ノート:白系ロシア人
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「革命からしばらくしてから出国した人間」でも革命に反対していた人は多数います。 「生産手段を自前で持つあらゆる階層出身者は人民の敵とみなされた」ということもありません。大半の資本家や自作農は人民の敵に認定されませんでした。 白系ロシア人への帰国呼びかけはスターリンもやりましたが、もっとも活発だったのはフルシチョフ期でした。また、帰国に応じたもの全員が虐殺されたということもありません。刑事罰を受けることなく暮らした者が大半ですし、罰された者もいましたが、大半は流刑や強制労働です。殺害された者は少数です。 --3fa6yf3m345236(会話) 2013年4月21日 (日) 11:32 (UTC)
- 半分以上3fa6yf3m345236さんによる編集に賛成なのですが、半分未満の異議ある部分につき削除させて頂きました。理由は以下の通りです。
- この箇所に限らないのですが、「多く」という表現が多用されているのが問題です(これは本当にこの箇所に限りませんが…)。Wikipedia:言葉を濁さないを御覧頂きたいと思います。
- 「(ロシア正教会からは)白衛軍の武装闘争に参加した者も多く」についてですが、復活成った当時のモスクワ総主教庁が公式に武装闘争を推奨した事はありません(教会に敵対的行為を取る者は破門にするという宣言は出したことはありますが)。聖職者の中に武装闘争に身を投じた者が居たのは事実ですが、それが全体から見て何割ほどに達していたかは、この問題に「多く」の表現が妥当かどうかには極めて重要と考えます。加えて、様々な階層・職業から白衛軍に参加した者の割合も対照して、「聖職者が特筆すべきほど白衛軍に参加した割合が高かったのかどうか」についても、考察した出典が必要でしょう。
- 「ロシア帝国における最大教派であったこともあり、」についてですが、少数派の教派(カトリック、プロテスタント)も弾圧を受けているため(特にウクライナ東方カトリック教会は正教会以上に大弾圧を蒙りました)、「帝国において特権を享受したのであるから敵視されたのも止むを得なかった」といったように解釈され得る記述はバランスを失しています。
- 他についてはほぼ異議ありません。後で気づけばまた修正を入れさせて頂くかもしれませんが、取り敢えず、現時点で「?」と思ったのはここだけです。以上、削除理由まで。--Kinno Angel(会話) 2013年4月22日 (月) 09:46 (UTC)
よい編集をしていただきありがとうございます。 --3fa6yf3m345236(会話) 2013年4月22日 (月) 13:29 (UTC)