ノート:誤謬

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間違った類推[編集]

>条件の相異や例外の存在を考慮に入れずに類推し、その類推を大前提として論旨を組み立てること。「判例によれば2人までの殺人では死刑にならない。君は2人しか殺していないということなので死刑にはならないだろう。」判例変更の可能性を考慮していない。また推論の前提となる事実(君は2人しか殺していない)が間違っている可能性を考慮していない。

「ならない」と断言しているなら、間違っていますが、「ならないだろう」といっている場合は、 もちろん他の可能性もあることを認めていてその上でもっとも妥当な予測をしているだけなので、間違っていないとおもいます。 「2人しか殺していない」についても、前提となる事柄について、間違っている可能性を考慮していないという指摘について、 「ということなので」と、君が嘘をついていないのならば、という前提の元では、という条件に基づいてその結果を論じているので、 可能性を考慮していないという指摘は間違いです。 この箇所についての指摘においては、その後ろに続く言葉を途中で切り離して、一部だけ切り取って誤った論理を展開しているので、 この指摘こそが誤謬です。  「ならない」と「ならないだろう」  「していない」と「していないということなので」 以上の両者それぞれ異なることです。混同するのこそ誤謬です。 さらにいえば、「判例によれば~にならない」は自らの推量の妥当性や根拠を指し示すもので、 判例が覆る可能性を考慮していないわけではありません。判例踏襲の可能性のほうが、覆る可能性よりも高いのは、 先例主義の裁判制度では当然ですので、妥当な推量であって、誤謬ではありません。 まったくもって、判例が覆ることなどありえない、だなんていっていないにもかかわらず、そういっているかのように論じて誤謬だというのは、 誤った論理展開です。

板倉聖宣[編集]

  • 板倉聖宣について。あたかも無名で権威のないライターによる著作であるかのような理由をもって「独自研究」のテンプレートが導入されましたが、板倉聖宣は東京大学理学部で博士号を取得し、国立教育研究所で奉職したのち板倉研究室を創設し、この方面での膨大な著作活動をおこなっている、当記事が参照すべき専門家というべき人物です。もっとも、2022年5月20日(金)05:15に山本海行氏により加筆されて以降[1]、出典書籍に実際にあたり引用が適切になされているか等の検証がおこなわれている気配はありませんので(わたくしも検証していません)、未検証のテンプレートを導入することは適切と考えられますので、「独自研究」のテンプレートを「未検証」のテンプレートに変更させて頂きました。--大和屋敷会話2023年6月2日 (金) 03:26 (UTC)[返信]
  • なお山本海行さんが加筆時に参照したと思われる書籍(板倉聖宣1953)というのが具体的にどの著作を指定しているのか不明なのは問題だと思います。経歴の前後関係から【「物理学と矛盾論」『科学と方法』別冊6、東大自然弁証法研究会、1955年3月】の事だろうか。検索したところ『科学と方法』という著作名で1986年に季節社から出版されていることは確認できましたが、他の書籍であるばあい、ページ指定などが違ってくる可能性があります。--大和屋敷会話2023年6月2日 (金) 03:37 (UTC)[返信]