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ノート:渡辺淳一

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記事の整理について

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2005年12月以来蓄積していた、いたずら目的の投稿と思われる部分([1][2])およびそこから雪だるま式に派生した記述を削除しました。重大な社会的影響をもたらしたとは言えないゴシップや内輪での盛り上がりの類は、ここに書くことではありません。なお、この記事の人物による著作『愛の流刑地』の記事が以前にある特定のネットコミュニティの利用者による集団的な荒らし投稿を被って特定版削除や保護に至った経緯(Wikipedia:削除依頼/愛の流刑地)があることも付け加えておきます。--Shota D C 2006年4月30日 (日) 02:58 (UTC)[返信]

れっきとした犯罪行為について指摘したことを「悪戯」とするのは如何なものか

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そもそも新幹線の件にすれば、ある一定以上の社会的立場にある文学作家が、自身の不正乗車をさも正しいことのように記述し、それを大衆に公表したということが問題でないとするのは、不正旅客を増長させる、「重大な社会的影響」につながりかねません。

ちなみに、鉄道営業法第5条において、運送契約とは「その成立について別段の意思表示があった場合を除き、旅客が所定の運賃・料金を支払い、乗車券類等その契約に関する商標の交付をうけたときに成立する」とありますから、渡辺氏の行為がそれに則っていないのは明らかでしょう。簡単に言えば鉄道営業法、および鉄道運輸規定に反する行為ですから、もっと事が荒立っておれば間違いなく社会から抹消される行為です。 これを問題視したことの、いったいどこを「いたずら目的」ととらえるのでしょう。

いたずらや荒らし目的以外のどのような場合に「犯罪」事実を「指摘」しようとする際に「偉い人」([3])との記述が入るのですか。--Shota D C 2006年4月30日 (日) 04:10 (UTC)[返信]

ずいぶんと古い版を持ち出してきたもんですね。皮肉じゃないですかね。当事者でないので真意は問えないですが、かといって枝葉末節にこだわるあまり事実すらをもなかったかのように「編集」するのは如何なものでしょう。 なお、履歴を見ればわかるとおり、後にその部分はコメントタグによって表面からは見えないようになっていることを補足しておきます。

なぜコメントアウト([4])されたのか、よく考えてみてください。ウィキペディアは事実の暴露や報道を行う場ではありません。義憤に駆られて「事実」を見捨てておけないと正義感に燃えていらっしゃるるなら、ぜひほかのウェブログやホスティングサービスを利用してその「事実」を広く世に問うてみてはいかがでしょうか。--Shota D C 2006年4月30日 (日) 04:24 (UTC)[返信]


『ある一定以上の社会的立場にある文学作家が、自身の不正乗車をさも正しいことのように記述し、それを大衆に公表したということが問題でないとするのは、不正旅客を増長させる、「重大な社会的影響」につながりかねません。』・・・Shotaさんも常習ですか?

集団的な荒らし投稿について

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外部のコミュニティーで http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/train/1133233046/778n- のようなやりとりが行われていた事実がありました。このような経緯により行われたようです。--Shota D C 2006年4月30日 (日) 05:00 (UTC)[返信]

横槍で失礼します。ちなみに上のリンク先とは別の掲示板からやってまいりました。 たしかにShotaさまのご意見、もっともであると感ずる部分もありますが、同時にいささかの憤りを覚えざるを得ません。 何でも「荒らし」扱いし排他的に論理をおし進めるその姿勢は、仰せのWikiの意義にはそぐわないのではないのでしょうか。もっと見聞を広め、たとえそれが2chの「便所の落書き」であるにせよ。

先の新幹線の事例、たしかに「事実の暴露」にあたることは確かですが、だからといって即座に削除をするような記述ではないでしょう。言い方を変えれば、この事例はまさに「今の渡辺氏」を象徴しているともいえるのです。そういった意味では、来歴に含むことも否めないのではないでしょうか…。

おっしゃる「Wikiの意義」が何なのかは全く存じ上げませんが、ウィキペディアの目的はWikipedia:基本方針とガイドラインにあるとおりです。特に社会に大きな影響を与えたわけでもないある日のウェブログでの記述をわざわざ個別に取り上げておもしろおかしく書く場所ではありません。かつて一世を風靡した『失楽園』の作家による無責任で反社会的な放言を堂々と糾弾して今こそ正義の鉄槌を下すというのはとても価値のあることですから、それ自体に反対する気は毛頭ございません。ぜひほかのウェブログやホスティングサービスでのご活躍をお祈りしております。--Shota D C 2006年4月30日 (日) 05:59 (UTC)[返信]

幾度となくshota様が書き込んでおられる「基本方針・ガイドライン」ではもっぱら知られていない事実を公表することが目的ではありません。事実ならば何を書いてもよいわけではありません。個人のプライバシー、また特に不謹慎とみなされる場合のある事象の記述に関しては、それが事実であっても保守的な態度で記述をさけるべきという記述のみにの留まっており、今回の件については、適切な表現であればあなたの仰るほど、また即削除に値するほど発言に対する束縛は与えていないと思われますが如何でしょう。あなたはそれらの如何に関わらず不正乗車に関する項目は一切削除されていますよね。 正義の鉄槌を下しているつもりなのは、一日中パソコンにかじりついてカキコミ発見→削除→発見(以下エンドレス)を繰り返しているあなたではないですか?逆に、あなた自身が「特に社会に大きな影響を与えたわけでもないある日のウェブログでの記述」とみなす書き込みに対し、なぜそこまで固執するのでしょうか。

継続的に荒らされる状況が続いておりましたので、記事を正常化したまでです。記事が渡辺淳一であろうが石田純一であろうが佐藤順一であろうが、堅すぎる車掌さんであろうが裸すぎる大将さんであろうが、そこには全く関係のないことです。むしろ、堅すぎる車掌さん騒動に関して特定の利用者が百科事典であるウィキペディアに固執する理由にこそ興味があります。--Shota D C 2006年4月30日 (日) 14:05 (UTC)[返信]

だからといって削除すれば解決する問題ではない

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とりあえず、shota氏における自分の意にそぐわぬもの、とくに2ちゃんねるや他のポータルサイトからのなだれこみに対して全て荒らしとみなす態度はどうかと思います。それは愛の流刑地のときのあなたもそうでした。荒らしという表現にすら主観が混じっているものですから、こういった場で論議するつもりなら用いるのは慎むものです。それとも他の言葉が見つからないのでしょうか。ご自身でもう一度ウィキペディアの目的を熟読し、自らの主観のみで牽制しようという姿勢は改めるべきではないでしょうか。

なお、私自身は良し悪しにかかわらず、渡辺淳一氏ほどの権威をもつ人物の行為が「特に社会に大きな影響を与えたわけでもないある日のウェブログでの記述」に過ぎないというshota氏の意見は、渡辺氏の社会的立場の過小評価であると感じます。

まずは、ノートでの議論では署名をつけるよう御願いします。末尾に~~~~を付加すればそれで自動的に署名と投稿時刻に置き換えられます(ログインしていない場合、署名はIPになります)。これはWikipediaにおいて半ばルールとなっていることですので、遵守願います。 -- NiKe 2006年5月2日 (火) 05:56 (UTC)[返信]

これまでのノートや編集履歴を見たところ、ことの発端である渡辺氏の行為云々についての議論がほとんどされていないことが残念でなりません。また、くり返しになりますが一方が「正常化」「荒らし」という主張のみぶらさげて削除パーティーを開いていることは、日本と韓国の争い同様、「そうではないだろう」と考える人間にとって論壇は与えられていないに等しいのです。 ではご指摘の通り半ばルールの署名をさせていただきます。 Aashupita 2006年5月3日 (水) 01:40 (UTC)[返信]

「負」を記載するのがいけないのかという問題

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Shota様ご自身におかれましても、まずWikipedia:基本方針とガイドラインを熟読されたほうがよろしいかと思います。 ウィキペディアは事実の暴露や報道を行う場ではない、これはたしかに仰せの通りです。がしかし、編集にあたっては同時に客観的な事実確認を慎重に行うことも求められているのです。 不正乗車の件を抜きに考えても、Shota様は、渡辺氏に不利な表現を「『グリーン騒動』を世間に啓発するためだけに書き込まれている」と信じて疑わず、一方的に「バランスを欠いた仔細な記述と憶測による論評」などと評し、議論の余地無く徹底した削除によって言論封殺を行っていらっしゃいますね。 渡辺氏にとって今回の事件が未来永劫「負」の遺産になるのは間違いないでしょうが、いまだ渡辺氏の公式ブログには、公人としてはあるまじき行為を働いたことが(ゴーストライターで無い限り)氏自身のことばによって如実に語られており、ここに記載するにあたって、それに対して特段の配慮は必要ないかと思われます。補足させていただきますが、Shota様は2ちゃんねるをはじめとしたWikiとは関連のない掲示板やポータルサイトのカキコミ内容までWikipedia:削除の方針にあてはめようとしていらっしゃるようですが、これは本気で可能だと思われていらっしゃるのでしょうか?Totomatomato 2006年5月6日 (土) 05:30 (UTC)[返信]

Wikipediaを断罪の場に使われることに反対します。断罪は他で行なってください。この件が、一項目を必要とするくらい彼の人生に置ける大きな出来事であるか否かを立証してから書いてください。この一件は、彼の代表作と同じくらい重みをもつものですか?--ゆきち 2006年5月6日 (土) 05:46 (UTC)[返信]

「行動」と「作品」を同列に扱うことなど出来るものでしょうか?できるはずありませんよね。だから議論をするためにノートがあるんです。そもそも断罪だと決め付けられていらっしゃるようですが、この記事のどこが断罪なのでしょうか。そもそも現在、この記事は項目としてはShota様の独断によって削除され、存在していません。Totomatomato 2006年5月6日 (土) 05:56 (UTC)[返信]

> 「行動」と「作品」を同列に扱うことなど出来るものでしょうか?

出来ますけど...。「印象的なエピソード」って言い回し、ご存じありませんか? 作品と同じくらい重要なエピソードってあるじゃないですか。具体的な例を今すぐ出せませんが。少なくとも、たった一回の発言をさも彼の特徴を現すかのようなように取り扱うのは、無理があります。なので、未記載が妥当です。--ゆきち 2006年5月6日 (土) 06:00 (UTC)[返信]

これは失礼いたしました。しかしその言葉をお借りするならば、現に大学その他で大々的に公演し、一般人とは違った公人という立場にある渡辺氏の言動は、たとえその場がネット上であれど、「印象的なエピソード」にまとめることだってできてしまうのですよ。Totomatomato 2006年5月6日 (土) 06:23 (UTC)[返信]

ひとつ疑問なのですが、Totomatomatoさんは、この件を通じて渡辺淳一という人をどう評価したいのでしょう? この件は、彼にとってどういう位置付けを持つものなのでしょうか。この件は、彼の何を現しているのでしょう? それが記載できないのならば、やはり、一ゴシップでしかなく、記載する必要はまったくないと言わざるを得ません。-ゆきち 2006年5月6日 (土) 06:31 (UTC)[返信]

私個人の感情、私にとっての渡辺氏の位置づけを「渡辺淳一」の項目で記すことは基本方針に反するので避けます(Totomatomatoのノートなどの場所はありますのでそこでなら多少はできます)が、それにしても視野が狭いお考えで、またずいぶんと結論をお急ぎなようですね。私だけでなく広くの方に問うてみてはいかがですか?ついでに老婆心ながら、ゴシップという言葉の意味、ちゃんとお考えになってからお使いいただいたほうがよろしいかと思われますよ。Totomatomato 2006年5月6日 (土) 06:48 (UTC)[返信]


もし、ブログの内容が「こないだ指定券持っていなかったけれど、空いているようなので指定席に座っていたら、車掌さんに注意されてしまいました。なかなかきちんとやっとるね感心感心」というないようであれば、これほどの反感もかわなかったのは明らかでしょう。自分の不正を公言した上で、それ位認めるべきだ・・・というような内容を、ガセネタライターならぬ「一流作家」氏が主張することが、一般人のモラルにどのように影響を与えると思っているのでしょう。だからこそ、そのセンスを明確にするためにもこの事実は記載されるべきと考えるのですがね。


指定された料金を払わずに指定席のイスやグリーン車のイスに座り、ましてそれを正当化しようとし、その上それをインターネットブログという公衆の面前に晒した…、これは、直木賞選考委員という名誉ある立派なイスが用意されている人間にはあるまじき行為でしょう。恐らく、渡辺氏もブログの発言がもたらす影響力を考えていなかった、あるいは知らなかったのでしょう。そのへんは事件直後から突如ブログがコメント・トラックバックを受け付けなくしたあたりからも窺い知ることができますね。 今回の件、Wikipediaの基本方針に則って事件を書き込んでいるにも関わらず削除される方の気が知れません。こういった方々は、ご自身の意にそぐわぬ発言を問答無用で『荒らし』呼ばわりしているあたりから、渡辺氏のことが好きで好きでたまらない盲目的ファンなのでしょうか。だとすれば、現実を見ようとしないその行為は逆に氏のイメージダウンに繋がることを認識すべきでしょう。Totomatomato 2006年5月17日 (水) 12:17 (UTC)[返信]



特に反論をいただきませんでしたので、今回の件を再掲いたしました。それにあたっては、ゆきち様の「印象的なエピソード」という言葉をお借りしました。まさに今回の件にしっくりくるこの言葉を提供してくださったゆきち様に、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

なお、「『トークに使える 日経ネタ』サイト上でのアンケート」については今のところ議論がなされていないので掲載しませんでした。個人的には、Wikiのいたる場所で見られる「こぼれ話」程度に収めるのは問題ないと考えますが…。

これについて削除をなさるならば、ぜひとも客観的に判断し、ご意見を添えていただきたいと存じます。あくまで「印象的なエピソード」だとお考えいただければ,自ずとおわかりいただけるとは思いますが。Totomatomato 2006年5月22日 (月) 11:48 (UTC)[返信]

エッセイ的?

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ゆきち様、ちょっと笑わせていただきました。しかし、いい理由がみつからないからといって、そんなアイマイな内容でむやみに削除されるのはおやめくださいませ。

そもそも「エッセイ的」というのが文章を指しているのか内容を指しているのかすらわかりません。 「エッセイ的」な文章というのがが削除の理由であるならば、エッセイ的でない文章にしていただければよいだけであり、またしかし「エッセイ的」な内容でが問題であるのならば、どこが「エッセイ的」なのかをここで具体的に指し示すべきではないですか?だいたい以前はそんなこと一言も仰っていなかったのに、今になってそんなこと仰られても後だしジャンケンよろしく見苦しいだけです。

「この件は、彼の何を現しているのでしょう」という貴方の問いかけに対し、私は私なりの見解を示し、またそれに対し特段の反論をいただきませんでした(むしろ肯定的なご意見が多かったのでは?)ので件の記事を再掲したのです。それに返答もせず、ただ自身の意にそぐわぬからといって削除するだけのあなたの行為は目に余るものがありますよ。Totomatomato 2006年5月31日 (水) 05:39 (UTC)[返信]

個人攻撃は好みませんが、ノート:Fate/stay nightの5/16の私の書き込みを読んでいただけないでしょうか。この編集合戦じみた行動を起こした削除者こそこのゆきち氏です。この方は自分の気に入らない内容は削除する、いきなり削除してしまわないと気が済まないということを突然告白し、しかも現実に削除を実行しています。投稿する際自分の記事が(執筆者にとって)意に沿わぬ改ざんをされることについて、我々は予め同意を与えているのがWikipediaの前提でではなかったのでしょうか。これが自らに適用されることが気に入らないと言っているのです。--Gonorego 2006年6月12日 (月) 17:58 (UTC)[返信]


なぜエロ路線に?

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先生がなぜ「遠き落日」や「光と影」などの純文学からいわゆる(不倫や性を扱う)エロチック路線に方針を転換されたのか、その辺の事情をご存知の方は記述をお願いします。220.210.127.123 2007年8月14日 (火) 11:49 (UTC)[返信]

  • そのような方針転換が本当に起きているのでしょうか? 初期から「野わき」のような作品はあったわけで、しかも「光と影」は直木賞受賞作ですから「純文学」ではありません。

蒸し返すようですが

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最近こちらを見た者です。
活動の部分は、悪意的な表現と感じる文章構成であり、主観が入りすぎていると判断し、一部削除しました。
個人がどのような言動をしたかは、車掌の話の件のような些末な事柄を載せることで情報としての価値を失うと思います。
Wikipediaはそのようなことを記述しておく場所なのか、首を傾げます。書くならば評価として”社会的”論理的に記述すべきかと。
人物に対してなのですから人となりを書くべきだし、車掌との一件の次に大学病院を去ることになった話しを記述していて、悪印象を与えるような表現で名誉毀損にもなりかねません。
ですから大学病院を去ることになったエピソードは残しました。氏の岐路になった重要なエピソードだからです。
削除に関しご意見は分かれると思いますが、私にとっては無意味と思い削除いたしました。

客観的表現に努めることは、大切なのではないでしょうか。 人物像を書く時は、少なくとも人として最低限の名誉は考慮すべきと思います。--Yo-u44 2011年10月22日 (土) 01:34 (UTC)[返信]

福田和也氏の評価について

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評価で過去に以下の福田和也氏の評価の記述がありましたが削除されています。
「概ね初期の伝記や医療を主題にした作品には高い評価が向けられている。その一方、後期の一連のエロティシズムを主題とした作品群に対し、福田和也は『作家の値うち』において「亡国的作家」「紋切り型のポルノグラフィー」と斬り捨てている」
福田氏は文芸評論家としても著名で、出典もしっかり記されています。これは削除に値する記述だったのでしょうか?復活に値する記述と考えますがいかがでしょうか。御判断を乞います。 --183.72.199.37 2013年6月14日 (金) 09:01 (UTC)[返信]

こちらを読む限り、その記述を除去されたのは利用者:Mandarasportsさんという方のようですので、この方のノートで除去した理由を訪ねてみてはいかがでしょうか?私も、福田和也の批判については特に問題ないと思います。--しおまねき会話2013年6月14日 (金) 10:42 (UTC)[返信]