ノート:末日聖徒イエス・キリスト教会/過去ログ3

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フランス反セクト法[編集]

アメリカでは反カルト運動自体の危うさの認識が広まってきており、全米キリスト教協議会は,「カルト警戒ネットワーク」(CAN)の活動は信教の自由にとって危険なものとしている。 「反カルト運動の展開は、ある種の社会的ヒステリー現象としての性格も見られ、現代の魔女狩り的様相もうかがえる」(宗教の復権、中野毅、東京堂出版、2002、p.143) アメリカで始まった反カルト運動はEU諸国でも起こり、反セクト運動になっていく。 フランスの場合は反セクト法が成立することになるが、フランス・ナショナリズムや政治的意図の指摘がある。問題は、政府委託でもない調査委員会の報告書の段階で事前にマスコミにリークされ、一大反セクトキャンペーンへと発展したことである。その報告書の結論にはセクト対策新法の必要なしとされているにもかかわらずである。それによりセクトとされた宗教とその信者は嫌がらせや中傷、社会的差別などの被害を受けた。これには、宗教学者、歴史学者ら専門家が、報告書が反セクト団体などからの一方的見解のみであり、客観的に分析している専門家の意見を全く聞いていないことに、信頼性に欠け魔女狩りを呼びかけるものであると激しく非難している。また、様々なセクトを同視していることも批判されている。この法案制定やキャンペーンを推進したのは、主に左派系議員、警察・公安当局、カトリック教会である。 ドイツでは「公法上の団体」として国家が教会税の徴収を代行し、公立学校における宗教教育の担当者や公的施設でのチャプレンを置くことができる。末日聖徒イエス・キリスト教会もこの資格を得ている。ドイツの会員数は4千人ほどと少ない。 参考文献 宗教の復権、中野毅、東京堂出版、2002
反セクト法の箇所について中立の観点から疑問です。--Lionpug 2007年4月14日 (土) 09:08 (UTC)

 名指しされた教団教団を中心に上記のような意見が出ているのは当然のこと。フランスのカルト法に対する意見は多々あるが、好意的は意見を全く無視しているのは、末日聖徒がカルトという声を封殺するのが目的であり、Wikiの精神に反すると思われても仕方ないであろう。

http://ja.wikisource.org/wiki/フランス政府セクト対策一覧より


国民議会「フランスにおけるセクト(カルト)教団」 : 調査委員会リポートno.2468要約 最近セクト被害やそれによる社会問題が増加している 問題の多い団体を10の基準に適合するかどうかで選別しリストアップした。 司法警察の記録を中心に、それと人権団体の仲介をしている団体への被害報告も加えて選別した。選別基準はフランス国内での実害、人権侵害、犯罪性である。 セクトは大衆の受容を満たしている面もある。またたいていの団体で少数ながら人生が向上しているひともいるので単純に否定は出来ない。そして異文化排斥にならないように注意しなくてはいけない。(後フランスはライシテの概念が憲法に盛り込まれているので教義や宗派で団体を差別できない) 全てのセクトが危険なわけではないが、被害が多いのが問題であり特に危険な団体を選別しなくてはならない。 どのようなセクトがあるのかの説明、代表的なセクトとセクト側の主張を説明。またほとんどのセクトは1901年法による簡易設立で国家がきちんと認めた団体ではないとの説明。95年時点ではきちんとした宗教法人格どころかより簡易の法人格を持っている団体は一つもない。 セクトを取り締まるための法整備が十分ではなく(この当時フランスは組織犯罪全般に対する処罰が甘かった、その中でもセクトに対する法は未整備)取り締まりも十分でないため刑法などをしっかり適用して犯罪は取り締まるべきである。 脱税が非常に多いのに徴税が不十分なのでその辺もしっかりして欲しい。 被害の増加に対し監視組織が十分でないので対策を講じるべきである。  こういう声を無視して、反対意見のみを採用して削除などというのが果たして中立というのであろうか。理解に苦しむ。--以上の署名のないコメントは、220.98.124.13会話)さんが 2007年4月16日 (月) 14:58 (UTC) に投稿したものです(Zimanによる付記)。


(追記) 今回記事を削除したモルモンと思われる人は、フランスのカルト事情で、一部の都合のよい意見のみを普遍的真理と主張しているようなので、このあたりを学習されるとよろしかろうと思う。カトリックなどからの宗教弾圧やフランス人の勝手な思い込みや暴走ではないことが分かる。 http://page.freett.com/sokagakkai_komei/shukyou/cult_french.html 詳しくは上記URLを見てもらいたい。

カルトとセクトの定義も単純すぎるものであり、リンク先のカルトのステレオタイプの定義自体すでに古く、反カルト運動自体の知識も適当な典拠から調べられた形跡もなく、記述者の個人的感情しか感じ取れない中立性を欠くものであり、出典が明示されていない編集は誰でも取り除くことができること、独自の調査を発表してはならないこと、定評のある情報源がない場合その話題に関する記事はウィキペディアで立てるべきではないこと、などの理由により削除相当とさせていただきました。アメリカでは、洗脳またはマインドコントロールという科学的根拠のない分析や判断の誤りや危険性は定着しており、日本のマスコミや学界での情報や研究がかなり遅れており既に時代遅れになっています。いたずらにカルトなどと煽る行為が問題となることも反カルト運動から分かるはずですが残念です。ご了承ください。--Lionpug 2007年4月16日 (月) 13:57 (UTC)

 何が古いのか、何か適当なのか、分かってていっているのか、意味不明な文章である。カルトなどと今更とるに足らない言葉というが、[1]にあるように、とても世間に通用する一般的見解とは思えない。また統一教会がカルト批判に対していっている理屈と同じなので少し驚いた。白か黒かという二元論で語れば、学問自体が完璧ではなく、完成品でもなく、むしろ常に発展していく使命を持つものである以上、発展というのは今在る現状にまだ不足感が伴わなければ出来ることではない。その不足感、疑問があるからといって、学問はWiki に載せる価値がなくなるというのではない。しかしカルトの定義に疑問を呈するいって、統一教会やその他、騒がれている団体が存在しなくなるわけでもなく、被害を感じている人がいなくなるわけではない。「カルト」という言葉が不満であれば、「被害者を作る宗教」という言い方をしてもいいが、要は言葉の問題以上に、末日聖徒が個人の幸せという宗教の本来担うべきものにおいて疑問を多く出されているということである。言ってみれば、インターネットの急速な普及に法律が追いつかないと言われるが、法律が現状に対して不完全だからといって罪でないという理屈にはならないことと同じである。その事実を掲載したまで。問題の論点がいささかずれていると思われる。むしろ、「カルト」という言葉に一番こだわっているのは貴兄であると申し上げたい。--まん 2007年4月16日 (月) 17:00 (UTC)

失礼ながら容量の加減か当方では書込ができず、そのままの内容だったので投稿試験的に短くさせてもらいました。内容は上記URLのままですので興味のある方はリンク先へ。また同じ内容コメントが前後しますので見易く移動しました--Lionpug 2007年4月16日 (月) 17:43 (UTC)
アメリカでは1980年代前半に連邦政府や州政府が特定の宗教を法的に規制する動きを見せ、信教の自由を規制するものとして伝統宗教を含む宗教界全般、有識者、専門家らの反対を生み出し失敗したが、続く非宗教的事由からの介入による統一教会への告訴と裁判があった事件に対して、伝統的主流派キリスト教会や末日聖徒イエス・キリスト教会を含む40以上の団体が、宗教的少数派や新宗教の信教の自由を奪う行為として裁判のやり直しの請願を支持した。この事件は非宗教的事由からの信教の自由の侵害と政教分離違反であるとする批難と警戒心を生み出したが、これが契機となってアメリカ国内では、反カルト感情による政治的議論でなく、カルトを宗教として正当な判断で評価しようとするバランスの取れた議論の地盤ができ、脱会者の訴訟などの裁判にも反映されるようになった。カルトの洗脳や強制を主張する専門家らの見解が事実に反するものや論理的妥当性がないものとして退けられるケースが増えてきた。参考文献の本は宗教社会学から書かれたものであり、反反カルトの立場からのものではなく、故意に不利な箇所を削除して投稿していない。フランスやベルギーでは末日聖徒イエス・キリスト教会は有害で危険な団体とされているでしょうか。セクトの定義自体定まったものではありません。近年の宗教研究は、従来の「セクト」研究から「新宗教運動」の研究へと発展しています。--Lionpug 2007年4月16日 (月) 19:03 (UTC)

 江川紹子さんの弟子で大学でカルトを研究しているある方(本節末の外部リンク参照)がいっていたが、言葉の定義に揺らぎがあることを拡大解釈して、カルトとされている団体が正当化されるという認識まで飛躍する議論になろう筈がない。アメリカの統一教会がらみの裁判で勝訴した話は確かにあるが、だからといってそこまで考えるのは、社会的認識を得られているのだろうか。

言葉による拡大解釈ではなく危険な団体は危険な団体とされています。あなたは末日聖徒イエス・キリスト教会=オウムのような危険な団体であるという前提があるからそういう結論になるのです。そういう前提での議論自体すでに問題とされ分析されています。私の指摘はそれらの分析もすでに含まれて述べられているものです。--Lionpug 2007年4月17日 (火) 11:59 (UTC)

また、フランスのセクト法批判は宗教学者の意見であって、反反カルトの意見ではないという主張もあったが、工藤氏を引用したのと同様、第三者の意見かどうかということはここでは主要テーマではない。末日聖徒が被害者を生まなくなる宗教になるという議論に飛躍する筈がない。また反セクト法はセクトの枠組みを批判してリスト掲載は全く意味のないものという主張は一般的ではない。また、末日聖徒がサリンをまくような危険な団体とは一言も言っていない。これも貴兄の誤った二元論である。リストに出た事実を指摘したまで、要はフランス国民議会もリストに掲載するほど批判のある団体という問題なのである。また貴兄は検証可能性を主張するが、こういう検証可能なことについて指摘されると今度は、社会的にも学者にも一般的認識とは思えない一部の者の主張を勝手に普遍的正論とし、反対者の意見を削除をするというのは、理屈を使い分けている。

カルト、セクト問題は、第三者の参与余地の極めて少ない分野であるのは常識で、だからこそ学者や専門家や識者らの第三者の意見を取り入れるべきところに取り入れてこなかったというのが問題なのであって、それにも係わらず精査した第三者の意見かどうかということはここでは主要テーマではないというのはあまりにも暴論です。リストに出ただけで問題が実害として起こったからフランスでもベルギーでも第三者からも批判が起こっているのです。とても一般的です。ことさらに危険性を強調して独自の二元論にしているのはあなたです。カルト、セクト問題での反カルト運動家や脱会者の反応はあなたと同じで、それらは問題になって分析も各国でされており、だからアメリカでは先にわたしが述べたようになっているのです。そういう論点自体がすでに古典なのです。--Lionpug 2007年4月17日 (火) 11:59 (UTC)


 第二点に、Wikipediaは何が正しいかということを裁判のように決める場所ではない。二つの意見が現に存在する場合は、末日聖徒はこう主張する。反対者はこう主張するという両論併記でおくのが中立である。そういう意味で当方は、この10年近く、末日聖徒と聖書議論になるといつも彼らが答えられなくなる経験から、最初からキリスト教だとは思っていないが、あえて何度も論破してきた彼らの主張を削除せず、「・・という批判もある」「・・という意見もある」という書き方をしてきた。それを貴兄は批判して自身の意見を掲げてそれを結論とするというのは(何度も言うが削除というのはそういうことである)、結局は、末日聖徒が「カルト」という言われ方をしているのを世間の目から伏せたいという目的しか感じない。日本脱カルト協会推奨参考文献を読まれ、内外のカルトの認識がそのようなものか再検討してもらいたい。また、貴兄は「洗脳」を批判しているが、世の多くのカルトが使うものは強制力を伴わない「マインド・コントロール」なので、議論する場合はそのあたりの区別も知識として必要である。

両論併記の手法は学術的に仮説などが対立する場合などであって、単なる教会擁護派と批判派の場合は無意味に思います。特に削除した箇所は残念ながらすでに結論が出されているものでありなおさら不要です。論破してきたが削除せずとありますが、あなたは他の方の論破したとされる意見を削除されています。論破というよりはヒステリックな反応にキリがないので感情の高ぶっている相手に誰も構わないという方が正しいと思います。それが沈静化に一番だからです。「マインド・コントロール」とも書いていますので読んでください。--Lionpug 2007年4月17日 (火) 11:59 (UTC)

 そもそも貴兄は、wikipediaを通して末日聖徒がどういう印象を国内に与えるかという全責任を持つつもりなのだと思うが、相手の意見をやたら削除するというのは、かえって隠蔽というそしりを免れないだろう。それについても責任を負うつもりはあるのだろうか。私はむしろ批判を批判として真摯に受け止め、その上で教団が生まれ変わる、真に神の教会を目差す契機となることの方がよほど工藤先生も著者として喜ばれる筈だ
参考までにカルト研究者の意見。 ”反カルト”批判への随想 --まん 2007年4月16日 (月) 23:43 (UTC)

あなたが末日聖徒イエス・キリスト教会で傷ついたかもしれないことに同情しますが、あなたの書き込みを見た末日聖徒もまた傷つくでしょう。末日聖徒イエス・キリスト教会を知らない人も教会について否定的な印象を持つ人も出てくるでしょう。末日聖徒が社会的認識を得ようとしている努力も否定することになると思います。アメリカでは反カルト団体があまりにもカルトやセクトとされた人々の人格や人権を直接的にも間接的にも否定し過ぎて起こった問題の反省から、わたしが先に述べたような流れになってきたのです。カルト被害者や運動家などの証言の根底には理想化された理念が前提になっていることが指摘されており、ドイツ連邦議会の報告書では「マインドコントロール」などではなく、理想化された理念とのずれによる「適応」の問題であると分析されています。ドイツでは憲法に則り当事者だけでなく第三者の意見も最初から取り入れたものになっています。カルト問題では被害者個人の問題の無視、個人的な反カルト感情、非科学的な意見などが指摘されています。反カルト運動の沈静化には新宗教側の積極的な信仰の公表や、施設の公開などによる社会的理解を得る努力や社会への貢献、社会への適合などがあります。あなたがしていることは既に反セクト法の箇所でもわたしが指摘したのと同じことであるので問題として指摘しているのです。隠蔽以前の問題で、元の論点の本質からずらし、二元論に還元して削除を免れようとしているのはあなたです。元に戻しますが、フランスやベルギーでは末日聖徒イエス・キリスト教会は有害なカルトと認定されているのですか?フランスやベルギーでセクトとリストにあげられただけで差別などの被害を受けた反社会性のない末日聖徒イエス・キリスト教会以外の団体には同じ反応をしないでしょう?参考にするのがどうしてネットのサイトで正面から反応されないのか疑問です。--Lionpug 2007年4月17日 (火) 11:59 (UTC)

 的を得ない議論である。リストに上げられたことは言ったが、ここのカルトについては程度があり、末日聖徒は統一教会ほどの反社会的行動はとらないことは最初から承知している。であるから、他のより危険な団体とモルモンが同様に規制しろという議論は最初からしていない。リストに挙げられたが何も規制はない(公的になくとも国民の私生活的なことでは影響があるだろうが)として、だから他のリストにのらなかった団体のように安全だという理屈は、世間に通用する話ではない
 宗教としては何らかの問題を抱えている。それが国内では決して多くない教会員数でここまで反モルモンがネットに現れる理由にになっている。それを指摘しているのである。どうして他のカルトと同列にして議論していると捉えて反対意見を言うのか理由がわからない。ドイツ議会がどうのというが、それで問題のある宗教団体が被害者を作らないことになるのか。批判する権利はなくなるのか。このあたりについてはあなたが反論できないのであれば、水掛け論だから、これ以上、話はしても意味がないだろう。末日聖徒も傷ついたというが、それならばなおさら、内部改革。内部の自浄作用を示すべく努力する契機にすることである。批判されないためには批判者をこれ以上生産しないことである。キリスト教的にいえば、被害者を生みながらも反省することをしなかった教会全体のおかした罪を神の前で悔い改めるということだが、モルモンにはそれがわかるだろうか。かつて日本キリスト教団が戦時下で国策に従い戦争に協力したことを過ちだったと教団名で発表し、神の前で悔い改める声明を出したが、私はこれこそがキリスト教だと思った。比べてモルモンは宗教被害を訴える人があまりにも目立つのに、今回のようにカルトの定義を出して言い訳に終始している。世間の人は日基のような教会のどちらに信仰を感じるだろうか。容易に想像のつく話である。
 末日聖徒に否定的意見を持つ人も出てくるというが、それを決定的なものにしているのは、あなたのその反応にあることも意識してもらいたい。それがそもそも神崇拝ならぬ組織崇拝(=組織擁護)のモルモン体質であり、だからこそこのような問題が多い団体なのだということを、私はこれを読んで下さる方にコメントしておきたい。--まん 2007年4月17日 (火) 14:29 (UTC)

ノーベル平和賞うんぬん[編集]

[2]と除去しました。たとえ話として、ノーベル平和賞を持ち出すのは荒唐無稽な上、個人的な演説で修正しようがないからです。--fromm 2007年7月17日 (火) 07:19 (UTC)

 何を持って荒唐無稽かは不明。主観的判断に過ぎず。ノーベル賞は客観的事実。モルモン側が主張する「モルモンは他教会に比べ善行を最も戒めとする教会」「教会を去る人は誘惑に負け戒律が守れなかったのが原因」という主張を擁護したいだけなのでは。--まん 2007年7月17日 (火) 23:59 (UTC)

  1. ノーベル平和賞はその時々の政治的な意向で受賞者が決まる。受賞者がいないからどうこうという問題ではない。
  2. 信者にはノーベル物理学賞の受賞者がいない→→→信者は頭が悪い、という程度の幼稚な論法。

まあ読む人が読めばおかしさに気付くことなのだけど。 そもそもWikipediaは論評サイトではないので、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかの1.3にも反します。--fromm 2007年7月18日 (水) 02:09 (UTC)

 こうした類の賞には批判はつき物とはいえ、ノーベル平和賞はその時々の政治的な意向で受賞者が決まるとは世界的にそれでくくれるような一般的な見解とは思えない。ノーベル平和賞の権威を真っ向から否定し、それをもってひとくくりで「幼稚な論法」と断じるのはよくいっても極論。悪く言えば暴言以外の何ものでもなだろう。そこまで言ってしまうのは、なぜか。あなた自身胸に問うてみる必要がある。もしモルモン教徒に受賞者が出ればそういう意見はなおもあるだろうか。「読む人が読めばおかしさに気付く」とはこのノート記事の貴兄の投稿をもってもいえることなのである。そもそも、カーター元大統領が「モルモン教徒にも救いがある」と発言したされる〔実際はモルモン教義に踏み込んだ話では決してないのだが〕ことをモルモン教徒が誇らしげに語るとき、「彼はノーベル平和賞を受賞したクリスチャン政治家で」という決まり文句があるが、あれはいったいなになんだろうとつくづく思う。--まん 2007年7月18日 (水) 02:25 (UTC)

内容はともかくとして、カーター大統領のような著名な人物の発言は百科事典に記載する検討に値するでしょう。 これに対して「マザーテレサ・・・」の記述は、まん氏の個人的な意見ということでしょうか。。。 百科事典の編集者に過ぎないのですから、個人的な意見を紛れ込ませるのはおかしな事です。 まん氏がカーター大統領並に有名で、CNNとか別媒体で同様の発言が載ったのなら話は別ですが。

あと、「異端・カルト批判」の節で十分に批判が書かれているのですから、 「戒め」の節で、ことさらに節内容と関連の薄い批判を書くのはやりすぎ感があります。--fromm 2007年7月18日 (水) 08:01 (UTC)

このマザーテレサ[3]の記述の出典(発表済み媒体)があれば載せたらいいとは思いますが、出典が無いということはやはり個人的な評論と思われます。--fromm 2007年7月18日 (水) 08:12 (UTC)

 言っている意味がよくわからない。マザーテレサの何を知りたいのか。それをわかるように自分の世界でなく、人に通じるように話してもらいたい。次に、要出典のとのことであるが、すでにwikiに出展あり。またそれで不足であればブラウザで「異端、モルモン」で検索すればたくさん出る。本も出ている。プロテスタントからは、いのちのことば社発行の井出定治「異端とは何か」など。あとはwiki本文にも参考文献あり。それをみれば一目瞭然。最寄のキリスト教会を回ってキリスト教の一派と思うか聞いて回ってもよい。また本ノートの「キリスト教辞典」の項目に、モルモンの戒律が聖書を逸脱していることを聖書をもって説明している個所がある。これについてはまだどのモルモンも聖書をもって反論できていない。代わりに回答していただいてもよいが、説明できなければ、これも異端の証左である。  それで、あくまでもあなたがノーベル平和賞が政治に利用されただけの賞であると断じるのであれば、wikiの「ノーベル平和賞」の項にその旨書き込んでみれば、それが一般的かつ代表的見解かどうか、他者から修正があるのでわかるだろう。自分の目で確認するほうがよくわかるではないか。  また、カーター大統領を持ち出したのは、彼の「ノーベル平和賞」の受賞をモルモンの彼の発言の信憑性の根拠の一つとしている事実を指摘したまで。ここでどちらが有名か、政治家と宗教家というジャンルを超えて比べる意味も理由もないだろう。参・不参考の区切りをどこでつけているのかも不明。もっとも、小学校の国語の教科書でも紹介されているのはマザーの方であり、子供の知名度は前者がダントツ高いと思われるが。いずれにしても不毛な議論である。--まん 2007年7月18日 (水) 14:02 (UTC)

 ということで、あなたの意見が一般的・代表的認識かどうか「ノーベル平和賞はその時々の政治的な意向で受賞者が決まる。」というあなたの文言を、あなたの名でwikiの同項目に記述するよう要求します。それをもってあなたの意見が一般的かどうか第三者に判断してもらいましょう。それであなたのいう「受賞者がいないからどうこうという問題ではない」かどうかということもはっきりするでしょう。あなたは私の意見だと「私見」と断じるようですので。そもそも、本当にそうであれば、モルモンのあなたがそこまでムキになって反論する筈がないのですけれども(笑)。そうでなく、それなりに権威のある賞であることを認識しており、そのことによってモルモンの看板に傷がつくことを知っているからと考える方があなたの行動も筋が通ります。すでにあなたの行動自体が証明していると思いますが、問題の発端はここですので、それを経た上でなければ当方としてもこんな議論は不毛に感じますので、返答しない場合もあるのであしからず。--まん 2007年7月18日 (水) 14:32 (UTC)

Wikipedia:独自研究は載せないにあるように発表済み媒体を提示してください。提示がなければ除去します。--fromm 2007年8月2日 (木) 15:24 (UTC)
提示が無ければ除去しますとのことですが、検証可能性にあるように、他人の記事を削除するにはそれなりの礼儀がある訳で、「要出典」なりのタグを入れて相手に出典を求めてからでも遅くないのではないでしょうか。
そもそも伝統キリスト教は信仰義認といって、信ずれば救われるという信仰に立脚しており、「酒、煙草、コーヒー、紅茶、日本茶」を飲んでは救われないというモルモンのような律法を救いの条件と課していません。本記事にある専門家による本「モルモン教とキリスト教」にもこれらのことが記述されています。また、その戒律により、心を病んだりすることは本記事であなたが削除されたウッド氏の「ハビリセンター」がモルモン教対象に入れていることからもわかるし、文献にこだわるなら、本記事勇気と真実の会にある会報のバックナンバーをご覧ください。これはアメリカのモルモン研究で知られる高橋弘・淑徳大学教授や複数の脱会者が加わっており、つまり査読されたものであります。これらのことが反モルモン側から提出されていることは検証可能です。--Kuntakinte07 2007年8月3日 (金) 01:29 (UTC)

文献を示してください。示す責任は載せたい側にあります。Wikipedia:検証可能性。雑誌名とページ番号ぐらい書いてください。示せば無条件で除去したりしません。Wikipediaは主観的評論や個人的な感想文を書く場所ではありません。繰り返しますが、ここはWikipediaです。Wikipediaのガイドラインに従わないのであれば、別ドメインで発表してください。--fromm 2007年8月3日 (金) 01:46 (UTC)

別ドメインというのはウィキペディアのルールなのでしょうか。
もう一つ質問がございます。「雑誌名とページ番号ぐらい書いてください」とありますが、ウィキペディアのすべての記事は文献がページ番号付きで説明がないと削除の対象になるのでしょうか。そうでないとしたら、どうしてこの記事だけがそのようになるのでしょうか。明瞭にご教授ください。そうでないと、はまん氏への感情的な反応と、このページを読まれた方はとらえるやもしれません。
あえてのご希望なのでさっと思いつくものだけ申しますと、リバイバル新聞社の2002.10.6号の新聞の第四面に「モルモン教脱会者ネットワーク・勇気と真実の会〜正しい聖書情報を流し続ける必要」という特集記事で、脱会者が精神的にダメージを負う話や、一方で教理知識もいい加減に信仰生活を送るものが多いという証言がなされています。また「 モルモン教とキリスト教」のP77の「〔3〕救いに関する教え」 救いに至る条件をすべて守ることは、厳密に言えば難しく大変な努力を要するという詳細な解説があります。「素顔のモルモン教〔高橋弘著・新教出版社〕」でも、P26「モルモン教会のビジネス」で、一部の幹部が一般教会員を踏み台にして高収入に浴している様が実例をあげて報告されています。また「勇気と真実の会電子会報バックナンバー」第8号P3、第10号冒頭に、 モルモン信仰によって心を病む人の実態の指摘、脱会者の体験談。あわせて、モルモン教会が及ぼす安易な教義遵守を「思考停止」という言葉を使って非難して います。 思いつくものだけですが、反モルモンが提出している批判ということでございます。
ということで、これ以上のことを要求される場合は、それがほかのウィキペディアのページでも恒常的に要求されかつ投稿者が提示しているということを明示された上でお話しくださるようお願い申し上げます。あなたのいっておられるのはルールにたいする、いわゆる「原理主義」になるのではないかと拝察申し上げる次第です。
さらにあなた様は、私の申し上げた「「要出典」なりのタグを入れて相手に出典を求めてからでも遅くないのではないでしょうか。」という質問には答えておられません。危急削除が必要な理由については明示されておられません。また、「ノーベル平和賞はその時々の政治的な意向で受賞者が決まる。」あなた様が同賞に対する社会的認識とされたご意見についてはその後、撤回されたのでしょうか。まったく触れておられません。文献などを要求するのであれば、まん氏や私にが提示する質問にもお答えになられるようお勧めいたします。かかる行為は対話をせず人に要求だけを突きつけるものでございます。--Kuntakinte07 2007年8月3日 (金) 15:10 (UTC)

 もはや削除の理由も説明できない状態になっても、削除だけはするとなっては削除主義者のお名前が泣くのではないですか。--まん 2007年8月10日 (金) 00:40 (UTC)

まんさん、Kuntakinte07さんは、Wikipedia:ウィキペディアは何でないかWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性を良く御読みになるべきです。そして、自分の編集や弁明について、これらの方針に反するところがなかったか良く考えてみて下さい。まあ結論だけを簡単に言えば『編集者は自分の意見や考察を書くべきではない。広く公表された意見を紹介するのは構わない』ということなんですが。 -- NiKe 2007年8月10日 (金) 01:28 (UTC)