ノート:松井須磨子

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生年月日[編集]

[1]を見ると「明治19年11月1日~」となってます。「1886年3月8日」は、どの資料を出典にしているのでしょうか?--aki4 2009年1月4日 (日) 12:04 (UTC)[返信]

ご指摘の国会図書館のサイトは、「恋に生きたる須磨子の一生[2]」(1919年)を典拠にしているようです。また、「20世紀日本人名事典」(コトバンク)[3]では、「生年明治19(1886)年3月8日(戸籍=11月1日)」としています。別に7月20日説もあるようです。(新宿中村屋のサイト)[4] 図書館に行ってときに調べてみます。 --忠太会話2015年11月26日 (木) 13:33 (UTC)[返信]
岡野和夫「松井須磨子とその生誕日」(『悲劇喜劇』1986年10月)に記述がありました。明治19年生まれという点に異論はありませんが、月日には諸説あるようで。
3月8日説:河竹繁俊『逍遥・抱月・須磨子の悲劇』(1966年)、戸板康二『物語近代日本女優史』(1980年)※上田女子高等小学校の修業証書には「明治十九年三月生」とある由。
7月20日説:※文芸協会「学生名簿」にある由。
11月1日説:(加藤紅葉『恋に生きたる須磨子の一生』)※戸籍謄本の記載。
12月8日説:秋田雨雀『恋の哀史 須磨子の一生』(1919年)、河竹繁俊『演劇百科大事典』第5巻(1962年)松井須磨子の項、戸板康二『女優の愛と死』(1963年) (河竹・戸板は12月8日説を放棄?)
岡野氏(長野市民劇場)は他の説がすべて誤りと言い切れないとしつつも、公文書の裏付けがある11月1日説を取っているようです(記事中に戸籍の画像あり)。 --2015年12月26日 (土) 13:49 (UTC) --忠太会話2015年12月26日 (土) 14:34 (UTC)[返信]