ノート:細石神社

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取り消されている記事の検証[編集]

『細石神社は社殿の背面にある「三雲南小路遺跡(文政5年(1822年)発見)の拝殿」であろうと地元民は云っている。 この「細石神社」の祭神は「磐長姫、木花開耶姫」である。つまり主祭神は「女神二柱」である。この事からと、昔は「高祖神社から神輿が細石神社に下る(上る?)」神幸があったという事から、この「細石神社」は「三代実録」に記載された「元慶元年(877年)、高磯ヒメ神に従五位下を授ける」とある「高磯ヒメ神」であると考えられると三雲の氏子は云っている。 ちなみに通説で云う「高祖神社の祭神が高磯ヒメ神であろう」というのは「高祖神社の主祭神、彦火火出見尊」を侮辱する事になることをここに記す。 この「細石神社」は「三雲南小路遺跡の、日子番ノニニギ命と木之花咲耶姫の墓の拝殿」であると考えられる。 地元考古学者原田大六は、三雲南小路遺跡発掘調査の時に「1号甕棺墓は武器類が多く、2号甕棺墓は玉類が多い。そして、この二つの甕棺は寄り添うようにして埋葬されている事から、これは男と女の墓である。つまり、王と妃の墓である」とコメントしている。』 とある上記文章は「独自研究の可能性があるから削除されている」が、地元に聞き取り調査したところ古老からは同じような答えが返ってきた。 文章として誰かが書いていないとすべて「独自研究」となるのなら、本当のことは判るわけがない。 原田大六のコメントは彼の本のどれかに掲載されていたが、それも独自研究あつかいか?レベルが知れる。