ノート:洛西口駅
旧物集女駅の場所について
[編集]旧物集女駅の場所について本文中に「かつて、この付近の桂寄りに」とあるのですが、私の認識ではほぼ現在の洛西口駅と同じ場所であると思います。その理由は二つあります。一つは、私自身子供の頃から現在にいたってこの場所付近に居住しているのですが、洛西口新駅の場所に旧ホームの遺構である盛り土が存在していた事(その盛り土が旧駅遺構である事は今から25年前に教わりました)。もう一つは、国土地理院HPの国土変遷アーカイブでの「1946/10/02」の航空写真を見る限りでは、桂駅寄りには駅らしき構築物は見えず、むしろ現在の洛西口駅の場所に駅らしき構築物が見える事です。私の主張の根拠は「地域民からの言い伝え」と「当時の航空写真」だけなので確たるものではないと思いますが、この「旧駅が桂駅寄りにあった」という根拠は何なのでしょうか?--雲越亭出蔵 2010年3月31日 (水) 15:15 (UTC)
- まだ洛西口駅が出来ていなかった頃の1993年発行の「大阪・神戸・京都・福岡の私鉄」(小学館発行)の解説には「東向日駅~桂駅間に物集女駅があった」と書かれておりました。また当方でかつて見た地図(もう数年前の事なので何かは失念しましたが)では現在の洛西口駅より桂寄りに位置していた様に見えていましたのでそう記述させて頂きました。しかし上記の国土地理院の航空写真を確認した所洛西口駅とほぼ同位置辺りにある事を確認しました。これに付きましては上記の通り訂正されても異論はありません。尚間違った記述のみ当方で削除して置きます。--目蒲東急之介 2010年3月31日 (水) 23:54 (UTC)
- 確認しました。訂正ありがとうございました。但し、目蒲東急之介さんが見た古地図には旧物集女駅が当地より桂駅寄りに記載されていた事から、また別の証拠も出てくるかと思われますので、もし何か資料があれば議論していきたいと思います。--雲越亭出蔵 2010年4月1日 (木) 10:04 (UTC)
- とんでもないです。新たな出典が見つかればその時にお知らせします。--目蒲東急之介 2010年4月2日 (金) 14:45 (UTC)
- 確認しました。訂正ありがとうございました。但し、目蒲東急之介さんが見た古地図には旧物集女駅が当地より桂駅寄りに記載されていた事から、また別の証拠も出てくるかと思われますので、もし何か資料があれば議論していきたいと思います。--雲越亭出蔵 2010年4月1日 (木) 10:04 (UTC)
洛西口駅は物集女駅の復活か
[編集]物集女駅の位置についてですが、『阪急ステーション』によれば、所在地は京都府乙訓郡向日町大字寺戸小字正田7番地となっております。現在の地図にも「正田」という地名がありますが、現在の駅より500mほど南下した場所です。また、先の議論で雲越亭出蔵さんと目蒲東急之介さんが参照されていた航空写真でも、駅の本体(航空写真中の白い構造物?)は現在の洛西口駅のように県道に接しておらず、やや南にあったように見受けられます。このことから、物集女駅と洛西口駅の位置は若干違うものと考えます。
そもそも、休止状態になったものが営業再開したのならともかく、何もない状態から駅を新設したものを復活とは言えないでしょう。洛西口駅の開業時も阪急では頻繁に広告をしていましたが、「物集女駅の復活」という表現は一度も目にしたことはありません。「復活」の表現を使うのは適当ではないと考えます。--もんじゃ(会話) 2016年4月24日 (日) 14:24 (UTC)
- 物集女駅開業当時の航空写真では、当時の物集女駅の構造物はほぼ現在の洛西口駅の位置と一致しています(西方の「物集女街道」のカーブ位置から)。あと、Googleマップでは現在の駅より南500mほどに「正田」という表記がありますが、「京都府向日町大字寺戸小字正田」でGoogleマップで検索すると、南北に長い町域で表示されますよね。現在の駅の半分以上に被っています。私は近所に30年ほど住んでいるのですが、先のノートに書いている通り、旧物集女駅のホーム跡として長年現存していた土塁の場所に現洛西口駅が設置されました。「京都市西京区川島六ノ坪町」との市境にまたがってホームがあり、旧駅の改札らしき建造物は当時の航空写真とGoogleマップによる「京都府向日町大字寺戸小字正田」の表示エリアから「正田」に、現駅の改札は市道寄りの「京都市」に存在するだけの事だと思います。
- 旧駅と新駅のホームが重ならず、かつ、500mも位置が離れていれば、確かに「同一駅」や「復活」という表現は当てはまらないでしょうが、ホーム位置がある程度一致している以上、阪急が「復活」と言及していなくても、「事実上復活」と言っても差し支えないと思うのですがどうでしょうか。「復活」という表現は削除できても、「旧駅の場所に設置された」事は間違いないと思います。--雲越亭出蔵(会話) 2016年4月24日 (日) 16:38 (UTC)
- 『鉄道ファン』などで「復活」などと取り上げていれば別ですが、旧駅と同じ場所にあるというだけで「事実上の復活」という表現もできないかと。似たような位置に設置されたにせよ、物集女駅が廃止されて50年以上経過しているわけですし、阪急が「再設置」とか「復帰」としてないのであれば、同一視はするべきではないでしょう(摩耶駅と東灘駅みたいな関係に近い)。なぜかと言うと「同一の場所にあっただろう」とか「ホームが被っている」とか「九駅の場所に設置されている」というのが執筆者の独自研究になってしまっているので、「復活」や「再設置」というのは使えないのです。それを使うためにがそのことに言及された情報源が必要になります。「付近に存在した」ならば客観的事実に基づいている(そこまで言及している情報源が無いでしょうし、同地を含めて近くにあったことは動かせない事実)のでここで軽く触れるのには支障がないといえます。--アルトクール(会話) 2016年4月24日 (日) 17:19 (UTC)
- 先週日曜日にもその旨申し上げましたけれども、航空写真でも洛西口駅と物集女駅は位置が違っているように見えます。例えば、1946年7月24日に撮影されたUSA-M205-A-8-36を例にとりますと、駅のホームは現在の府道より少し南に下がった位置にあり、そこから県道へのアプローチが延びているように見えます。確かに、現在の洛西口駅と位置がわずかに重なっているようにも思われますが、それを「復活」とするのは語弊があると思います。例えば、旧雲雀丘駅と雲雀丘花屋敷駅は、ホームが目と鼻の先にあったのですが、同じ駅とはみなされません。
- そもそも、アルトクールさんのおっしゃる通り、こうして私どもが一次資料をもとに議論をするのは「独自研究」にあたります。ブログや書籍を執筆する際には全然かまわないのですが、「Wikipedia:独自研究は載せない」にあります通り、ウィキペディアでは文責を明らかにする上で独自研究は排除されるべきこととされております。
- 従いまして、これ以上異論がなければ「事実上の復活」という表現は削除させていただきたいと思います。雲越亭出蔵さんは地元民として洛西口駅に愛着があるかと思いますが、どうかご理解いただきたく思います。--もんじゃ(会話) 2016年4月30日 (土) 05:22 (UTC)
- 確かに「旧ホーム遺構が残っていた」など独自研究になる部分はありますが、国土交通省の1946年の航空写真から確認できる当時の物集女駅の位置は、現在の洛西口駅ホームの中に内包されています。旧物集女駅ホームの北端は南側に短くなっていますが、南端は現洛西口駅とほぼ一致しています。駅西側の田畑の「特徴的な道」やさらに西側の物集女集落の路地形状を、現在のGoogle航空写真と1946年航空写真を比較することで確認できますよね。北端が50mほど南へ短くなっている程度です。先のもんじゃさんの言ったような「500mも南に下っている」のではありません。
- 私は「駅が復活」の記述にこだわってなく(先の私の書込みにもそう書いています)、「事実上の復活」の削除は構わないと思います。しかし駅の位置には航空写真から分かる事でこだわっています。何をもって「同一駅」と見なすのかの基準は私も詳しくはありませんが、「駅の位置」は航空写真などの資料から確認できます。Wikipediaにおいて、航空写真は一次資料とならないルールなのであれば、私もそれに従い、駅の位置に関する記述は無くしても構わないと思います。--雲越亭出蔵(会話) 2016年5月4日 (水) 00:48 (UTC)
- その「航空写真の比較」自体が独自研究です。比較を行うのはあくまで執筆者ではない第三者です。写真は資料として有効ですが、写真そのものを「執筆者が比較検討した結果」を書いてはいけないのです。--アルトクール(会話) 2016年5月4日 (水) 04:45 (UTC)
- 私は「駅が復活」の記述にこだわってなく(先の私の書込みにもそう書いています)、「事実上の復活」の削除は構わないと思います。しかし駅の位置には航空写真から分かる事でこだわっています。何をもって「同一駅」と見なすのかの基準は私も詳しくはありませんが、「駅の位置」は航空写真などの資料から確認できます。Wikipediaにおいて、航空写真は一次資料とならないルールなのであれば、私もそれに従い、駅の位置に関する記述は無くしても構わないと思います。--雲越亭出蔵(会話) 2016年5月4日 (水) 00:48 (UTC)
- 私は、旧物集女駅と現洛西口駅の議論は、「復活なのか否か」と「存在地がどこだったのか」を分けて行うべきだと思います。航空写真がWikipediaにおいて確たる資料とならないのはよく分かりました。先の私の書込みで、存在地がほぼ同じという事で、阪急電鉄様が「復活」とは言わないまでも「事実上の復活」であればまあ良いかなと思った次第だったのです。履歴を見れば分かる事ですが、この記述は私が行ったものではありません。現在の洛西口駅の記述の変更はあなた方にお任せします。--雲越亭出蔵(会話) 2016年5月4日 (水) 13:27 (UTC)
(インデント戻します)議論をもとに、「物集女駅の復活」という表現を取り除きました。当然、「物集女駅は現在の洛西口駅とほぼ同じ位置にあった」と書かれた二次資料があれば、その記述を反映させることはできます。(その際も、「復活」という表現が妥当かは分かりませんが。これはむしろ、国語の問題でしょう。)--もんじゃ(会話) 2016年5月9日 (月) 13:13 (UTC)
要検証 20160509
[編集]本日付与した要検証範囲は、その直後の文章で出典になっている『RAIL FAN』に書かれているのかもしれません。ただ、今の出典の明記の仕方だと要検証範囲の部分は無出典と同じであるため、該当号のRAIL FANをお持ちの方に検証をお願いするものです。--アルトクール(会話) 2016年5月9日 (月) 14:26 (UTC)