ノート:西蔵地方/統合の必要性についての検証

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この節は、「統合の必要性」を感じる人に、西蔵西蔵地方の概念、用法が同一であることの立証や、この二つの用語それぞれを別記事とすることの弊害が、統合する利点よりも大きいと感じる根拠を提出してもらい、統合の必要性を検証してゆく場です。--Dalaibaatur 2006年5月11日 (木) 18:19 (UTC)[返信]

削除申請への賛否については、上記で紹介した所定欄で行っていただくとして、本節では、統合の必要性について検証してゆくものとする。

そもそも、西蔵西蔵地方についての統合の議論は、ひとつの記事の内容に私が分割を提案して議論になっているのではなく、別個の二つの用語に対して設けられたふたつの記事に対し、統合の必要を感じたらしい人が問題提起することにより議論が開始されたのである。上記に見える「答えになっていない」「微妙にずらした」という感想は、この点を勘違いしていることにもとづくと思われる。

上記で問題提起している統合論者には、別個の概念・用法を有する別個の用語に対してそれぞれ別個の記事を設けることに、なぜ、どのような問題があるのかについて、両記事の実際の文章に則して説明したものが一人もいない。両記事の実際の文章に則した欠点、利点の実例は「尽きた」「出尽くした」どころか、まだ一例たりとも提示されていないのである。別記事であることの欠点、統合した場合の利点など、両記事に実在する実際の文章に則して提示されていないため、その欠点が、はたして統合せねば解消できないものであるのかどうか、その利点が、別記事のままでも獲得できないかどうかなど、実際の記事に則した検証はまったく行われていない。

そこで議論の水準を、単なる感想を表示するだけのレベルから、実際の記事に則した具体的、実証的なものとするため、現在、統合を主張する者に対し、「西蔵」「西蔵地方」について【「概念」や「用法」が全く一致することが立証されるか、別個の記事であることの不都合が、統合した場合の利点をはるかに上回って大きいことの少なくとも一方について、両記事の現存する文面に則して明確に提示された場合には、統合の提案に説得力を認めることも可能】とのべ、立証もしくは両記事の現存する文面に則した実例の提示を待っているところである。--Dalaibaatur 2006年5月8日 (月) 11:38 (UTC)[返信]

なんか、文章が長い割にはあいかわらず逆ギレしてるだけで、質問・疑問の答えになっていないけれど、このノートの中でDalaibaatur さんが、「西蔵という用語と西蔵地方という用語は、まったく同義でつかわれることもある一方で、まったく別個の概念としても用いられる用語」と、「まったく同義でつかわれることもある」と言ってるじゃん。執筆者が、別個の概念であって、でも同義で使われることもある、なんていってんだから、やっぱ、紛らわしいと、お・も・い・ま・す!!--60.39.107.15 2006年5月9日 (火) 11:19 (UTC)[返信]

私の発言のなかには【別個の概念であって、でも同義で使われることもある】「なんていっている」文面はひとつも存在しません。私自身の発言は【「概念」や「用法」に一致点もあるが、相違点の部分が非常に大きな別個の二つの用語】。問題のふたつの用語の概念、用法が全く一致することの立証や、両記事の実際の文面に則した用例の提示がなされるのを楽しみにお待ちしています。--Dalaibaatur 2006年5月9日 (火) 23:07 (UTC)[返信]

いや問題はですね、「似たようなタイトルのページがあって紛らわしい」とか、「統合した方がいいじゃないか」と言う、複数の読者の素朴な意見をどう汲み取るかと言う事で、「立証」とか何とか言う観念論争じゃないんですよ。問題になっている2つのページは、Dalaibaaturさん個人の論文でも私的な日記でもないんですから。--218.110.1.104 2006年5月10日 (水) 01:44 (UTC)[返信]

「ふたつの別個の用語にたいしてもうけられたふたつの別個の記事」ですから、「論文でも私的な日記」でもないのは当然です。いまのところ、別個の用語に別個の記事が立っていることについて、「統合論者」の中には、両記事の実際の文面に則して具体的に問題点を指摘した人がおりません。なんとなく「統合したいなぁ」と「素朴」に思ってる人に「観念的」に「必要あると思う思う」と連呼されるだけではラチがあかないので、両記事の実際の文面に則して問題を提示するよう促し、観念論争ではない具体的議論が行われることを期待しているところです。--Dalaibaatur 2006年5月11日 (木) 18:19 (UTC)[返信]

てっきり、「西蔵」という記事に、現在のチベットのことが書かれていると思ったら、「チベット」という別記事があるんですね。ならば、「西蔵」も「西蔵地方」も、中国語(漢語)を使う政権での使い方の問題として共通するのではないですか? 「西蔵」にチベットのことが書かれているなら、別記事を主張している人の意見も理解できるのですが、そうでないなら、統合すべきだと思いますよ。 --ねこぱんだ 2006年5月10日 (水) 23:41 (UTC)[返信]

西蔵地方は「中国政権の歴代が中国を構成する一地方を指す概念としてこの用語をどうもちいてきたか」が述べられます。一方、西蔵の方では「国、地域」概念一般として、世界の各国や、中国政府の支配下にない中国語話者たちが用いる「西蔵」という用語、概念の諸相について述べます。「使い方の問題として」は、「共通していない」部分、「全く相反する部分」がありますので、「統合の必要はない」と思います。問題点があるような気がする方々には、両記事の実際の文面に則して個別的、具体的に提示していただくと、ありがたいですね。--Dalaibaatur 2006年5月11日 (木) 18:19 (UTC)[返信]

とすると、Dalaibaaturさんの論理だと、「チベット」と「西蔵」を統合すべきとなりますが。どちらも、「国、地域」概念一般の記述で、それを英語などのことばを使う人と、漢語(中国語)を使う人たちの差となります。「サハリン」「サガレン」「樺太」のようなことでしょうか。 --ねこぱんだ 2006年5月11日 (木) 23:03 (UTC)[返信]
私の「論理」については、私の文章の実際の文面に則してご提示いただけるとありがたいです。//私の構想では、西蔵西蔵地方は、吐蕃烏斯蔵唐古特西番プーと大プーチベット十三万戸とならび、中国およびその周辺で使用された地域概念の呼称とその用法について説明する項目としていちづけられています。チベット西蔵自治区その他の各蔵族自治州など、実際の国・地域や自治体そのものを説明する項目とは別個の存在です。//西蔵の、「日本における用例」の部分では、「明治末期より、昭和中期にかけて使用された表記」として説明しました。--Dalaibaatur 2006年5月12日 (金) 17:41 (UTC)[返信]

「紛らわしい」と言う意見は、素朴ではあっても具体的な指摘ですよ。(218.110.1.104 2006年5月10日)の方が指摘されたのは、「西蔵」と「西蔵地方」に関する専門的議論に終始するのではなく、読者から寄せられた意見を踏まえて、それでは百科事典の記事として、どうしたらそういう声に応え、もっと利用してもらいやすい記事にできるのか、そういう視点で記事のあり方にもう一工夫してみてはどうかという意見ですよ。意見を寄せる人は、Dalaibaaturさんに敵対する「統合論者」ではなく、「読者」の一人であり、読者から「要望」が寄せられていると考えるべきですよ。「自分はそうは思わない」、「検証せよ」、「統合論者」などと言う居丈高な言葉を使わずに、そういう風に考えてみたらどうですか。--Kogane 2006年5月11日 (木) 23:38 (UTC)[返信]

「敵対」しているなどとは全く思っていませんが、「統合すべき」「紛らわしい」とここで意見、感想を述べる皆さんには、「なぜ?」「どこが?」と質問させていただきます。なぜなら単なる抽象的な感想だけいくら頂戴しても、「両記事」の現存の文面を修訂するための「具体的」な参考にはできないためです。両記事の実際の文面に則したご意見をいくつかいただいたので、記事の文面をわかりやすく、「百科事典の記事として、もっと利用してもらいやすい記事にできるのか」についての参考にさせていただきます。--Dalaibaatur 2006年5月12日 (金) 17:41 (UTC)[返信]

私も同じように思うのですが、記事の内容ではなく似たようなタイトルの記事名が複数あって読者には非常にわかりにくいです。最悪だったのは「西蔵地方」というリンクの仕方です。西蔵西蔵地方チベットチベット自治区など非常に似た用語が多く専門家には違いがわかると思いますが一般素人が見たら「西蔵」=「チベット」?? となってしまい混乱します。特に記事自体は定義がされていて開けばわかるかもしれませんが、チベット関連の記事を開くとその記事の中にいくつもリンクが貼られていてそれば複数の記事へのリンクなので読者にはわかりにくいです。現状のままだと使いにくいので(他の人がメンテナンスでリンクを加えたりするのも不便です)記事を統合するなり、記事の階層化によってスリム化をはかることを検討したほうがよいと思うのですがどうでしょうか?たね 2006年5月12日 (金) 04:04 (UTC)[返信]

実際の記事の文面に則したご指摘をありがとうございます。「チベット関連の記事を開くとその記事の中にいくつもリンクが貼られていてそれば複数の記事へのリンクなので読者にはわかりにくい」とは、具体的にはどの記事のことですか?上で「非常に似た用語が多く」と述べておられる4記事では、そうなっていませんね。いずれにせよ、これは、関連項目を分野別に整理、提示すれば、「統合」せずとも解決できる問題かと思います。「最悪のリンクの仕方」は、西蔵地方の記事がたつ以前に書いた文面の中にあるリンクです。このように別個の記事をたてたからには、こちらにリンク先を変更すべきというご指摘はまったく当然ですね。「スリム化」については、safkan氏のご指摘を参考に、kogane氏への回答で示したような構想にもとづき、諸氏からの意見表明もふまえながら、順次とりくんでゆくつもりです。--Dalaibaatur 2006年5月12日 (金) 17:41 (UTC)[返信]
あまりよい例ではありませんが、チベット自治区では冒頭で『チベット自治区(―じちく、西蔵自治区(せいぞう-じちく)、』とされているので、読者にとっては「チベット」と「西蔵」がカタカナ表記と漢字表記の違いとしか捉えられないわけで、その下の本文中では『中華人民共和国チベットの西南半分程度の面積をしめる「西蔵」地方に設けたチベット民族』とくればもうパニック状態です。おまけで、リダイレクトの「西蔵自治区」が本文中に混じってて余計にわからなく…『西蔵部分のみを指す「[[チベット地方]]→(西蔵地方へのリダイレクト)」という用語や、』というのもあります。素人がこれを読んでわかるとは思えませんし、私もよくわかりませんでした…たね 2006年5月12日 (金) 19:00 (UTC)[返信]
カム (チベット)の冒頭『カムは歴史的チベットの東部地方。』というのもわかりにくいです。記事の内容は別として、チベット関連の記事を一旦一覧化してどのくらいあるか探したほうがよいかも。たね 2006年5月12日 (金) 18:36 (UTC)[返信]

たね氏はご存知のことですが、チベット自治区の文面については、Safkan氏による編纂終了宣言がでるまで私は編纂にはタッチしません。上でも少しコメントを述べているSafkan氏は、関係者一同によってこの記事の執筆者に推戴された方であり、上で話題になっている一連の関係用語の概念意味用法は全て熟知把握しておられるであろうこと、いずれ氏が提供されるであろう改訂版では、一連の用語の用法が簡潔、明快に整理提示されるであろうと期待しています。他の記事(とくに西蔵西蔵地方の文面)で、気がついたことがありましたら、お知らせください。--Dalaibaatur 2006年5月12日 (金) 22:15 (UTC)[返信]

西蔵西蔵地方チベットの各記事の定義部の文章を、チベット自治区の記事の文面を反面教師として修訂しました。--Dalaibaatur 2006年5月15日 (月) 15:58 (UTC)[返信]

修正--Dalaibaatur 2006年5月15日 (月) 21:42 (UTC)[返信]

  • たねさんが指摘された「記事の内容ではなく似たようなタイトルの記事名が複数あって読者には非常にわかりにくい」というのは、以前からこのノートに寄せられた、各人の意見共通の内容ですよ。それに実に具体的な指摘です。問題は「実際の記事の文面」というよりも「記事の体裁」にあるのです。自分の書いた文章を頑なに抱え込まずに、読者の要望を汲み取る姿勢を少しは示したらどうですか。--Kogane 2006年5月20日 (土) 03:48 (UTC)[返信]
統合論者の要望を汲み取る姿勢を示すため、Kogane氏あての「2006年5月7日 (日) 14:34 (UTC)」の投稿で、「西蔵」と「西蔵地方」という「二つの用語について、「概念」や「用法」が全く一致することが立証されるか、別個の記事であることの不都合が、統合した場合の利点をはるかに上回って大きいことの少なくとも一方について、両記事の現存する文面に則して明確に提示された場合には、統合の提案に説得力を認めることも可能」と、述べています。[返信]
Kogane 氏が、「両記事の現存する文面に則し」た指摘にとりくもうとなさらないとしても、それはあなたのご自由ですが、それでは私は「説得」されようにもされようがありません。--Dalaibaatur 2006年5月26日 (金) 08:44 (UTC)[[返信]


記事名が似ているということで、リダイレクトからすると「チベット地方」=「西蔵地方」・「チベット自治区」=「西蔵自治区」みたいですが、「西蔵」=「チベット」がなんで違うのかよくわかりません。yahoo!の辞書でもチベットは西蔵とも書くとありますし、「ちべっと」をIME(Windows)で変換すると候補として「西蔵」「チベット」が出てきます。この状況下において百科事典の情報を必要と知る利用者にとって必ずしもわかりやすい状況と言えるでしょうか?あまりにも記事名のこだわりすぎて必要と知る内容がどこにあるのかが見つけにくい状況です。並列方式で記事を作らず縦階層でまとめる手もあるのではないでしょうか。たね 2006年5月23日 (火) 08:19 (UTC)[返信]

【「西蔵」=「チベット」がなんで違うのかよくわかりません】とのことですが、西蔵および西蔵地方の定義部で示しているとおり、「西蔵」はチベットのうちの、西南方の2分の1程度をしめる範囲を指す、中国発の地域概念です。【「西蔵」はチベットの一部分】ということで、」全然別個の概念です。--Dalaibaatur 2006年5月26日 (金) 08:44 (UTC)[返信]
執筆者がこれらの記事名に特別な意味を持たせたいということはわかりますが、日本語の意味としては「チベット」と「西蔵」は同じものでしょう。ここはあくまでもウィキペディア日本語版ですので、記事名は日本語としての一般的な意味にする必要があると考えます。また、チベットにはzh:西藏西蔵にはzh:西藏问题の多言語間リンクが張られているというのもややこしすぎます。本稿の記事名は中国語版に合わせて「チベット問題」としたほうがより具体的でわかりやすいのではないでしょうか。
大体、歴史的な記事だということはわかりますが、烏斯蔵吐蕃西番唐古特も現時点ではほとんどスタブかリダイレクトですので、独立記事として必要かどうか検討する必要があると思います。そもそも、日本の地名でもノート:名古屋ノート:札幌など、似たような地域をさす記事を立てることに論争が多い状態で、日本以外の地名についてこれだけ多くの記事を立てる必要があるかどうかは甚だ疑問です。--shikai shaw 2006年5月24日 (水) 01:23 (UTC)[返信]

【日本語の意味としては「チベット」と「西蔵」は同じものでしょう。】とのことですが、ちがいます。西蔵および西蔵地方の定義部参照。【執筆者がこれらの記事名に特別な意味を持たせたい】のではなく、現に概念、用法ともまったく異なる別個の用語です。多言語間リンクの現状の貼り方は、修正すればいいと考えます。--Dalaibaatur 2006年5月26日 (金) 08:44 (UTC)[返信]

話がかみ合っていないというかなんというか…Dalaibaaturさんと他の方(私も含む)ではかなり考え方が違うと思います。Dalaibaaturさんが主張するのはその用語が具体的にどう違うかを述べており非常に高次元の話をしています。しかし他の方の指摘はもっと低次元の話で、非常に似た用語でありわかりにくいということです。で、私の主張した「チベット」=「西蔵」ですが、Dalaibaaturさんのご指摘では「チベット」≠「西蔵」でるなら、「チベット(の)地方」=「西蔵(の)地方」・「チベット(の)自治区」=「西蔵(の)自治区」は同じなのか??素人の私がリンクをたどっていっても理解できません。上で他の方が指摘しているのも具体的な記事内容ではなく非常に似た記事名でわかりにくいといっているだけです。記事名にとらわれず、例えばひとつの記事にまとめてその中に詳細に別ページ化(ツリー状に)していくことでわかりやすくする方法もあるはずです。今の状況は記事名にとらわれすぎて内容が分散し目的のものがわかりにくいです。たね 2006年5月26日 (金) 15:49 (UTC)[返信]

私の言いたいことも基本的にたねさんと同じです。Dalaibaaturさんがおっしゃるようにチベットと西蔵が違う概念であるのであれば、日本西蔵学会はチベットではなく西蔵のことを研究している学会ということになりますよね。いくら何でもその主張は無理があると思います。第一、「チベット」と「西蔵」が違う概念であるのに、「チベット地方」と「西蔵地方」や、「チベット自治区」と「西蔵自治区」は同じ概念というのは完全に矛盾しており、全く理解できません。
私は別にチベットも地理も専門ではありませんので深くつっこまれたことを聞かれても困りますし、言いたくもないですが、一日本人、一ウィキペディアンとして言わせて頂くと、ここはウィキペディア日本語版ですので、中国語の指す西蔵や西蔵地方ではなく、日本語の指す西蔵や西蔵地方について記述して欲しいと言うことです。先ほど示したように日本では学会ですら「チベット」=「西蔵」として扱っていますし、多くの辞書にもそう書いてあります。故に、一般的な日本人の使う日本語の意味としては「チベット」と「西蔵」は明らかに同じものを指しています。さらに後ろに地方がついても、「チベット」と「西蔵」と別の範囲と理解する人はほとんどいないでしょう。
例えば、東京という言葉について、日本人は一般的に東京23区東京都のことを指しますが、外国では一般的に大東京都市圏のことを指します。この様に言語によって言葉の指す範囲は異なるので、日本語の指す「西蔵」と中国語の指す「西蔵」の範囲が異なっていても別段ふしぎはありません。
確かに、厳密に言えば「チベット」と「西蔵」、「西蔵地方」という言葉の指す範囲は異なるのかもしれませんが、そのような細かい違いしかない言葉についていちいち別に記事を立てるのは、むやみに内容が散乱するだけで、閲覧者にとっては非常に理解しがたく不利益です。同じ意味として使われることもあるが、全く別の意味として使われることもあるというのであれば、一カ所で纏めて扱った方がより分かりやすいでしょう。例としてあまり適切ではないかもしれませんが、東京圏と南関東が同じ場所で扱われているのと同じといえます(もっと例を挙げると、英語版では「東京」と「東京都」ですら統合されてしまっています)。現状では「西蔵」と「西蔵地方」共に30キロバイト程度しかなく、記事量としても統合に支障はありません。
兎にも角にも、ウィキペディアは百科事典です。百科事典というものは閲覧者のためのものであり、執筆者のためにあるものではありません。Dalaibaaturさんにはまず閲覧者の側に立って物事を考えて頂きたいと存じ上げます。--shikai shaw 2006年5月26日 (金) 16:59 (UTC)[返信]
  1. shikai shaw 様。両記事では、「日本西蔵学会」が、日本における用例のサンプルとして取り上げられています。両記事の実際の文面をお読みいただいたなら【日本西蔵学会はチベットではなく西蔵のことを研究している学会ということになりますよね。いくら何でもその主張は無理があると思います。】という「その主張」とはまったく逆の紹介をしているのがご覧いただけます。【先ほど示したように日本では学会ですら「チベット」=「西蔵」として扱っています】というご理解も、勘違いであることがただちに判明いたします。「統合」にたいしてどのようなお立場をとられるのであれ、記事の文面については、実際の文面に則してのご提起をいただけると、たいへんありがたいですね。
  2. 【「チベット」と「西蔵」が違う概念であるのに、「チベット地方」と「西蔵地方」や、「チベット自治区」と「西蔵自治区」は同じ概念というのは完全に矛盾しており、全く理解できません。】とのことですが、中国ではチベットの南半分だけを指して「西蔵」「西蔵地方」とよび、そこに「西蔵自治区」を設置し、中国政府が日本語で発信するチベット情報ではその訳語として「チベット」「チベット地方」「チベット自治区」という呼称を使用していること、対して日本では、アムドやカム東部も含むチベットの全域をさして「チベット」とよび、明治末から昭和中期まで「西蔵」と漢字表記していた(「日本西藏学会」という表記はその名残)という用法の違いによるもので、矛盾でもなんでもありません。
  3. 【ここはウィキペディア日本語版ですので、中国語の指す西蔵や西蔵地方ではなく、日本語の指す西蔵や西蔵地方について記述して欲しいと言うことです。】とのことですが、中国政府は日本語でも情報発信を行っており、かれらが用いる「チベット」「チベット地方」は、明治末年以来、日本で伝統的に「チベット」と呼んできた地域の南半分にしかあたりません。「日本語の指す」というリクエストに完全に応じるためには、中国による用法にも言及せざるをえません。
  4. 「そのような細かい違いしかない言葉」との観想については、チベットの全域を示す用語と、チベットの二分の一しかしめさない用語の、別個のふたつの用語に対する評価として、まったく同意できません。したがって、「いちいち別個の記事を立てる」ことには、きわめて合理的な理由があると考えます。
  5. 「むやみに内容を散乱」させないためには、リンクを密接に、わかりやすく配置し、内容の重複、欠落が生じないよう工夫すればよろしい。
  6. データ規模が「共に30キロバイト程度しか」ないかどうかと、別個の用語を別個に記事立てすることにどんな問題があるかは、まったく別個の問題です。
  7. 【兎にも角にも、ウィキペディアは百科事典です。百科事典というものは閲覧者のためのものであり、執筆者のためにあるものではありません。Dalaibaaturさんにはまず閲覧者の側に立って物事を考えて頂きたいと存じ上げます。】ということですが、一般論としてはまったく完全に賛成します。両記事の実際の文面に則した問題の指摘があり次第、利用者にとってよりわかりやすく、使いやすくなるよう記事を修正するための参考にさせていただきます。--Dalaibaatur 2006年5月27日 (土) 00:54 (UTC)[返信]
「私は別にチベットも地理も専門ではありませんので深くつっこまれたことを聞かれても困ります」と明言しております。よって、あくまでも簡易なお返事に止まらせていただきます。
まず、日本西蔵学会について。記事を読んだ上であえて例として使用させていただいたのですが、分かりませんでしょうか。こちらの説明では明らかに「チベット」=「西蔵」となっており、日本語の意味としてはこちらが主であることは一目瞭然でしょう。
> 中国ではチベットの南半分だけを指して「西蔵」「西蔵地方」とよび、そこに「西蔵自治区」を設置し、中国政府が日本語で発信するチベット情報ではその訳語として「チベット」「チベット地方」「チベット自治区」という呼称を使用していること、対して日本では、アムドやカム東部も含むチベットの全域をさして「チベット」とよび、明治末から昭和中期まで「西蔵」と漢字表記していた(「日本西藏学会」という表記はその名残)という用法の違いによるもので、矛盾でもなんでもありません。
とのことですが、ご自分の説明が矛盾していることにはお気づきですか。この説明では中国政府の指定している「チベット」=「西蔵」の範囲と、日本で古来から呼んでいる「チベット」=「西蔵」の範囲が異なっていることの説明にはなっていますが、いずれの意味でも「チベット」と「西蔵」は同じ意味で使われています。したがって、日本語として「チベット」と「西蔵」の意味が異なる事についての説明には全くなっていません。
なぜ、日本語で「チベット」と「西蔵」の指す範囲が異なるかについて、ちゃんとした説明と用例を提示していただけますか。また、それが日本語として一般的な用法であることにいての証拠を提示していただけませんでしょうか。
また、中国政府の指す「西蔵自治区」については先の投票で「チベット自治区」と決まっていますが、ならば中国政府の指す「西蔵」「西蔵地方」についても「チベット (中国)」「チベット地方」とでもしないと明らかに用語が矛盾しており、利用者の混乱を招くだけです。故にチベット関係の各記事で長期にわたって論争が続いていると思うのですが、いかがお考えですか。
それと、私の言った「日本の地名でも似たような地域をさす記事を立てることに論争が多い状態で、日本以外の地名についてこれだけ多くの記事を立てる必要があるかどうか」についてのお返事をまだいただいておりません。これについてもいかがお考えでしょうか。--shikai shaw 2006年5月27日 (土) 04:27 (UTC)[返信]
西蔵の記事の「日本における用法」での記事を【こちらの説明では明らかに「チベット」=「西蔵」となっており、日本語の意味としてはこちらが主であることは一目瞭然でしょう。】と読解されたようですが、実際の説明では、【西蔵と漢字表記して「ちべっと」(または「てぃべっと」)と発音する用法】は、【明治末期より昭和中期まで使用された用法】であって、【現在の日本における用法はカタカナ表記「チベット」に置き換わった】と説明しています。【日本の用法】は昭和中期以降、【西蔵】から【チベット】におきかわったのであり、実際の説明文は【「チベット」=「西蔵」】ではなく【「西蔵」→「チベット」】という内容です。したがってshikai shaw氏のいう「ご自分の説明」はまったく矛盾しておりません。一方で、中国においてはチベットの西南部2分の1にたいし、康煕末年以来現代にいたるまで一貫して「西蔵」という呼称を使用し続けています。「西蔵」は中国においては現行の固有名詞です。そして、相手国の固有名詞の表記に関する日中の相互とりきめでは、【漢字表記はそのまま、それぞれの国の言語で発音する】とされています。中国の固有名詞は、漢字表記はそのまま日本語の漢字音で発音すれば、それで日中の相互とりきめに準拠した立派な日本語となります。すなわちshikai shaw 氏が連呼しておられる「矛盾」は、じつはちっとも矛盾しておりません。【日本語として「チベット」と「西蔵」の意味が異なる事についての説明には全くなってい】ないような気がするのは、この点を把握しておられないためでしょう。
「日本の地名でも似たような地域をさす記事を立てることに論争が多い状態で、日本以外の地名についてこれだけ多くの記事を立てる必要があるかどうか」については、一部にコメント。西蔵は、チベットの西南部の2分の1程度をしめる、チベットの一部分であって、チベットとは全く別個の用語、概念であり、shikai shaw 氏の「これだけ多く」という印象には、事実誤認が含まれている。【西蔵】という文字列を含んだ記事は、わずかふたつしか存在せず、ちっとも「多く」はない。正式の回答についてはこの「事実誤認」について、共通の理解が成立した後に。--Dalaibaatur 2006年5月30日 (火) 23:11 (UTC)[返信]
納得できないのですが、【「西蔵」→「チベット」】ならば【「チベット」=「西蔵」】じゃないんですか。昭和中期までと現在において、それほど言葉の用法が大きく変わったとは思えないのですが。そもそも、「アメリカ」という言葉が合衆国を指したり南北アメリカ大陸を指したり複数の意味で使われるように、チベットや西蔵についても複数の意味があると解釈するべきだと考えます。故に【「チベット」=「西蔵」】と考えたほうがずっと自然です。
日本政府と中国政府の間で【漢字表記はそのまま、それぞれの国の言語で発音する】という取り決めがなされたというのは聞いたことがないのですが、これはどこで決められたのでしょう。私は今までNHKの慣例だと思っていました。また、それが正しいとすると、チベット自治区ハルビンマカオなどの記事名は間違いということになりますよね。しかし、日本政府が「西蔵自治区」や「哈爾浜」、「澳門」などと表記するよう定めているということは聞いたことがありません。大体、北京や上海、香港などはどうなるのでしょうか。明らかに不自然です。そもそもこのような取り決めがあるのならば、チベット自治区や中国の自治体の名称についての投票はなぜ行われたのでしょう。
「日本の地名でも似たような地域をさす記事を立てることに論争が多い状態で、日本以外の地名についてこれだけ多くの記事を立てる必要があるかどうか」については、私は西蔵だけでなくチベットや唐古特も含めたすべての問題だと思っているのですが、議論をいたずらに分散させるだけなので、しばらくは保留としておきます。--shikai shaw 2006年5月31日 (水) 05:00 (UTC)[返信]
【それほど言葉の用法が大きく変わったとは思えないのですが。】とのことですが、実際の記事では、「用法」ではなく、「表記がかわった」と述べています。西蔵の「日本における用例」の部分では、「西蔵」について、「明治末期から昭和中期にかけて、チベットの総称として用いられていた表記」と述べられています。日本人自身による、「ちべっと、てぃべっと」という発音に西蔵という表記をあてる用法は、昭和中期から急速に廃れ、「チベット」(もしくは「ティベット」)というカタカナ表記におきかえられています。たとえば「日本西藏学会」に、その創立初期から参加している佐藤長山口瑞鳳らの研究者は、自身の著述における表記としては昭和中期(1945-1975)以来、一貫して「チベット」というカタカナ表記を使用しています。「西蔵」と書いて「ちべっと、てぃべっと」という発音する用法は、多田等観ら、日本のチベット学を創始した長老達の引退とともに姿を消した、明治、大正の名残というべき用法と言えます。
【それが正しいとすると(中略)ことになりますよね。】という点について、日本の外国語表記には、「原語にもっとも近いカタカナで転写する」という原則もあり、中国語による固有名詞の表記自体が外国語や少数民族言語を転写したものである場合、この原音主義によって転写されるのが慣用となっています。この点については、別に議論の蓄積がありますので、ここではこれ以上ふれません。--Dalaibaatur 2006年6月3日 (土) 03:15 (UTC)[返信]

まず、Dalaibaaturさんはもっと落ち着いてください。ここのノートの編集数が (×17) となっていたのを見たときは、驚くどころかあきれました。ご存知だとは思いますが、ウィキペディアではすべての記述の履歴が全て残ります。たとえ節単位の編集でも、全ての部分の履歴が残るため、節単位で多数の編集を行えば、それだけサーバへの負担が増します。サーバへの負担が増せば設備投資も増やさなければならなくなり、ウィキメディア財団の財政は悪化します。そのようなことを続けていれば、最終的にウィキペディア自体が成り立たなくなる恐れもあります。ウィキペディアに参加する人間としては、不要な記述を行ってウィキ資源への負担を増やさないように、短期間に同じ記事への編集を行う場合はできる限り一度で済ませる様にお願い申し上げます(もっとも、節単位でしか編集できない古いブラウザを使用しているのならば仕方ありませんが)。また、Wikipedia:論争の解決Wikipedia:議論が白熱しても冷静にWikipedia:ウィキケットなどもごらんください。

さて、堂々巡りにしかなりませんが、【「チベット」=「西蔵」】という用法は昭和中期以降使用されてないという考え方は正しいのでしょうか。現実問題として、「日本西蔵学会」は現在でもその名称に【「チベット」=「西蔵」】という用法を使用しています。「日本西蔵学会」が「日本チベット学会」に名称変更をしていない以上、【「チベット」=「西蔵」】という用法は消滅していないと考えるのが普通ではないでしょうか。第一、戦前の日本では非漢字圏の地名を漢字で表記する用法が一般に使用されていましたが、戦後はその用法が一般的でなくなったというのは、チベットに限ったことではありません。故に【「西蔵」→「チベット」】という表記だけを特別視するというのはおかしいでしょう。

日本の外国語表記には、「原語にもっとも近いカタカナで転写する」という原則というのは確かにありますし、私も基本的にはそれに従うべきだとは思っていますが、ここ最近のウィキペディア日本語版では、むしろ日本語としてより一般的な表記を採用する傾向にあります。ミュンヘンの記事名については非常に長い間議論されていましたが、結局日本語としてより自然な「ミュンヘン」に移動されました。また、ロシア語関係の記事名の多くもより一般的な表記に変更されてますね。それに、チベット自治区との不整合はどうするのでしょう。同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」の二種類があるというのは利用者にとって大変わかりにくく不便です。仮に「西蔵地方」という記事が独立したまま残るとしても、記事名は「チベット地方」としなければ辻褄が合いません。--shikai shaw 2006年6月6日 (火) 01:45 (UTC)[返信]

「堂々巡り」なのではなく、shikai shaw 氏がまだ現実を直視できておられないだけです。『【「チベット」=「西蔵」】という用法は昭和中期以降使用されてないという考え方は正しいのでしょうか。』と引用風に述べておられますが、実際には私自身は【「チベットの総称は、西蔵と表記して(ちべっと、てぃべっと)と発音する用法」から「チベット」というカナ表記に置き換わった】とのべています。「置き換わった」と述べる指標は、チベット学の研究者たちの表記です。この置き換えは、日本のチベット学者たちが、自身の用語として、チベットの総称にいかなる表記をもちいるのか、という観点から、統計学的に、客観的に計測が可能です。私自身は統計データは示していませんが「日本西藏学会創立当初からのメンバーで、チベット史研究の東西の大御所として佐藤長および山口瑞鳳の用例をあげました。また「日本西蔵学会会報」第六号では、多田等観自身が共著の論考で、チベットの総称として「チベット」という表記を使用しています。「置き換わっていない、現在の生きた用法だ」と主張したければ、チベット学を専門とする現代の若手研究者で、チベットの総称として「西蔵」という表記を使用している人物の実例をどうぞ。「日本西蔵学会という用法」が「使用されていない」とか「消滅した」などと述べた覚えはまったくありません。「日本西蔵学会」というサンプルは、西蔵で私自身が紹介したものです。ノートでは「明治、大正期の名残だ」と述べており、この呼称が「現在使用されていない」などと事実に反することを述べたことは一切ありません。
【同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」の二種類がある】とのことですが、「同じく」という部分が事実誤認。中国の現行の地名西蔵は、チベットの西南部2分の1だけを指し、アムド地方やカム地方の東半部は含まれておりません。中国でチベット全域をさす場合、「整個蔵区」「西蔵和其他整個蔵区」などという呼称が用いられ、固有名詞は付されておりません。すなわち、チベットと「西蔵」は指し示す範囲がことなるまったく別個の概念なのですから、別個の記事をたてることには全くなんの問題もありません。--Dalaibaatur 2006年6月8日 (木) 23:33 (UTC)[返信]
まず、ここは百科事典であり、チベット事典ではありません。故に、チベット学の研究者たちがどう表記しているかよりも、日本語としてどちらが一般的な表記であるかが優先になります。
私は「置き換わっていない、現在の生きた用法だ」といっているわけではなく、例えば亜米利加や亜細亜などのように、「現在では通常使用されることはないが、死んだ表記とはなっていない」という趣旨で述べています。現実問題として、日本の国語辞典には現在でも「チベットは西蔵とも書く」と記述されており、一般の日本人には「チベット=西蔵」と解釈されています。MS-IMEでも「チベット」と打てば「西蔵」と変換されます。現実を直視していないのはDalaibaaturさんの方でしょう。
【同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」の二種類がある】のことについては、全く理解していただいていないようですね。私はウィキペディア日本語版で、西蔵自治区がチベット自治区として記事が立てられているため、これ従うならば、「西蔵地方」は「チベット地方」とするべきではないかという意味です。ウィキペディア日本語版において、【同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」 "といった" 二種類の "翻訳方法" がある】のは整合性が取れておらず、大変不自然です。
中国でチベット全域をさす言葉が西蔵以外に存在することについて教えていただいたのはありがたいですが、それでも中国語の「西蔵」の訳には「チベット」が当てられるのが一般的です。そもそも日本語のチベットが必ずしもチベット全域をさす必要はなく、また、日本語の「西蔵」が中国語の「西蔵」と同じ範囲をさす必要もないのです。
Dalaibaaturさんの説明で、西蔵西蔵地方はそれぞれ独立した記事としてある程度成り立つのは理解できましたが、名称が不自然な点についてだけは譲ることができません。「西蔵」はそのままでかまわない(それでも日本語の西蔵を第一義にもって来るべきですが)かもしれませんが、「西蔵地方」についてはこのままではいけないでしょう。--shikai shaw 2006年6月13日 (火) 02:26 (UTC)[返信]
【そもそも日本語のチベットが必ずしもチベット全域をさす必要はなく、】とのご主張ですが、そもそも日本の「西蔵」もしくは「チベット」と書いて「チベット」と発音する呼称は、伝統的にアムドやカム東部を含む全チベットの総称として用いられてきました。中国が日本語でチベット情報を発信するとき、西蔵の部分だけをさして「チベット」と呼ぶからといって、我々が、わざわざ、それにあわせて我々の伝統的な用法を変更する必要はまったくないと考えます。
学術研究の諸分野では、ある用語の表記が統一されたり変更されたりした場合、ほどなくマスコミ用語や教育現場にもその統一や変更が反映され、日本における一般表記となりますので、【ここは百科事典であり、チベット事典ではありません。故に、チベット学の研究者たちがどう表記しているかよりも、日本語としてどちらが一般的な表記であるか】と駄々をお捏ねになってもむだです。
「チベット」と「西蔵」のいずれが「アムドやカムの東部を含む全チベットの総称」として「一般的な」表記であるかは、実際の用例から統計的に確認することが可能です。私の印象では、「チベット」という表記が用いられることが圧倒的であり、したがって「昭和中期」にチベットの総称の表記が「西蔵」から「チベット」に「置き換わった」と述べています。チベットの総称にたいする「一般の日本人の表記」は「西蔵」ではなく「チベット」です。【日本の国語辞典には現在でも「チベットは西蔵とも書く」と記述されて】いたり、【MS-IMEでも「チベット」と打てば「西蔵」と変換され】たりするのは、【明治期から昭和中期にかけてひろく用いられていた】ことのたんなる名残にすぎません。「名残」の別の例をあげると、ラマ教からチベット仏教への用語の転換があります。学会では昭和中期、マスコミでは1987-1989年にこの転換が行われました。上述の佐藤長氏は、ご自身の用語としては現在にいたるまで一貫してラマ教という用語を使用しつづけており、また年配の人々にはこの語のほうがなじみがあるという人たちも多数いますので、決して「死んだ用語」とはいえませんが、もはや「名残」であることにはかわりがありません。
【同じく中国内の地名であるにもかかわらず「チベット」と「西蔵」の二種類がある】のは、中国政府が、「西蔵」に対して「チベット」という訳語をあてていることの反映にすぎません。我々が、かれらの訳語を用いたり、用いなかったりするのは、我々が主体的にきめるべきことであって、中国の用法に必ず従わねばならない必要はまったくありません。現行の自治体に関する記事名のあり方は、個々の国の枠組みをこえた、ウィキペディア全体の「外国の自治体に関する記事名のあり方」を視野にいれて議論すべき事項であり、いっぽう、そうでない中国語の地名については中国語の固有名詞の表記というレベルで整合性がとれていればよく、ゆえに「西蔵自治区」という自治体をどんな呼称で記事立てすべきかと、中国の固有名詞の呼称(地名)をどのような表記で記事立てすべきかは、むりに整合させずとも、別個の基準によって行ってなんら問題ないと考えます。
【「西蔵」はそのままでかまわない(それでも日本語の西蔵を第一義にもって来るべきですが)】とのことですが、そもそも「西蔵」という表記の起源であり、康煕末年いらい現在にいたるまで、かわることなく用いられてきた中国における現行の用法と、明治末期から昭和中期にかけて用いられ今は廃れた日本における用法と、どちらを主とすべきかといえば、「起源であり、現行の用法でもである中国の用法」を第一義にすべきと考えます。
日本では、伝統的に「チベット」という呼称はアムドカム地方東部もふくむ全チベットの総称として用いられてきました。それに対し、中国における「西蔵地方」の用例は、ほぼ一つ残らず、アムドおよびカム東部を除く、チベットの南2分の1ほどの領域しか指しておりません。中国政府は「西蔵地方」という呼称について「チベット地方」という訳語をあてておりますので、彼らが日本語で発信した日本語の文章を引用、紹介する文面のなかで「チベット地方」という表記を用いることはやむを得ませんが、そうでない場合には、我々自身の「チベット」という呼称の用法との混乱を避けることもできますので、彼ら自身の漢字表記を尊重し、「西蔵地方」という表記をそのまま用いても、なんら問題ないと考えます。--Dalaibaatur 2006年6月17日 (土) 19:03 (UTC)[返信]

「西蔵」ということばに、中国語の意味と、日本語の用法とがあり、それが混乱を招いているようですね。「土耳古」とか、「比律賓」のように、かつて日本語として使われた名称としての「西蔵」なら、「チベット」の項目の中で説明すればいいことで、独立した項目を立てる必要はありません。

すると、中国語での用法になりますが、「西蔵(xi zang)」も「西蔵地方(xi zang di fang)」も、今の中国では、チベットの一部分をさしたことばとなっているわけですよね。日本における「北方領土」が、千島の一部分をさしたことばであるのと同じように。そこに時代による微妙な使い方の差があったとしても、大きく、中国語での用法としてまとめることは不可能なのですか。わざわざ別項目にしなければならないほどのちがいがあるのでしょうか。

日本語の「西蔵」の用法を「チベット」に統合して、あくまでも中国の用法として、「西蔵(xi zang)」と「西蔵地方(xi zang di fang)」との統合ができるのではないですか。 --ねこぱんだ 2006年6月21日 (水) 15:24 (UTC)[返信]

西蔵と表記される地域概念には、指し示す領域の狭広により
  1. チベットの2分の1程度だけを指して用いる伝統の用法
  2. アムドカムの東部をもふくむ全チベットの総称として用いる用法
があり、後者はさらに
  • 「ちべっと」と発音し、明治から昭和中期にかけて広く用いられていた日本における用法
  • 中国国外の中国語話者たちによる近年の用法
に区別され、いずれも時代や政権の変遷をこえたチベットの国号としての用法を有しています。西蔵と表記される地域概念が、このように豊かな意味内用を有しているという事実は、ねこぱんだ 氏が提案しているような方式で記事内容を分散させてしまうと、読者に伝わりにくくなります。そんな不都合を発生させてまで、無理に西蔵西蔵地方を統合する必要はないと思います。--Dalaibaatur 2006年6月23日 (金) 05:14 (UTC)[返信]