ノート:矢田事件

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利用者:Hkato会話 / 投稿記録 / 記録による「字面の上では同和教育を「きわめて大事なこと」とした上で、行政による押しつけが原因で労働強化となっている点を指摘し、労働条件の改善を訴えたものだったが、実際には同和教育に冷淡なまま「自宅研修」の名目で早退し、家庭教師などの「アルバイト」で副業に励む教師たちの現状をそのまま維持しようと訴える性質のものだった」という記述についてですが、ウィキペディアではWikipedia:検証可能性の観点から「字面の上で」客観的に確認できることを書くべきです。「実際には~」以下の分析は、有効な出典に拠らない限り独自研究であり、排除されるべきものでしょう。「字面の上で」書かれたことをどう解釈するか決めるのは個々の読者です。--111.217.103.252 2012年3月16日 (金) 21:56 (UTC)[返信]

こういうコメントを堂々と書いているのは、参考文献としてあげられている『「同和利権の真相」の深層―何がリアルや!』すら読まないまま編集されているということでしょうか。それくらいの努力はしてくださいね。Hkato会話

『「同和利権の真相」の深層―何がリアルや!』などという偏向本を堂々と挙げているのは、ウィキペディアの公式方針であるWikipedia:中立的な観点すら読まないまま編集されているということでしょうか。それくらいの努力はしてくださいね。--111.217.103.252 2012年3月17日 (土) 04:41 (UTC)[返信]

『「同和利権の真相」の深層―何がリアルや!』がWikipedia:信頼できる情報源といえない理由[編集]

  1. 矢田事件の裁判で敗北した部落解放同盟が、出版部門(解放出版社)を通じ、部落解放同盟に肯定的な論客を集めて出した本である。
  2. 宮崎学の発言をめぐり寺園敦史から民事提訴され、当該発言の不正確さが法廷で立証され、敗訴が確定した本である。

裁判で既に勝敗が決している事件について、敗者側のバイアスがかかった情報に基づいて記述するのは妥当ではないですね。利用者:Hkato会話 / 投稿記録 / 記録がやっているのは、地下鉄サリン事件の項目についてオウム真理教側のバイアスがかかった怪文書を参考文献に「公安による弾圧であり、冤罪である」と書くようなものです。ただし、「木下挨拶状について部落解放同盟は未だにこういうことを言い張っている」という書き方なら使えるでしょう。--182.169.238.220 2012年3月17日 (土) 18:14 (UTC)[返信]

おや、不思議なことをおっしゃいますね。 「当該発言の不正確さが法廷で立証され」たなどと書いていますが、宮崎は確か、矢田事件に関わる発言を本書内でしたことなどないはずですし、寺園氏も、矢田事件に関わり何らかの不正確な記述が本書内にあるなどとは指摘していないのではないですか、また、裁判で云々というのも、矢田事件とは関係のない、宮崎と寺園の関わりについて語った部分ですよ。 事実関係の把握をしっかりされた上で、責任ある書き込みをしてください。Hkato会話

不思議なのはあなたの反論の方です。利用者:Hkato会話 / 投稿記録 / 記録さん。
  1. こちらは2つの理由を挙げているのにあなたは後者についてしか反論できていません。「矢田事件」の参考文献としての同書の信頼性に、前者は直接かかわる問題であり、後者は間接的にかかわる問題です。
  2. 前者の論点「矢田事件の裁判で敗北した部落解放同盟が、出版部門(解放出版社)を通じ、部落解放同盟に肯定的な論客を集めて出した本である」については反論できないから見えないふりをする、というのでは対話になりません。
  3. 「裁判で既に勝敗が決している」というのは無論、宮崎・寺園間の民事裁判(人違い訴訟)のことではなく矢田民事裁判ならびに矢田刑事裁判のことです。文脈を正しく読み取る能力もないのでしょうか。日本語が読めない上、矢田裁判についても知識がないなら本項目に手を出すのはおよしなさい。
「都合が悪いことについては見えないふりをする」というのはあなたの編集傾向と完全に一致しています。人の発言がまともに読めず、誠実に対話をする気もなく、手前勝手なプロパガンダをがなりたてる以外に能のない利用者は単なる荒らしですのでウィキペディアでの編集活動をご遠慮下さい。--115.162.99.130 2012年3月19日 (月) 19:39 (UTC)[返信]
  1. 「部落解放同盟が、出版部門(解放出版社)を通じ、部落解放同盟に肯定的な論客を集めて出した本である」などというのは単純な事実誤認です。あなたは同書も読まないままコメントしているとしか考えられません。同書は解放同盟の何らかの機関決定で出版が決まったという経緯を持っているとはきいていませんし、あなたがそのような経緯を知っているならばぜひ教えてもらいたいところですが、同書の中で解放同盟の公式な立場として理解していいのは、巻末に近いところに掲載されている、同盟中央執行委員のコメントのみです。同書を中心になって企画した角岡伸彦を始め、宮崎や呉智英などによる、解放同盟をかなり厳しく批判したコメントも含まれており、解放同盟の肯定的な論客というのも不正確にすぎる表現です。日本語というものをもっと正確に使ってもらえませんでしょうか。また、解放出版社を、解放同盟の出版部門というのも不正確な表現です。
  2. 宮崎学の発言をめぐり寺園敦史から民事提訴され、当該発言の不正確さが法廷で立証され、敗訴が確定した本である。裁判で既に勝敗が決している事件について、敗者側のバイアスがかかった情報に基づいて」云々と書いていることはお忘れですか。このくだりを普通に読めば、寺園の裁判で矢田事件について問題となったと書いていると理解するのが普通ではないですか。『深層』本で寺園が記述の正確さについて争ったのは、矢田事件に関連することではなく、その記述の正確さについて、寺園は何ら言及していないということはお認めいただいた、ということですね。当時の大阪の教育界で、越境入学問題を解放同盟が取り上げた事実がないにもかかわらず同書ではそのような事実関係が恰もあったかのような捏造を行っているという御主張でしょうか。もしそうならば、同書が価値ゼロのクズ本だと私も同意いたしますので、そのような趣旨の批判を含め誰かが、同書の矢田事件の経緯について記述が不正確だと指摘している事実があるならば、ぜひ教えてもらえませんか。

なお、私が主にこの記述に関わり主に参考にしたのは、同書ではなく、前回の編集で注に付した師岡佑行『戦後部落解放論争史』第4巻です。やや古い本ですし、あなたがこの大著を手にして読まれたとは到底思えませんが、この本に対して批判があるならば、私もぜひうかがって勉強したいと思いますので、よろしくお願いしますね。--Hkato会話2012年3月20日 (火) 20:51 (UTC)Hkato会話[返信]

「解放出版社を、解放同盟の出版部門というのも不正確な表現です」

部落解放同盟の中央機関誌『月刊部落解放』を発行し、部落解放同盟の研究部門である部落解放・人権研究所の出版部門であり、部落解放同盟大阪府連・部落解放同盟中央本部大阪事務所・解放新聞社と同じビルに本社を置き、部落解放同盟中央本部のウェブサイトでも「部落解放同盟各都府県連合会一覧」に並べられている以上、解放出版社を「部落解放同盟の出版部門」と呼ぶのは不正確だと言い張るのは無理というものです。論点は、矢田事件の当事者である部落解放同盟が作った出版社の刊行物を中立的な信頼できる情報源と認められるかどうかという点です。地下鉄サリン事件の記事を書くとき「極智新聞社」「オウム出版」(これも一応、教団とは別組織ではある)の刊行物が中立的な信頼できる情報源になるかどうか、というのと同じ問題です。解放出版社は直接には「部落解放・人権研究所の出版部門」ですが、その部落解放・人権研究所が部落解放同盟の研究部門である以上、「部落解放同盟の出版部門」と呼んで差し支えありません。言葉遊びに逃げるのはおやめなさい。

「同書は解放同盟の何らかの機関決定で出版が決まったという経緯を持っている」「寺園の裁判で矢田事件について問題となったと書いている」「当時の大阪の教育界で、越境入学問題を解放同盟が取り上げた事実がないにもかかわらず同書ではそのような事実関係が恰もあったかのような捏造を行っている」

私はそんなことは書いておりません。あなたは人の発言を反論しやすい形にねじ曲げて反論しています。藁人形論法に基づく反論は無効です。再び、あなたの誠実性に疑問を呈せざるを得ません。

「『深層』本で寺園が記述の正確さについて争ったのは、矢田事件に関連することではなく、その記述の正確さについて、寺園は何ら言及していない」

私が「「矢田事件」の参考文献としての同書の信頼性に、前者は直接かかわる問題であり、後者は間接的にかかわる問題です」と書いたのをもう一度お読み下さい。人違いで他人を罵倒するような不注意な論客が登場する本、『京都に蠢く懲りない面々』の著者が誰なのか調べればすぐわかるのに何も確認しない不注意な出版社が作った本が「信頼性できる情報源」と見なされないのは当然の話です。--115.162.96.155 2012年3月20日 (火) 21:20 (UTC)[返信]