ノート:渡貫博孝

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独自研究[編集]

根拠無き風評、個人の感想もしくは独自研究のようです。編集で修正しようとしましたが、「出典」と出来る情報が見つからないため、一旦こちらのノートに転記し、本文はコメントアウトします。再掲をご希望の方は、出典を示した上で、記述の妥当性について議論をお願いします。--miya 2007年9月13日 (木) 04:41 (UTC)[返信]

==市民からの評判==

東京都内に通勤、通学する千葉都民が多く居住してる志津、臼井、佐倉、根郷地区民からの評判はあまりよくなかったらしい。渡貫が市長だった時は道路もあまりきれいに整備されず、道路上がデコボコしていてそのデコボコのせいで車の車体が傷ついたりと市民のほかに近隣市町村の住民からも反感を買っていた。10年前に一度、隣接する八千代市と四街道市からクレームが来たことがある。その後は陥没した部分に補修材を入れて処理したが根本的な改善にはなっていない。また街づくりの面でもいろいろな問題があって渡貫は都市開発のことだけを考えており自然のことなど何も考えていなかった。そのため都市開発による過剰な自然破壊が続いた。そのため現在では佐倉市の自然は激減した。自然と調和した街づくりを進めている八千代市とは対照的だった。蕨市長になってからは道路問題はずいぶん改善されてきており街づくりも八千代市を見習って自然に配慮した街づくりを進めるようになった。2007-07-29T14:37:05;の版より転記