ノート:蒲焼

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語源[編集]

三田村鳶魚氏が提唱となっている蒲焼の語源説ですが、出典は何でしょう?「がまやき」が転じて「かばやき」になったとする説明に合点がいきません。

  • 江戸時代の黄表紙に「江戸生艶氣樺焼(ゑどむまれうはきのかばやき)」というものがあります。表紙に振り仮名がふってあることから、江戸時代から「かばやき」と呼ばれていたのは確実でしょう。
  • 江戸時代以前から、蒲は「かば」とも読まれていたのではないでしょうか?源範頼の別名は「蒲冠者(かばのかじゃ)」ですよね?
  • 平安時代の「新猿楽記」には鰻の焼き方として「香疾」という言葉が出てきます。これを「かばや(き)」と読むのなら、元が「がまやき」だったとするのは不自然ではないでしょうか?
  • そもそも、「蒲の穂」説は三田村鳶魚氏以前からある説です。江戸時代の斎藤彦麿氏の「傍廂」「神代余波」などに「蒲の穂」説がすでに出ています(「蒲」に振り仮名は振っていないので読みまではわからないが、上記の理由から「かばやき」と素直に読めると思う。上記の黄表紙は1785年、神代余波は1847年作。)。三田村氏の名前でその説を説明する理由が分かりません。

以上の疑問点から、まずは出典を確認したいと思いました。場合によっては、三田村氏の名前を伏せて新たに書き直そうとも思いますがどうでしょうか?Qazzx 2006年8月18日 (金) 16:24 (UTC)[返信]

どうまとめようか考えている最中です。調べてみてわかった点を軽く追記。

  • 室町時代の「大草家料理書」に「宇治丸かばやき」の料理の記述あり。鰻を丸焼きにしてぶつ切りにした料理の様。「蒲の穂」説はここから来ているのでしょうが、江戸時代以前の話であり、京の料理であるため、現状の記述は間違いと言えます。
  • 蒲を「かば」と呼んでいたか?というのは自己解決しました。「かま」が普通だったらしいですね。むしろ「かば」と読むのは特殊だったらしいです。それを根拠に「がまやき」説を否定していたのが江戸時代の喜多村節信だったそうです。
  • 1712年の「和漢三才図会」には、すでに鰻を開いて焼いた「馥焼」(かはやき)が載っているそうです。1712年は江戸後期とは普通言いません。この点でも、現状の記述に問題ありです。

その他、江戸時代の時点ですでに複数の説が存在していたことが確認できました。ついでに、現状の記述に内容が似た文章を載せているサイトを確認しました。「すし技術教科書」という本からの引用でした。出典はこれでしょうか?三田村鳶魚氏の名前が出てくるのでしょうか?と聞きたくても、書いた本人が現在活動してません。もう少ししたら全面書き換えるつもりです。Qazzx 2006年10月17日 (火) 13:34 (UTC)[返信]

蒸し[編集]

これが東日本(関東)と西日本(関西)の違いとも一部で記述されていますが、そのような事は記述の通りそうではない事は明白であり、これを修正します。今後も、このような誤った記述はやめてください。--219.111.118.139 2013年2月23日 (土) 08:50 (UTC)[返信]

コメント依頼[編集]

出典に基づく記述に変化があるように見受けられますが(コメント依頼から来られた方は昨年末の時点の版と比較してみてください)、Wikipedia:編集合戦に陥らぬよう現時点ではWikipedia:コメント依頼に提出して判断を待ちたいと思います。なお、編集にあたってはWikipedia:検証可能性を必ずお読みください。--Jizwf会話) 2013年4月22日 (月) 19:57 (UTC)(一部修正--Jizwf会話2013年4月22日 (月) 20:25 (UTC)[返信]

Wikipedia:検証可能性の観点についてウィキポータルの食分野において提議いたしましたので、提出中のWikipedia:コメント依頼についてはいったん保留としたいと思います(もちろんその間のコメントを妨げるものではありません)。改めて述べますが編集にあたってはWikipedia:検証可能性を必ずお読みください。--Jizwf会話2013年4月24日 (水) 09:10 (UTC)[返信]