ノート:谷元道之

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主計大監、主計総監に昇進となっておりますが、出典箇所を明記してください。明治13年に民間に下った人物が少将相当官まで昇進するの難しいのではないかと思われます。仁礼景範明治13年、樺山資紀で明治14年少将です。明治1桁ですと川村純義西郷従道クラス。これら海軍大臣クラスと同様にスピード出世したんでしょうか?総監にしては位階勲等が引くすぎますし、正六位ですとやはり中監だと思われるのですが。

谷元が主計中監とするネット上の情報ですとコトバンク日本帝国国会議員正伝が見つかります。手持ち資料ですと、主計総監は明治20年代に誕生するようです。

以上出典箇所を求める理由となります。--Stingfield 2011年12月4日 (日) 13:20 (UTC)[返信]

すみません。ご報告ありがとうございます。調べましたところ、やはり中監で間違い無いです。そしてのちに「主計総監」のポストに就いています。よって大監にはなっておりません。修正いたします。--角力風景 2011年12月6日 (火) 14:55 (UTC)[返信]
ご対応いただきましたが、よく分かりません。主計大監を経ずに主計総監になったということでしょうか?その主計総監に就いたということは、どの資料の何頁を見れば確認できますか?それをお示しいただきたいのです。現状の四つの参考文献のいずれか、あるいはそれ以外の文献なのか、そしてそれはどの部分を確認すればよいのかということです。記事中に示すのが難しければ、こちらに書いていただいて構いません。--Stingfield 2011年12月7日 (水) 08:57 (UTC)[返信]
「主計総監」の記述ですが、日外アソシエーツで確認しました。しかし、他の文献では、やはり総じて「主計中監」です。ありがとうございます。再度、修正いたします。--角力風景 2011年12月8日 (木) 15:37 (UTC)[返信]
ご対応ありがとうございました。幕末の活動暦や、明治初期に留学、初任で中監、その後の活躍ぶりを見ればそのまま海軍省にいれば総監になった方でしょうね。カテゴリーを他の初期海軍省で活躍した人物にあわせて変更しました。ご確認ください。--Stingfield 2011年12月9日 (金) 11:03 (UTC)[返信]
すみません。当方、風邪のほうを患いましてここ数日ほどまったく動けず、お礼が遅れました。ありがとうございます。やはり、お詳しい柴崎さんにも加筆して戴き、感謝です。--角力風景 2011年12月12日 (月) 13:19 (UTC)[返信]