ノート:董賢

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董賢の男色と、哀帝から抜擢を受けた年について[編集]

以前は、「哀帝は眉目秀麗な少年に成長した董賢に心奪われ、以後董賢は帝の男色相手として寵愛されるようになった。」と記述されていましたが、『漢書』では「賛」ではそのように記されていますが、本文では、哀帝と董賢が男色の関係にあったかは明確でありません。「断袖」の故事からも二人が衣を着たまま、話していたことは分かります。それゆえ、この部分については、削除し、『漢書』の記述に代えています。

董賢が哀帝に抜擢されたのは、「前4年」と記述されていましたが、確かに、董賢は、『漢書』食貨志上において、前4年から哀帝の寵臣として記されていますが、『漢書』佞幸伝の記述では、哀帝即位の綏和2年(前7年)から二年余りで、抜擢されたように読み取れます。そのため、哀帝に抜擢されたのは建平 二年(前5年)に変更しています。--Mamme会話2022年7月26日 (火) 14:17 (UTC)[返信]