ノート:田峯城

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「田峯城」への改名提案[編集]

①本文・テンプレート等がすべて「田峯城」、②町の指定史跡名称も「田峯城址」、③現地地名も「田峯」。故に記事名だけ「田峰城」である理由不明です。--港北の乱会話2022年8月24日 (水) 13:24 (UTC)[返信]

賛成 改名に賛成します。地名や城名は田峯と表記されますが、田峰観音だけは峯ではなく峰と表記されることが多いようです。--Asturio Cantabrio会話2022年8月24日 (水) 14:29 (UTC)[返信]

賛成 「龍/竜」「條/条」「縣/県」などと同様に、固有名詞に用いられる漢字の字体(新字体やら旧字体やら異体字やら)をめぐる部分で、初版立項者が参照したと思しきウェブサイトの執筆者には現行の通用字体「峰」でよいという判断があったかと思われます。手許のkindle本ですが、谷口克広『信長と家康 清須同盟の正体』(学研新書)で「田峰の菅沼氏」(位置No.1935/3586)とあるなど、戦国時代の歴史に関する書籍でこの地名を「田峰」の字体で記す書籍もありますから(字体についてはこの新書の編集部の方針があるのかもしれません)、一般論として不当で誤った表記とは言えません。しかし、現地の行政地名が「田峯」で、史跡指定も「田峯城址」でなされており、地元からの情報発信が「田峯城」でなされている中で(設楽町観光協会のサイトでは田峯城田峰観音で字体を使い分けております)、Wikipediaの記事名としてあえて「田峰城」の字体を採用するだけの理由は乏しいように思われます。記事名を「田峯城」に改めることに賛成します。--桂鷺淵会話2022年8月25日 (木) 03:04 (UTC)[返信]

返信 Asturio Cantabrio様、桂鷺淵様。ご賛同、および情報のご提供につきまして誠にありがとうございます。田峰観音につきましては、設楽町のHP内でも(PDF資料なども含めて)検索すると「田峰」と「田峯」が入り交じっているようで、地元でも使い分けがややアバウトなようですが、田峯城についてはおおよそ「峯」で統一されているようでした。ご賛同誠にありがとうございます。--港北の乱会話2022年8月25日 (木) 08:21 (UTC)[返信]