ノート:竹林院 (真田信繁正室)

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竹林院の実名について[編集]

大谷吉継が奉納した鶴亀文懸鏡の願主銘に登場する女性名を根拠として、竹林院の実名が「徳」か「小屋」のいずれかという記載になっており、出典も(宮本義己『大谷刑部と豊臣秀吉』・『五つの謎から解き明かす智将の素顔』の2点)明記されていますが、この説は異説もあるため、もともとの実名は不明という記述に戻した方がいいのではないかと思います。

大谷吉継のページでは、もともと「徳」と「小屋」が妹の名前になっていたので疑問に思い、調べてみたのですが、鶴亀文懸鏡の銘の女性名「東」「小石」「徳」「小屋」のうち、「東」は「東殿」と呼ばれた大谷吉継の母親と解釈するのは、ほぼ主流のようです。しかし、他の「小石」「徳」「小屋」を、それぞれ吉継の妻とするか娘とするか姉妹とするかは、分かれているようです(家族でない女性をあてる説もある)。特に「小屋」は文献史料に東殿とともに豊臣家に仕えた妹「こや」(『華頂要略』『時慶記』)の名があることから、妹説があるようです。(参考文献:大谷幹伸「大宰府天満宮の鶴亀文懸鏡の願主の考察」歴史研究 51(10), p102-p105)--豆もち会話2016年4月18日 (月) 13:59 (UTC)[返信]

利用者: 60.45.16.97さんが記述を変えられたので、取り下げました。--豆もち会話2016年4月22日 (金) 20:42 (UTC)[返信]