ノート:竹田恒泰

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このページは一度削除が検討されました。削除についての議論は「Wikipedia:削除依頼/竹田恒泰」をご覧ください。

家系図について[編集]

「より血縁の近い人にもないような詳細な家系図は、末端の子孫に必要ありません」なんてルールを勝手に作って除去するIPユーザーがいますが、ウィキペディア自体を理解してないようですね。「他の記事にない」というのは「書くべきではない」ということの理由にはなりません。そもそも、「詳細な家系図は、末端の子孫に必要ありません」ならば、「血縁」や「竹田宮家および竹田家」まで除去する必要はないでしょう。--uaa会話) 2014年2月20日 (木) 19:28 (UTC)

血縁まで消した点については、ただのミスです。それは申し訳ありません。ログインユーザーだけあってIPユーザーである私よりも大変ルールにお詳しいようですがWikipediaは「百科事典」であっても「その人物に関してのあらゆる詳細な情報を載せる為のサイト」ではありません。と、言うことについては存じ上げております。「合意形成無き追加」と同様に「合意形成無き削除」はあり得るものでしょう。「『なんらの合意形成なく一人の手によって』『より血縁の近い人にはないような家系図』が『唐突に末端の子孫である竹田恒泰のみに追加された』事実を判断の要素として削除する」ことを禁止するならば「その人に関しての詳細な情報が最大余さず追加され、その後、その除去に一々ノートで合意形成を取り直す」などという手続きを、一々他のページではとっているというのでしょうか?それこそ何百年も前からの「崇光天皇からの家系図」をどうして「竹田恒泰のみ」に必要とするのかの合意形成をしてから追加されているならば、私も消しませんが。「必然性が一切説明されていない」「他の関係者との記述バランスを欠いている内容」を「削除してはいけない」などという「先に追加したもの勝ち」なルールも、wikipediaにあったとは記憶していません。おそらく、このまま続けるならば編集合戦となって「ある一人の人が合意形成なく追加した家系図のある状態」で編集ができなくなるか、私のプロバイダからの編集が不可能になるのでしょうね。「ルールを良く知っている」ログインユーザーがそうするなら、仕方ないですね。 --112.70.143.99 2014年2月21日 (金) 04:37 (UTC)

「家系図が唐突に末端の子孫である竹田恒泰のみに追加された」とのことですが、平成の皇位継承問題で旧皇族が皇籍復帰した場合に、皇位継承候補者となる人物なのだから、皇位継承の正当性の根拠となる「伏見宮系図」が恒泰氏のみにあっても違和感無いと思いますがね。竹田恆和氏の記事にもあっていいと思いますが。
「竹田宮家および竹田家」の系図については、除去する理由が一切示されていませんが何故でしょうか?冗長とも思えません。本来なら竹田宮家・竹田家全員の記事に必要なものでしょう。
そもそも、あなたは、ルール以前にウィキペディアの成り立ち自体を理解されてないようですね。ウィキペディアで日常行われている加筆は通常「合意形成無き追加」であり、現実として「先に追加したもの勝ち」なのです。それを除去するのなら、それなりの根拠が必要です。あなたの除去理由は理由になってませんね。除去に異論が出れば「その除去に一々ノートで合意形成を取り直す」などという手続きをとるのもウィキペディアでの慣例です(ガイドラインではそうすることが推奨されていたはず)。あなたの「合意形成な追加された以上消すのにも許可は要りませんね」という発言は根本的に間違っています。「他の関係者との記述バランス」ですが、ウィキペディアは不特定多数の人が随時加筆していくものであるという性質上止むを得ないことであり、「他の記事にないから除去」を繰り返していたら記事の充実は出来ません。他の記事に無ければ、その記事にも加筆すればいいのです。--uaa会話) 2014年2月21日 (金) 07:10 (UTC)
話し合いと同時に、編集合戦になっているようです。話し合いに集中してください。--Bellcricket会話) 2014年2月21日 (金) 07:51 (UTC)

「過去の編集を尊重します」とのことですが、過去のどの編集をどのように尊重したんでしょうか?ノートでの反論は一切せず、意味不明の理由とともに編集を強行するとはどういうことなんでしょうか?--uaa会話) 2014年2月23日 (日) 18:31 (UTC)

源氏の末裔の大名家の子孫の人の記事に清和天皇からの系図を書いているみたいでただひたすら過剰だと思いますが。--彩華1226会話) 2014年4月6日 (日) 16:55 (UTC)

生年月日[編集]

<<誕生日は非公開(氏名と生年月日が共に知られると呪いを掛けられると考えているため<< とありますが[1]記述が加えられました。出典をお願いします。--Watson system会話) 2014年2月28日 (金) 04:53 (UTC)

著者紹介に見る経歴の変化[編集]

PHP新書の著者紹介から引用して列挙します。いずれも奥付の著者紹介欄からです。この文章はカバーにも刷られているため、書店や図書館で手にとって見るだけで検証が可能です。

『旧皇族が語る天皇の日本史』[1]

(慶應義塾大学法学部法律学科卒業。ここまで全て同じ以下では省略)憲法学・史学の研究に従事。

作家。慶應義塾大学法学部研究科講師(憲法学)、「特殊憲法学」(天皇と憲法)を担当。(以下受賞歴と著書リスト)

『日本人はいつ日本が好きになったのか』[2]

専門は憲法学・史学。作家。慶應義塾大学法学部研究科講師(憲法学)として「特殊憲法学(天皇と憲法)」を担当。

『日本人が一生使える勉強法』[3]

専門は憲法学・史学。作家。

受賞歴から『日本人はいつ〜』に書かれていた「真の近現代史観」懸賞論文最優秀藤誠志賞の文章が消滅している。

『アメリカの戦争責任』[4]

専門は憲法学・史学。皇學館大学現代日本社会学部で「日本国家論」「現代人権論」の授業を受け持つ。

見てわかるように「作家」の肩書きが消滅している。

少なくとも当人の側では、既に自身を作家と規定していないことがわかりますね。ほかにもPHP新書での著書は何冊かあるようですが、経歴面での変化は確認できていません。「真の近現代史観」懸賞論文に関するくだりは、『旧皇族が語る〜』の初期の版には書かれていたように記憶していますが、いまひとつ確証がありません。気が向いたら古本屋で注意してみます。なぜこの部分をカットしたのかについても、第三者による評など出典つきでのフォローをお願いします。--Alexander Poskrebyshev会話) 2016年2月28日 (日) 18:05 (UTC)

追記です。「真の近現代史観」懸賞論文に関しては、『旧皇族が語る〜』刊行以後のことなので、著者紹介に記述できるわけがありませんでした。この部分は取り消させてください。また、2011年1月5日第一版第一刷発行の『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』についても調べてみましたが、2013年9月25日発行の第三十一刷までは懸賞論文に関する記述があります。2013年9月から2014年9月の間に、この部分を経歴から除去するという方針が定まったであろうことが推測できます。
それとは別の話ですが、国史研究会話/投稿記録/記録さんは、「通常用いない不自然な表現を訂正」しているような時間があったら、要出典がつけられている「この人物が明治天皇の玄孫」という箇所に出典をつけたらどうなのですか。あなたにとっては自明のことであっても、出典を求められている部分に手を入れるなら、出典を探してでも付加するのがマナーだと思うのですがいかがですか。--Alexander Poskrebyshev会話) 2016年3月3日 (木) 13:02 (UTC)

  1. ^ 『旧皇族が語る天皇の日本史』 PHP新書 505 ISBN 978-4569697116。2008年3月3日第一版第一刷発行。2013年12月6日発行の第十七刷で確認。
  2. ^ 『日本人はいつ日本が好きになったのか』 PHP新書 888 ISBN 978-4569814407。2013年10月2日第一版第一刷発行。2013年10月31日発行の第四刷で確認。
  3. ^ 『日本人が一生使える勉強法』 PHP新書 944 ISBN 978-4569820200。2014年9月1日第一版第一刷発行。
  4. ^ 『アメリカの戦争責任』 PHP新書 1000 ISBN 978-4569826646。 2015年9月1日第一版第一刷発行。

関連項目について[編集]

この編集から、盗撮・迷惑防止条例・犯罪者という項目が加わっていますが、これはどういう意味で関連があるというのでしょうか。この人物が盗撮を行ったということでしょうか? 出典がないので今一つわかりません。--Alexander Poskrebyshev会話) 2016年11月27日 (日) 14:28 (UTC)

家系図は必要なのか[編集]

2年前にも話題になっているようですが、その後本文から消滅していたところを見ると、掲載しないという方向だったのではないかと推測されます。また大掛かりな家系図が加筆されましたが、これは必要なものなのでしょうか。私個人は必要なものだとは考えません(個人の見解に過ぎないので本文からも除去していません)。--Alexander Poskrebyshev会話) 2016年12月4日 (日) 15:36 (UTC)

これに加えて明治天皇の玄孫という記述も復活していますが、本当にこれは必要なのでしょうか。--Alexander Poskrebyshev会話) 2016年12月18日 (日) 20:05 (UTC)

この件に関して特に意見がないようでしたら、いずれ上記の部分は除去します。他の元皇族にはない記述がこの人物(この人は「元皇族」ですらない)にのみあるというのは不自然です。だからと言って他の元皇族にも記述すべきであると言っているわけではありません。--Alexander Poskrebyshev会話) 2017年1月19日 (木) 12:48 (UTC)

旧皇族[編集]

上のAlexander Poskrebyshevさんに反論する形になります。 2017年8月5日 (土) 17:19時点における版の後述の部分を再記載します。

著作に旧皇族が語る天皇の日本史(PHP新書、2008年2月)ISBN 978-4569697116とあるように当人が旧皇族と自称しそれを売りにしてた事実があり、他の元皇族の項目にこのような記述があるかないかは関係がありません。検証可能性を満たし、これを消すことは中立的な観点に反しています。

例えば、 「騒動」の 「在日特権を許さない市民の会について」にある 池田信夫が自称皇族と批判し、当人がいつ皇族を自称したのかと反論するに至ったのも旧皇族と売っていたものを池田が勘違いしたものでしょう。

再記載する部分

恒泰の父である恆和は、父の恒徳王が皇籍離脱した後に生まれているため、生涯で一度も皇族であったことはない。また、1920年5月19日に内規として裁定された「皇族の降下に関する施行準則」では「長子孫の系統四世を除く全ての王が華族に降下する」ことに定められている。竹田宮の場合、北白川宮能久親王が1世、竹田宮恒久王が2世、離脱した竹田宮恒徳王が3世、同じく離脱した竹田宮恒正王が4世であり、この世代以降は全て皇族ではなく華族となる[1]。なお恆和は華族を襲爵することはない(華族は原則として長子が継承する)ため、この家系は旧華族でもない。旧皇族という自称は詐称である[2]

202.215.177.72 2018年1月10日 (水) 18:45 (UTC)

上記の件に関してですが、2018年1月7日に作成されたアカウントによって記述が除去されていたので差し戻しました。こういう捨てアカウントでの編集には違和感しかありません。--Alexander Poskrebyshev会話) 2018年3月1日 (木) 16:40 (UTC)

利用者:剛友隊隊長会話 / 投稿記録 / 記録によって編集が行われましたが、「誤解を招くのでタイトルは変えるべきであったとおもう。(編集者個人としての思いである)」「華族となっていたと考えられる」と、独自研究の域を出ない記述であったため一旦全て差し戻しました。--Alexander Poskrebyshev会話) 2018年6月19日 (火) 15:06 (UTC)

3回めの差し戻しを行いました。個人の感想を書き連ねることはおやめ下さい。--Alexander Poskrebyshev会話) 2018年7月16日 (月) 13:46 (UTC)

  1. ^ 小田部雄次 『皇族 天皇家の近現代史中公新書 2011 ISBN 978-4121020116、96-98p
  2. ^ 浅見雅男/岩井克己 『皇室一五〇年史』ちくま新書 1161 ISBN 978-4480068675、19-20p

IPによるタグ剥離[編集]

2018年6月に入ってから、おそらくは同一人物と思われる変動IPによって断続的にしつこく出典の明示を求めるタグが剥離されています。半保護を依頼すべきだと考えます(wikipedia空間の編集は行わないので、私はしませんが)。--Alexander Poskrebyshev会話) 2018年7月8日 (日) 15:55 (UTC)