ノート:東京都立高等学校

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学校群制度は美濃部都知事の都立高校改革ではありません[編集]

俗説に踊らされてはいけません. 執筆者は,まずはwikipediaの学校群制度のところを参照してください. 学校群制度は美濃部都知事の先代東都知事時代の小尾教育長が強力なリーダーシップで導入を決めた制度です. 執筆者の記述からは小尾教育長の背後に社会党や共産党がいるように読めてしまいますよ. 211.121.208.170 2007年8月5日 (日) 18:15 (UTC)[返信]

はいはい、初版執筆者でございます。

  • wikipediaの学校群制度( 2007年7月29日 (日) 01:16版を参照)では『1967年 東龍太郎都知事時代(美濃部亮吉都知事時代に実施鈴木俊一都知事時代に廃止)、小尾乕雄(おびとらお)教育長によって都立高校入試に学校群制度が採用されることになる。』(強調は引用者による)とあります。さらに、本文中ではわざわざ都知事がやっている、と書いてあるのに、名前の全く出ていない小尾を出し、さらに「小尾の背後に社会党や共産党がいる」と読むのはさすがに論理の飛躍じゃないでしょうかねぇ。
  • もう一点、この部分は別に私の主張ではなく、脚注にもあるとおり産経新聞がこういってるからこう書いた、それだけです。これは俗説で違う等あれば、出典を示しつつ追記をしていただけるとさらに記事がより良くなると思いますので、ぜひお願いできればと思います。

以上です。--Etoa 2007年8月6日 (月) 14:23 (UTC)[返信]


「学校群制度は美濃部都知事の都立高校改革ではありません」の者です. 早速のコメント,恐縮でございます.

  • ぼくが「学校群制度は美濃部都知事の都立高校改革」が俗説であるといった根拠は,導入決定から第1期生の入学までの時間軸に沿った経緯です.

以下に概略を示します.

  1. 昭和41(1966)年7月,東京都教育委員会が学校群制度導入を決定.
  2. 昭和42(1967)年2月,学校群制度による学力検査実施.
  3. 昭和42(1967)年3月,学校群制度による学力検査の合格者発表.
  4. 昭和42(1967)年4月,学校群制度第1期生入学.
  5. 昭和42(1967)年4月15日,統一地方選挙実施.
  6. 昭和42(1967)年4月16日,東京都知事選挙で美濃部亮吉初当選.
  7. 昭和42(1967)年4月22日,東龍太郎東京都知事退任.
  8. 昭和42(1967)年4月23日,美濃部亮吉東京都知事に就任.

学校群制度は小尾乕雄教育長あるいは東龍太郎知事が導入した都立高校改革です. 産経新聞が「学校群制度は美濃部都知事の都立高校改革」と述べているのであれば,残念なことです. なお,この間の経緯は,『むかし<都立高校>があった』奥武則著(平凡社刊平成16(2004)刊)に詳しく記述されております.学校群制度を語るときの必読書と考えます.しかも,まだ新刊で購入できます.

  • 主観的に申しますと,美濃部都知事は学校群制度を無批判に継承し,導入前から予想されていた弊害が顕在化しているにもかかわらず,3期12年間何の手も打たずに,塩漬にして放置したのです.美濃部都知事が責められるべきは「美濃部都知事の都立高校改革」ではなく,「小尾教育長(あるいは東都知事)の都立高校改革の無批判な継承と3期12年間の放置・塩漬」だと考えます.
  • なお,ここで小尾教育長について記述しなくとも,リンクを張ってある「学校群制度」へwikipediaの誇るべき特徴である「ワンクリックでシームレスにジャンプ(飛躍)!」でき,そこには小尾教育長が採用した制度だと書かれています.
  • wikipediaにはすでに「学校群制度」や「学区合同選抜」など,都立高校の入試制度について項目が立てられており,「都立高等学校」はそれを記述するものとはならないはずです.ぼくは入試制度ヲタなので,ここに記述すべき材料は持ち合わせておりません.

61.123.86.230 2007年8月8日 (水) 15:30 (UTC)[返信]

色々あってお返事が遅れました。時系列での掲示、どうもありがとうございます。学校群制度の記述を削ってみましたが、いかがでしょうか。--Etoa 2007年8月17日 (金) 09:13 (UTC)[返信]

「学校群制度は美濃部都知事の都立高校改革ではありません」の者です. 記事も巻き戻されたようですし,引用について鷹揚ではない方のようなので,お求めに応じてコメントします. 「この部分は別に私の主張ではなく、脚注にもあるとおり産経新聞がこういってるからこう書いた、それだけです。」なのに,引用という格好のままでそこから学校群制度の記述だけを削っちゃまずいでしょう.そういうのって不適切な引用ですよ.著作物は誤った内容も含めての著作物です.勝手に訂正しちゃいけません.産経さんは引用文献から削除することをお勧めします.--61.196.49.165 2007年11月23日 (金) 20:07 (UTC)[返信]

確かに、61.196.49.165さんのおっしゃるとおりですね。該当の産経新聞部分は削除します。お手間をおかけしました。--Etoa 2007年11月24日 (土) 00:33 (UTC)[返信]

進学校からの凋落について[編集]

『帰らぬ日遠い昔』の出典部分と、『【主張】履修問題 都立高改革の火は消すな』2006年12月13日 産経新聞の出典部分を混ぜて編集するのは避けていただくよう、よろしくお願いいたします。また、適宜出典を示しつつ記載していただけるよう、よろしくお願いいたします。--Etoa 2007年11月17日 (土) 04:08 (UTC)[返信]


要出典につけられた本文中のコメントをノート上へ[編集]

「日本社会党や日本共産党、日教組によって、これらの都立高校は進学校から凋落した」へのコメント :『帰らぬ日遠い昔』にはこのような明示的な記述はないので,別の情報源があるはずですね.論旨の核心部分でもありますから明示すべきです.なお,都立高校の難関大学進学実績の低下は,wikipedia「学校群制度」で分析されているように,学校群制度導入と社会情勢の変化で説明するのが常識的です.また,『帰らぬ日遠い昔』はあくまでも小説であることにも注意が必要と思います.フィクションが散りばめられているために「言葉尻」「一字一句」を真にうけることはできません. |2007年12月}}。

「日本社会党や日本共産党、日教組は、「東京大学などに多数の卒業生を輩出している日比谷高等などを放置すれば、やがて一部のエリートが大勢の労働者を支配する社会になってしまう」と考え、改革を行った」へのコメント :『帰らぬ日遠い昔』にはこのような明示的な記述はないので,別の情報源を明示すべきです.「」入りであるということは,筆者による情況の推定ではなく,発言ないし原文の引用であることを想起させます.|2007年12月}}。 --211.121.94.10 2008年3月16日 (日) 08:55 (UTC)[返信]