えるあらゆる文脈において重要であるかのように読めてしまいますよ、という指摘のつもりでした。その点、白駒さんの提案された「除法の意味付けには2種類ある」という方向性であれば問題は生じませんので、白駒さんのドラフトを待ちたいと思っています。--126.60.118.143 2013年6月9日 (日) 01:29 (UTC)[返信]

>26.60.118.143さん
「除法は、整数の除法の場合その意味から等分除包含除の 2 種類に分類される。」(ここには「その意味から」とあります。「意味付け」とどう異なるのでしょう?)という表現が「その区別が除法を考えるあらゆる文脈において重要である」という主張に結びつくというご意見なのですね。「Conceptually, division describes two distinct but related settings.(en:Division (mathematics))」といった表現にも同じ問題をお感じになるのでしょうか。「等分除・包含除の区別」がどのような領域で「重要」とされているかなどについては「除法」で扱う範囲をこえていると思います。
そもそも,現在の記事では「初等教育における除法」においては「等分除・包含除の区別」だけが「重要」であるかのように読めてしまうと感じる人もいるかもしれません。
わたしは,「初等教育における除法」を除去し,「等分除・包含除の区別」については英語版同様簡潔な表現にとどめることを提案しています。--Sparrowhawk4344会話2013年6月9日 (日) 03:43 (UTC)[返信]

「初等教育における除法」の出典のない部分の削除を提案いたします。--Sparrowhawk4344会話2013年9月23日 (月) 01:58 (UTC)[返信]


とりあえず,「初等教育における除法」の出典の明示がない部分を削除しました。「除法には、等分除と包含除という2種類の除法があるという主張がある。」という表現は,冒頭文の「初等的な数学教育手法では、整数の除法の場合その意味から等分除と包含除の 2 種類に分類される。」と整合性がとれていないように感じています。--Sparrowhawk4344会話2013年10月6日 (日) 02:22 (UTC)[返信]

この章の冒頭部を

等分除包含除について東京書籍算数教科書の著者の1人、加藤明(兵庫教育大学大学院教授)は、

に変更することを提案いたします。もしそれでよければ,編集と同時に「未検証」「独自研究」のテンプレートの除去も行いたいと思います。--Sparrowhawk4344会話2013年10月7日 (月) 13:33 (UTC)[返信]

上記編集とともに本文の記述に合わせたかたちで「初等教育における除法」を「等分除と包含除」に変更しました。--Sparrowhawk4344会話2013年10月26日 (土) 16:51 (UTC)[返信]

等分除と包含除の節をコメントアウトしました。現状では、除法の項に含めるより「掛け算問題」や数学教育に関する記事へ記載するのが適当なように思います。--Glayhours会話2014年12月14日 (日) 16:37 (UTC)[返信]

記事本文でも誘導されていますが、等分除と包含除かけ算の順序問題#等分除と包含除へ移されましたことをこちらにも報告しておきます。--Glayhours会話2014年12月15日 (月) 15:40 (UTC)[返信]