ノート:米山薬師 (姶良市)

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冒頭定義文について[編集]

本記事の冒頭定義文に「米山薬師は鹿児島県姶良郡姶良町鍋倉に所在する薬師である」とありましたが、「薬師である」という言い回しは日本語としておかしいと考え、修正しました。そうしたところ、私の会話ページ(利用者‐会話:Urania)に「『薬師』という言葉は薬師如来を本尊とする寺院の一般名であると考えているので問題ないと考えています」「『三大薬師』という表現も、薬師という言葉が寺院の一般名でなければおかしな表現ということになるように思います」との反論が寄せられましたので、再度ご説明をしたいと思います。日本各地に「○○薬師」「○○観音」「○○不動」「○○地蔵」「○○大師」等と通称される寺院が多数あります。これらはそれぞれ、「薬師如来」「観音菩薩」「不動明王」「地蔵菩薩」「弘法大師」(または元三大師等)を本尊とするか、信仰の中心とする寺院であります。しかし、「薬師如来」「観音菩薩」「不動明王」「地蔵菩薩」を本尊とする寺院のすべてが「○○薬師」「○○観音」「○○不動」「○○地蔵」と呼称されるかというと、そうではありません。薬師如来の場合を例に挙げますと、比叡山の延暦寺、京都の東寺神護寺三千院、奈良の薬師寺新薬師寺秋篠寺、江戸の寛永寺、以上はすべて薬師如来を本尊とする著名寺院ですが、これらの寺が「○○薬師」と呼ばれることはありません。「延暦寺は滋賀県大津市にある寺院である」とは言えますが、「延暦寺は滋賀県大津市にある『薬師』である」とは言えませんし、日本語として変です。「成田不動は千葉県成田市にある不動である」「柴又帝釈天は東京都葛飾区にある帝釈天である」「川崎大師は神奈川県川崎市にある大師である」等とは普通言わないと思います。仮に百歩譲って「『薬師』という言葉は薬師如来を本尊とする寺院の一般名である」という点は認めたとしても、「米山薬師は鹿児島県姶良郡姶良町鍋倉に所在する薬師である」という定義はやはり変です。なぜなら(本記事の説明によれば)、米山薬師は「寺院」ではないからです。記事本文の説明によると、米山薬師の現在の正式名称は「米山神社」であるはずです。記事冒頭の画像に写っている入母屋造瓦葺きの堂は中ががらんどうで、これが「米山薬師」の本体とは思えません。「米山薬師」の本体は、写真の奥にわずかに写っている建物だと思いますが、これは、注連飾りがある点から神社本殿形式の建物と思われ、ここに薬師如来が神様と同居しているものと思われます。以上のことから、「米山薬師」は「寺院」とも「神社」とも言いがたいので、苦肉の策として「薬師如来を祀る宗教施設である」と修正したものです。「宗教施設」という言い回しがどうしてもお気に召さない場合は、次の代替案を考えています。

  • (一案)「米山薬師は鹿児島県姶良郡姶良町鍋倉にあった、薬師如来を祀る仏堂である。明治の神仏分離で仏堂は破壊され、現在は米山神社となっている」
  • (二案)「米山薬師は鹿児島県姶良郡姶良町鍋倉にある神社である。正式名称は米山神社。」

以上です。冒頭定義文については、2008年7月6日 (日) 10:58のUraniaの版のままにしていただくか、上記(一案)(二案)のいずれかを採用してくださるようお願いしますが、以上の説明をお読みいただいた上であくまでも「米山薬師は鹿児島県姶良郡姶良町鍋倉に所在する薬師である」という文言に戻したいということでしたら、戻してくださって結構です。--Urania 2008年7月7日 (月) 13:22 (UTC)[返信]

コメントいただきありがとうございます。こちらの趣旨は、なぜ薬師という表現では駄目なのかを確認したいというのが本筋でしたので、元の表現に戻すということにはそこまで拘っておりません。そういうことであれば、一案の方がよいように思います。ところで神仏分離ではもともと神仏混淆であるかのようですが、明治維新以前は仏堂で、それを壊して神社に作り直したわけですから、「廃仏毀釈で破壊され」がよいのではないでしょうか。
なお私が参考にした町郷土誌には、正式名称は米山神社である旨記載されていましたが、私自身神社であるとは全く認識していなくてそれを読んで初めて知りました(そう言われてみれば入口には鳥居があるな、というくらいでした)。そして郷土誌の中でも一貫して米山薬師として触れられていて、米山薬師を専門に取り上げて解説しているページでのみ「正式には米山神社である」の記述がありました。堂の前には米山薬師としての解説板しかなく、神社であれば当然いるはずの祭神の説明は、解説板にも郷土誌にも一切ありませんでした。このことから、正式名である米山神社で立項して説明するのは困難であると感じ、地域で広く知られている米山薬師の名で立項して仏堂としての記述を中心にした方がよいという判断で、今のような内容となっています。
ついては、このような趣旨で本文を若干手を入れたいと考えておりますので、ご了承のほどよろしくお願いいたします。--Tam0031 2008年7月7日 (月) 14:16 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

現在「米山神社」なら「米山神社 (姶良市)」に改名しませんか。なお括弧を付けるのは他にもありそうなためです。--胡亂堂 2010年10月6日 (水) 16:15 (UTC) - すみません、上を見落としてました。ですが、この機に検討致しませんでしょうか。--胡亂堂 2010年10月6日 (水) 16:21 (UTC)[返信]

反対 これについては明確に反対です。確かに正式な名前は「米山神社」となっているのですが、この名前は地元ではまったく使われません。誰もが米山薬師としか呼びませんし、出典としている姶良町郷土誌でも、「正式名は米山神社」と説明しているところだけ米山神社の名前が出てきて、後は本文を通じて一貫して米山薬師として説明しています。読者にとってもっとも分かりやすく、探しやすいのはこの記事名なのです。なお、米山薬師は本文中でも触れているとおり、新潟県の米山薬師に由来するもので、こちらの方が大きな仏堂であることから、その立項を期待して米山薬師の名前を開けてあるものです。--Tam0031 2010年10月6日 (水) 16:31 (UTC)[返信]
反応がないのですが、この改名提案は撤回あるいは失効と見てよいのでしょうか? そうであればそのように処置したいと思います。--Tam0031 2010年10月17日 (日) 12:38 (UTC)[返信]
あ、すみません。他にも同様の案件を改名提案してまして(心岳寺と平松神社、南林寺と松原神社)、上記ご意見を踏まえてそれぞれ分割しようかな、するんだったらまとめてやっちまおうかなと考え、『鹿児島大百科事典』でも見て確認しようと思ってました(未だ果たせず)。で、本件について申せば明治以降の沿革を「米山神社」として立項しようと思ってますがどうでしょうか?--胡亂堂 2010年10月17日 (日) 13:19 (UTC)[返信]
さすがにそれは無理でしょう。米山神社の祭神を確認できるのですか? 郷土誌ですら、「正式名称は米山神社」と書いていながら、祭神については一言も触れていません。現地の案内看板でも、そもそも米山神社であることを紹介していないので、祭神の記載もありません。およそ、検証可能性を満たす形でこの神社の祭神を探して書くことができないように思えます。祭神の記載もない神社記事などというものがあるでしょうか? そもそも神社は米山薬師の存在あってのものなので、分離も無理でしょう。
現時点での名称に随分とこだわっておられるようですが、それは無理があると思います。廃仏毀釈が徹底されたのは一時期だけのことであって、やはり地元では元からの名前が通用しているからです。心岳寺も、今でもこの名称で呼ばれることが結構あるのですけど、こちらは平松神社の名前もかなり通用していますから、それほど反対ではないです。ただリダイレクトなどの処置は適切にとる必要があります。
ちなみに、南日本新聞の1995年以降の記事検索システムで調べると、心岳寺は9件、平松神社は20件でした。心岳寺参りは、第2次世界大戦の頃まではまだ結構盛んに行われており、現代でも昨年実施した例があるようです。明治41年から昭和42年まで、平松神社の大祭に合わせて現地に開業していた日豊本線の臨時駅の名前は「心岳寺駅」です。このように、廃寺になって今は神社だからといって、呼び名がぱっと変更されるわけでは必ずしもないです。--Tam0031 2010年10月17日 (日) 14:36 (UTC)[返信]
祭神確認できましたので、してもいいですか?--胡亂堂 2010年10月21日 (木) 13:44 (UTC)[返信]
どちらで確認されました? 大変興味があります。ただ祭神を記載できたとしても、あまりに小さな記事になりませんか。こちらの記事と重複がない範囲で、3000バイトくらいの記事に育つものでしょうか。あまりに小さな記事では分割の意味がないと思います。--Tam0031 2010年10月21日 (木) 14:10 (UTC)[返信]
『姶良町寺院跡』(姶良町文化財調査報告書(3))(姶良町教育委員会、平成15年)です。少し身辺が忙しないので、後日改めて「米山神社」で立項致しますのでその折に統合するなりを改めて検討致しましょう。--胡亂堂 2010年11月3日 (水) 12:02 (UTC)[返信]