ノート:立川反戦ビラ配布事件/過去ログ:2006年6月13日 (UTC)~7月14日 (UTC)

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2006年8月5日 (土) 17:09 (UTC)、可読性と編集性のために過去ログ化および節分けを行ないました。--ikedat76 2006年8月5日 (土) 17:09 (UTC)


中立性をめぐる問題の所在・2.5 (20060713)[編集]

すみませんが、Opponentさんが提示しておられる「Wikipedia:独自の調査#何が除外されるかは、単なる「公的方針の草案」にすぎず、拘束力はありませんと明記されているようですが。であるならば、それに基づいてロリナチさんの意見を排除するのは著しい間違いだと懸念します。また、そもそも定評ある雑誌やメディアに発表しなくても、出自を問わず、誰でも自由に議論をし、編集するのがwikiだと思いますが。メディアに発表するのが前提条件だなどということになれば存在意義がまったくなくなりますが、いかがでしょうか。--Edoo 2006年7月13日 (木) 03:25 (UTC)

下記 (2006年7月13日 (木) 03:55 (UTC)) に書きましたが、いま時間がとれませんので、この点についても今日明日中猶予をいただきます。
- Opponent 2006年7月13日 (木) 04:00 (UTC)
横レス失礼、なのですが若干のコメントを。
(1)Wikipedia:独自の調査は本家の3大policyのひとつであったにもかかわらず、長年日本語版文書が作成されてこなかったものです。他の2点(Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性)とともに、Wikipediaに規律をもたらし、何でもありの匿名掲示板化を防ぐものとして重要なものです。今は草案に過ぎませんが、充分に注意を払うべきと存じます。
(2)サイト構築の仕組みとしてのwikiと、wikiの仕組みを用いた百科事典作成プロジェクト(Wikipedia)は区別する必要があります。Wikipediaには誰でも参加できますが、この場合の「誰でも」というのは「(Wikipediaの基本方針とガイドラインに従う人、そうした人に限っては)誰でも」の意です。(難しいところなのですが。)
(3)「メディアに発表するのが前提条件」というのはOpponentさんも私ikedat76も意図しないところ(であるはず)です。そうではなく、Wikipediaが百科事典である、ということが肝要ではないかと存じます。
つまり、百科事典とは、現在までに人類社会に蓄積されてきた知識の集約と整理であるわけですから、百科事典の編纂者たちが「新たな知識」「独自の見解」を発信する場なのではありません。知識について「○○によれば何々、■■によれば何々」と、(第3者によって任意に確認可能な)出典を参照(WP:V)出来る限りで記述をする、ということではないかと存じます。したがって、「自由に編集する」には制約があります。
以上、ご検討ください。--ikedat76 2006年7月14日 (金) 03:07 (UTC)
なるほど。丁寧なご返答をありがたく存じます。ただ、こちらからもいくつかの指摘をさせていただけますでしょうか。
  • 草案は拘束力をもたないのは事実です。まだ公的方針になっていない以上、注意を払う必要は現在はまだ全くないと思います。
  • 事実については引用の必要がある点と、事実に対する評価を引用する必要があるかについては異なると思います。
独自の見解を発表する場ではないとしても、引用する事実に対する、
編集する側それぞれの意見さえもメディアに依拠しなければならないということではないと思います。
  • 1. いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)や擁護の場でもありません。# あなたが支持する人物や団体、思想や信条を宣伝するためにウィキペディアを利用してはなりませんし、逆に対立する相手や不愉快なものを非難・攻撃したり、あるいは読者を扇動するためにウィキペディアを利用してもなりません。もちろん、あるイデオロギーを持った人が何を主張しているのか、中立的な観点から客観的に記述することはあります。もし、本当にあなたの主張を他の人々に広めたいなら、例えば外部の電子掲示板やブログをご利用ください。
むしろこちらのほうが重要ではないでしょうか。これは完全に編集の方針です。
現在は、私が本文を読む限りは著しく上記項目に抵触している可能性があると思います。あくまで中立性を高めるためには、
両論併記は当然として、特定の団体、個人、政党の意見を軸にしてwikiの本論をまとめるべきではないと思います。
被告に批判側の意見一色にまとめるのではなく、両論併記、極端な意見コメントの削除のみを行えば中立は保てると思いますがいかがでしょうか。

--Edoo 2006年7月14日 (金) 03:51 (UTC)

指針に従った編集をしようという提案について異存はありません。ただ、それを超える編集については「対処」せざるを得ません。さて、その上で、原則に関わる部分のみ再度:
(1)WP:NORについて
WP:NOR日本語版文書はたしかに現在草案です。ただ、同文書に言う独自調査を許容してしまうと、(方針であるか無いかはとりあえず脇に置いて)「記事名前空間に書くことができる情報の種類と質」に影響が無いか懸念のあるところではないでしょうか。さしあたり、WP:NPOV冒頭第2段落以降における、WP:NORを含む3大方針の位置づけ(議論の余地の無いもの・覆すことの出来ないもの・3方針一体と考えるべきこと)のみご確認いただければ、こちらとしては充分です。
(2-1)評価を記載する必要
この記事で扱われている対象は、WP:NPOVに言うところの論争です。問題の事件それ自体をどういう文脈の中に置くのかをめぐって、単なる刑事事件(検察・被告批判側)なのか刑事事件を口実にした別件逮捕・言論弾圧(被告・被告擁護側)なのか、争いがあるわけです。したがって、(方法に注意は必要ですが)評価について記述(引用)がないと、なぜこの事件が百科事典として記載するに価するのかが不明になりはしないでしょうか。
(2-2)「編集する側の意見」
これは必要のないものです。百科事典の編纂者は、現在までに蓄積された知識を配列することができるだけ、またそれ以外をしてはならないのですから。
(2-3)どうも「メディア」という語で何を考えるか、にお互いに食い違いがあるようです。「メディア」ということでいわゆるマスメディア(TV・新聞・ラジオ・商業雑誌)を考えるのだとすれば、それはWP:Vが許容する出典の一部でしかありません。これらメディアでなくとも、学術雑誌・書籍・(査読を経た)論文etc.etc.誰でもアクセスしようとすれば原則的にはアクセスできる情報源であれば許容される、ということなのですが…。
具体的な記述の編集に関わる部分はあらためて。また、Opponentさんの発言も待つことにしましょう。--ikedat76 2006年7月14日 (金) 05:39 (UTC)
なるほど。こちらも親切な対応、ありがとうございました。
ところで<それを超える編集については「対処」せざるを得ません。
この一文が非常に気になったのですが、対処するということは、いかなる意味に用いていますでしょうか?

--Edoo 2006年7月14日 (金) 12:53 (UTC)