ノート:長崎省吾

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次女の良子について[編集]

『人事興信録』第8版の三浦恵民の項目に、長崎省吾の次女「良子」は三浦恵民の次男・恵一の妻であるとの記述があり、本記事でもそれを引いていたわけですが、『人事興信録』第8版をよく調べると野津鎮之助の項目には野津の妹「美屋子」(=野津道貫の娘)が三浦恵民次男・恵一に嫁いだ、との記述があります。『人事興信録』には稀に同姓同名人物の混同が見られるので、この内容の交錯もそういった類のものでしょう。

三浦恵一について国会図書館デジタルコレクションで検索したところ、福田東作 編『人物と其勢力』(1915年)なる文献に名古屋電灯創業者三浦恵民の次男・恵一は法学士で農商務省特許局事務官、その妻「宮子」は野津道貫の娘という記述が見つかりました。他に「農商務事務官法学士三浦恵一氏夫人宮子」の写真も見つかります。他方で、同時代、憲兵に「三浦恵一」という同姓同名の人物(『人事興信録』第13版によると山口県士族・憲兵大佐)がいたようで、『軍事警察雑誌』第155号には「三浦恵一大尉夫人良子殿」が1920年8月に亡くなったという記事が載っています。これらを総合すると、三浦恵民の次男・恵一の妻は野津道貫の宮子(美屋子)であるという方が正しく、長崎省吾の次女良子は憲兵三浦恵一の妻ではないか、と思われます。--継之助会話2023年5月17日 (水) 07:51 (UTC)[返信]