ノート:藤原道綱
昨日から今日にかけて道綱のページを編集された方へ
[編集]とても詳細にわたるページにリニューアルして下さりありがとうございます。まず権記上で1001年に裳着を上げ、1010年に死去した「姫君」の存在が確認されるため追加させていただきます。もう一点、嫡子腹、庶子腹は嫡妻腹、庶妻腹に直しました。4つほど質問してもいいでしょうか。一つ目経歴欄の官位については毎回脚注に出典の公卿補任を記す必要はないのでしょうか?二つ目、991年から公卿補任の道綱の中宮権大夫の記載がなくなり、近衛府補任の991年の4月某日(正確な日時は再度調べてきます。)以前に中宮権大夫を降りたかと記載があるため経歴・官位に加えるべきでしょうか?3つ目、先述の嫡・庶の話ですが栄花物語で「むかえ腹(嫡妻腹)は出てきますが庶妻腹なる言葉は出てきません。庶妻腹か庶子かどちらが適当でしょうか?似たような言葉に「外(ほか)腹」があります。ただ大鏡で道綱が外腹と表記されない一方「外腹」の道義が書かれており「道綱母腹」と「外腹」の間に区別がありそうなので、「外腹」も微妙かなと思います。四つ目、兼家執政期の道綱の官位停滞は元来庶嫡腹の違いにされる事がほとんどなのでその通説に従って書くべきでしょうか。私はもともと栄花物語に道綱が「父が宰相にさえしなかったことを辛く思っている。」と記されるのが引っかかり、気に留まっていた事なのであえて書きませんでした。歌集や仮名・漢文日記に書かれないことなので詳細は不明です。ただ栄花物語では基本師輔・兼家・道長礼讃する方針であること・庶出の子供の昇進が遅いのは当たり前のスタンスで正妻以外の息子が不遇を嘆くシーンがほぼない事を考えると結構不自然でして。道綱母の姪が花山の外叔父の義懐の室だったせいか道綱母の兄弟・姉の婚家・道綱の舅と目される源満仲が寛和の変後致仕したり任官できなかったりします。さらに柏木由夫氏「道命集註釈」・三保サト子氏の「道明阿闍梨と法輪寺」(オンラインで無料公開してます。)の記事によると花山期に童殿上していた長男の道命が花山に従い出家したと推定されます。道隆の庶子の道頼が出世し実子の道綱が出世できなかったのには案外政治的な意図もあるんじゃないかと私は独自見解を抱いているため「道綱の昇進がはかばかしくなかったのは庶出のせい」情報を盛り込まなかったんですが、これはwikipediaの精神に反するでしょうか。もしよければ意見を聴かせていただけませんか。--山桃の森(会話) 2023年12月2日 (土) 04:20 (UTC)--山桃の森(会話) 2023年12月2日 (土) 04:58 (UTC)山桃の森--山桃の森(会話) 2023年12月2日 (土) 05:01 (UTC)山桃の森
- こんにちは。まずは、「嫡妻腹」「庶妻腹」への修正ありがとうございます。また、ご質問は当方(Snap55)へのものと思いますので、以下ご回答致します。
- 不要と考えます。出典は第三者が辿ることが可能な必要最小限で十分であり、今回のケースであれば、経歴欄の官位の出典を官歴セクションの内容から辿ることが可能と思慮します。当方の執筆スタンスについては、当方のノートもご参照下さい。
- ご指摘の『近衛府補任』での記載が確認できましたので、当方にて追記致しました。
- 当方、あまり詳しくないため、ちょっとご回答致しかねます。表現はお任せ致します。
- Wikipediaでは出典に基づく記載が推奨されます。現状では、出典に基づかない内容は記載されていないので、問題ないと考えます。①「兼家執政期の道綱の官位停滞は元来庶嫡腹の違いにされる事がほとんど」ということを記載した史書があればそれを出典としてその旨記載すればよいと思います。②「道隆の庶子の道頼が出世し実子の道綱が出世できなかったのには案外政治的な意図もあるんじゃないか」は山桃の森さんの私見と思いますので、今後①が出典に基づいて記載された場合に、②を理由に①を除去してしまうのは不適切と思います。
- --Snap55(会話) 2023年12月2日 (土) 11:20 (UTC)
- 丁寧な返信をありがとうございます。3.は平安時代の婚姻関係の論文を読んだところ「妾妻」が正確かと思いました。1.と4.についてはとても納得しました。1.はぜひとも参考にさせていただきます。4.②の指摘は以後心がけます。4.①の方は、「道綱が嫡妻腹でなかったため昇進できなかった。」という事を前提にした書かれた論文・本が多いから私にとって通説と感じるものの、確かに「庶嫡腹の違いにされるのがほとんど」と明記された文献は見たことがないです。鋭いご指摘ありがとうございました。--山桃の森(会話) 2023年12月2日 (土) 13:21 (UTC)
道綱の兄弟の序列について
[編集]道綱が兼家の次男か三男かで編集合戦気味の状態ですが、コトバンクにもある通り、次男が正当と考えます。なお、各兄弟の生年は、道隆:953年、道綱:955年、道兼:961年となっています。--Snap55(会話) 2024年1月22日 (月) 14:52 (UTC)