ノート:畠山尚順

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畠山尚順は、それまではかなり苦労しつつも一環して足利義稙を支持しているので、その彼が急に足利義澄を擁立して上洛するというのは少々考えにくいと思います。遊佐順盛についても船岡山合戦で自刃した遊佐河内守と同一人物とは考えにくいようにも思えるのですが、そのような視点で書かれた文献や説も存在するように思えますし、もしかしたら尾州家で内部分裂があったのかもしれないので、調べてみようと思います。--Kangoshiyouichi 2008年9月18日 (木) 03:55 (UTC)[返信]

横から失礼します。「足利義澄を擁して上洛」のくだりですが富山県史などでは「細川高国・大内義興と結んで、義英を破って上洛…」といった風な書き方がされていますから、書き変えても問題ないと思います。--rogn 2008年9月30日 (火) 19:53 (UTC)[返信]
そうですか。ありがとうございます。--Kangoshiyouichi 2008年10月11日 (土) 04:52 (UTC)[返信]